鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

野あそびについて(1)

2007年07月23日 | 野あそび(アウトドアも)

早朝に犬と散歩に出かけたら、家から100メートルほどのせせらぎの側にナデシコの花を見つけました。この土地に引っ越してモハヤ30年近くなりますが季節の花が何時ぐらいに咲くのか全く関心がないので、と言うか覚えが悪いだけかもしれませんが、今年は早いのか遅いのかも関心はないのですが、とりあえず今朝は18度くらいでTシャツでは寒かった。

野あそびについて(1) まず野あそび協会を作ったいきさつから

以前運動具屋をやっていた時に子供たちを集めてキャンプ教室やスキー教室を開催したり、KBS京都や産経新聞社、日清食品などのアウトドアイベントを請け負ったり、RV車全盛のころの三菱自動車のキャンプフェスティバル(スターグランドフェスティバル)などでも子供たちに昔からの野外での遊びなども教えていました。その現場で気がついたことは今の子供たち(10数年前ですが)のドン臭さ、不器用さは目に余るものがあり、われわれの子供時代では障害者レベルがほとんどでした。まず、ナイフが使えない、われわれ子供時代は鉛筆を削ることから始まりました。切り出しナイフ、肥後の守、カミソリなどで勉強が始まる前には芯をとんがらしたりして用意したものです。ところが刃物は人を傷つけるものと決め付けてしまい、教室に鉛筆削り機が入ってきました。もう50年以上前のことと思いますが。この頃より子供たちが刃物を使えなく(使わなく)なってきたのではないでしょうか。鉛筆削りがナイフを使う原点と思います。はじめは大胆に大きく削り、最後は芯に触れるか触れないぐらいに細心の注意を払って削ります。これが手加減の原点であったと思います。指先を動かすことで脳の発達を促します。指は第二の頭脳と言われます。「子どもは手から偉くなる」をキャッチフレーズに平成7年12月12日に豊中市・千里の氏神・上新田天神社で有志が集まり「日本野あそび協会」を立ち上げました。名前はデッカイ方がインパクトがあるということでつけました。開催場所によって名前が違うのですが、神社の境内で開催するときは「鎮守の杜の学校」と言うノボリをたて、その他の場所では「野遊び村」というノボリを掲げています。鎮守の杜の学校は今のところ毎月恒例で開催しています。 原則無料。予約無用です。

第2土曜日千里・上新田天神社。午後1時~3時

第4日曜日堺市・開口神社(大寺さん)。午後1時から3時

長くなりましたから続きは次の機会に書きます。


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