京都北山細野の神主

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

ごっこ屋本舗(最初の大風呂敷⑴)

2015年01月17日 | NPO法人・ごっこ屋本舗の提案

特定非営利活動法人(NPO法人)「ごっこ屋本舗」の活動を始めました。オヨバズナガラ!(当分私が理事長です)

「ゴッコ屋本舗」って何だろう?

私は昭和40年の春から30年間小売業を経営して来ました。最初は夫婦2人で世界一小さな山道具の専門店でした。

その前の年1年余りの内4ヶ月は家具の小売り兼卸店に努めて産まれて初めて商売を経験しました。

その後、横浜の鶴見でIBS石井スポーツ(東京オリンピックの年、IBS石井スポーツ開業)で登山用品販売の経験をさせてもらいました。

生まれ育った家はまったく商売と関係のない神社、それに横浜では1年足らずの間ですがIBS石井スポーツで登山用品を買うお客様との面識は出来、共に山登りをする友達も出来ました。

しかし、登山用品を買ってくれる人のまったくアテのない生まれ育った京都、それも京都の繁華街でない西大路八条ですからお客のアテの無いところで開業したのです。

後から思えばまったく無謀な開業でした。(元々考えて実行するようなタイプではないのですが、今も変わりませんが)

その後も思いついた事はソク実行し、社員のアイデアやお客の要望はソク実行をモットーにやって経験を重ねて来ました。

開業から半世紀、商売からはとっくに離れて客観的に世間を見るようになって来るにつけ、今の世の中「何かが狂っているな?」と思うようになりました。

京都市内から35年ほど前に京都北山山中に引っ越して生活する中で今日から20年前のこの日に起こった阪神淡路大震災、それに東北の震災津波・原発事故などを見るに付け、ますます、日本の国、日本国民(経済,政治、教育も含めて)が数千年幸せの根源として来た「和」の精神から離れてゆき「対立」の構造に取り込まれつつある事に不安を覚えました。(震災時の被災者の振る舞いやボランティア活動の中に本来の日本人の良さがまだ沢山残っている事に安心はしましたが)

「和」とは単に相手に合わす事だけではないのはモチロンです。

しかし、今の日本の現状を見ると戦後の教育によって自我の確立は無くなり、相手に合わす(相手の言いなりになる)事のみが正しい事だと躾けられて来たように私は感じました。

それは商売の場で良く見受けられます。

お客の要望に従って「安く、安く、もっと安く」「他店より品数はもっと、もっと、もっと多く」「店舗は他店より、広く、広く、もっと広く」

販売員は商品知識の無い(マニュアル通りの回答しか出来ない)ロボットのような存在しか示せない。

何処の店でも売れ筋しか置いてない大型店ばかりになり、大型店同士の競争で次々に消滅して馴染みの店が次々つぶれて信頼感の無い店ばかりになってしまいました。

行き着く所はアマゾンやタカタのような通販会社の全盛になり価格の比較だけになりメーカーも個性ある製品の開発をする余裕も無くなり、支那や朝鮮のようにパクリ専門の工場にしなくては経営を維持出来なくなってしまいます。

こんな話はいくら話しても良い方向には向かいません。

「なら、どうすれば良いのだ?」で終わってしまいます。

今の世の中マスコミに乗らないものは広がりません。まして、こんな話はマスゴミのスポンサーには不必要ですからです。

「ごっこ屋本舗」の活動は昔子供の頃女の子たちが良くやっていた「お店屋さんごっこ」から始めます。(私は子供の頃は硬派でしたから仲間には入れてもらていませんが)

私の人生は「あそび」を「仕事」にして来ました。「好きなことを職業」にして来ました。そして「商売をあそび」と思うほど好きになりました。

だから、若い人達に(夫婦や子供も含めて)商売の面白さを体験して本来の商売が出来る土壌を日本に残して行きたいと考えました。

「サムライに武士道」が有るように「商人にも商人道」があることをもう一度日本人に知ってもらい。

商人道が「和」に繋がりみんなが楽しい人生を送ることが出来れば世界は日本の和(大和の国)を見直し「和」が世界に広がるはずです。

そのためにはまず「家庭の和」「家族の和」を大切にし、「友達の和」「親戚の和」「近所の和」「地域の和」「関西の和」「日本の和」に広げる「ごっこ屋本舗」の主張と実行案をこれから見守って下さい。(そこまで言うと「大風呂敷?」)


続きは次号に、(今日は昼間から雪が降り出して積もり始めました)



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