鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

山岳部国武先輩の葬儀に横浜へ(2)奥さまの「ご会葬あいさつ」

2014年11月04日 | 死について

国武先輩について書こうと思っていましたが奥さまの「ご会葬あいさつ」が入っていたのでそのまま載せさせていただきます。

>共に過ごした日々は本当に幸せでした」

仕事に力を注ぎ、好きなことにも情熱を傾けていた夫。大学時代には山岳部に所属し、卒業後もお仲間とインドやヒマラヤへと足を運んでおりました。雄大な自然を前にして、お気に入りのカメラで写真を撮ることも山登りを楽しむ一つだったようです。釣りや読書、そしてパイプを集めることも好きで、我が家には沢山な道具が溢れています。夫の胸に綴られているのは、大切な思い出と支えて下さった皆様の笑顔。素晴らしいご縁に恵まれて充実した日々を過ごすことが出来て幸せだったと信じています。数々の趣味を謳歌する中で一番の楽しみといえば、孫たちの成長でした。二番目の孫が防衛大学に入学する時は誰よりも喜び、お祝いをしてくれました。孫娘とは同居し、近況を話し合っていた姿も記憶に鮮やか。そして三番目の孫がサッカーで活躍する姿を応援していたものです。

まだまだ皆を見守ってほしかったと別れが悔やまれてなりませんが、遠く離れても家族の絆は永遠だと信じ、逝く背を見送ります。<

斎場の控え室には愛用のピカピカに磨いたカシンのピケッケルと登山靴、学生時代(山岳部時代)の雪山での写真やヒマラヤでの写真なども飾られていました。

 国武先輩は学生時代も血圧が高かったりその後もいろいろな病気を克服されされながら子供の頃の心を持ち続けて楽しい人生を送られたと思います。

他人の気持ちのワカル人でした。そして私を理解して下さった一人でした。そのうえ、男の私から見ても「男らしい、良い男」の典型でした。

79歳、きっとご本人は「良い人生だった」と満足しておられたと私は確信しています。わたしもそのような人生の終わり方をしたいと願っています。(私はムリか?)

これから出る「OB会通信追悼号」に国武先輩の思い出を書きます。ブログにも載せますので読んでみて下さい。

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