百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

百休世去り詩(3)【いつの間に…補記【世界に一つだけの花】】

2009-12-12 12:47:09 | 日記
 この季節、山々からは 急速に鮮やかさが失われておりまして、
早晩 常緑樹の緑のみを ぽつんぽつん残した、モノクロームの
世界へと変わってしまうのでありますが、落葉樹は、単に 時節が
来たからといって、葉っぱを落としているのではありません。

人間は、基本的にズボラでありますゆえ、何でも放ったらかして
寝てしまうことが、しょっちゅうなのでございますが、その点、
植物は、たいした者であるのです。

葉っぱから、取り入れられるものは全て取り入れ、次なる春に向け
まして、花の芽 葉っぱの芽 枝の芽 すべての準備を整えました後、
初めて葉を落とし、究極のエコスタイルをとりましてから、冬の
眠りにつくのでございます。
 
と いたしますと、私たちが 四季のことを何気なく春夏秋冬
と言っておりますが、これは自然の理に適っておらず、これは、
語呂は損なわれるのでありますが、どう見ましても、秋が最後で、
冬が最初でなければおかしいと思うのであります。
最初に花が咲くなんて、虫がよすぎて 教育上も良くありませんし、
雌伏のときあってこそ 花開く でなくてはならないのであります。

ダラダラと しょうもないことを言っておりまして、誠に申し訳ない
のでありますが、今日のところはもう少し 花に関しまして思うことを
申し上げたく、お付き合いいただければと思います。

【世界に一つだけの花】という超有名な歌がございます。
何やら 200万枚以上売れて、日本PTA全国協議会の「親子で歌いつごう
日本の歌百選」に選ばれ、さらに「Mステーシュンあなたとアーチストが
選ぶ新・国民的名曲」で第1位というのであります。

愚生はこのことに、現日本が陥っている深刻な病をみるのであります。
この歌は、ガラスをダイヤモンドと教えているようなものではないか、
平和平和と唱えれば平和になるという発想と同じようなものではないか、
いい歌どころか、まだ幼い子供たちに歌わせる歌としましたら、
むしろ有害な歌ではないだろうか、とさえ思えるのです。

いったいこの世の中に「世界にひとつだけの花を咲かせたよ」と、
言える人が どれほどいるというのでしょうか。
愚生なんぞ、花が咲いたなんて何一つ自覚ないまま、今日にいたって
おります。花は咲いていないのに、子供は3人できております。
咲いたとしましても、それは 目に見えない花だったのです。

夢を見るのは とてもいいことです。しかしこれは前提があっての
話です。現実をリアルに捉えていてこその話です。
こんなこと、当たり前のことです。大人ですら キチンと捉え切れ
ない現実社会、少なくとも、奨んで子供たちに歌わせる歌とは、
とても思えないのです。

一般的に、花はきれいです。
しかし現実は、20万~30万種といわれている植物の中から、
人間の都合で、きれいと感じる花を、何千年もかけて厳選し、
品種改良し 鑑賞しているに過ぎないのであります。

また、人間が生きるうえで、それに最も貢献している植物は、
咲いたかどうかさえ分からないような花しか咲かせないのです。
稲、麦 がそうであります。

さらに、強烈な匂いを発し とても鑑賞に耐えられない花だって、
虫をおびき寄せ 溶かして食べてしまう花だって、あるのです。
そして、本当は、きれいな花を咲かせることは、宝くじを当てるより
難しいことなんだということ、および、これを言うは とても悲しく
忍びないことでございますが、咲いたとしましても ほんの一瞬
なんだよ ということも、併せて教えるべきなのであります。
 
こういった意味におきまして、日本には既に いい歌があるのです。
野口雨情作詞・中山晋平作曲 【しゃぼんだま】、
西條八十作詞・成田為三作曲 【かなりや】
が、そうであります。味わえば味わうほど、人生の真実・哀歓が
染み出でて、涙が滲んでくるのであります。

以上、特に「世界にひとつ…」の歌のファンの皆様、SMAPファンの皆様、
槇原敬之ファンの皆様には、誠に耐え難いようなことを言いまして、
ほんとうに申し訳ないことでございましたのですが、愚生は、
決して 軽い乗りで歌うにはそぐわない、非常に大きな大切なテーマを
取り扱っているのですよ ということを、訴えたかったのであります。
ご寛容のほど、切にお願い申し上げまして、
この稿を閉めさせていただきます。
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