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上の写真は我が家の墓のある清涼庵
朝からお彼岸の墓掃除とお参りに行く予定で妻と出かけて午前中に長男のマンションの掃除をしました。通路や階段の掃除ですが水を流してブラシでこする作業はここ2~3日春本番の陽気で助かります。寒いときは水を使うのが億劫になるものです。
夏は夏で暑くて汗びっしょりになりますが、この四季の移り変わりが我が日本国の特徴でありますから楽しまなくては。
お昼ご飯は身内の若新で食べて、先に妻の実家の墓のある今熊の観音寺に向かいました。
墓の上にある医心方の碑
医心方の説明碑
この碑、「医心方 一千年の記念に」には
>平安のむかし 医博士 針博士 丹波康頼(912~995)によって撰述された医心方 三十巻は・・・ わが国医学の源流を示す現在最古の医書であるとともに中国ですでに失われた多くの医書を含む東洋医学の貴重な文化遺産である。<
中国では古来より王朝が変わると前王朝の記録文書は総て焚書されてしまい、現代の中共政府が言う中国五千年の歴史なんぞは継続した文化ではありません。
まして,漢方などと言うのはわが国「医心方」が無ければ存在しなかったはずです。それほど貴重な「医心方」の顕彰碑があります。
医心方の右手に医聖堂があります
平安の時代から江戸時代までの医聖と言われた人の名が刻まれた碑が建っています。
医聖堂碑の横にある
医聖堂合祀聖霊位と刻んだ碑には戦後の医聖と呼ばれたい人達の名が刻まれています。
最初のところに「武見太郎」の名が出ているところを見れば「医聖」と言うより「医政」では?と思うのですが。
「医聖」と言われるような医者がいたのは何時頃まででしたか?
今の時代こそ「医聖」と後世、言われるような医者が出て欲しいがそのような高徳な医者は潰されてしまうでしょうね。
妻が墓ソウジしている間何時もこの碑の前でサボっています。掃除が済んだ頃に戻ってお参りして帰ります。
この後我が家のご先祖さまの墓参りをしての帰り道「伏見稲荷神社」の前を通ったらおまわりさんが路の両側に10m間隔ぐらいにビッシリ。
帰ってニュースを見たらオバマ夫人が来られたとのことでした。
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