酒と煙草は高校を卒業からやめました。タバコはそれ以来1本も吸っていませんが酒はそれ以後2度ばかり禁酒(合計3度)をしました。
2度目の禁酒宣言は昭和40年の中頃、8時に店を閉めて5分ほどの自宅に戻って食事をしながら晩酌(少しですが)を習慣にしていました。
当時、親戚の高校生が、車の免許を持っている友達とがアルバイトで店で買ってもらったスキー道具をお宅に配達してくれていました。
その頃ちょうどホンダのN360が出た頃です。早速買って配達に使っていました。これに乗って店が閉まってから二人が配達をしてくれていたのです。
食事中に警察から電話で「お宅の若い人が事故を起こしたので四条大宮の交番まですぐに来てくれ」という電話がありました。
酒を飲んでいなかったら車ですぐに駆けつけることが出来たのですが明らかに飲酒運転がバレるのに車で行く訳にはいきません。
大通りに出てタクシーを待つのですがナカナカ来てくれません。(今と違って西大路通りには流しのタクシーは少なかった。)
交番に駆けつけた時は連絡より1時間以上も後で事故を起こした当人も警官もやきもきしていた感じでした。
事故の原因は横断歩道を渡ってくる人に気がついて急ブレーキをかけたら車が前方回転をしてひっくり返ったとのこでした。
通行人も二人のアルバイトも怪我はなくて幸いでした。今にして思えばまったくの欠陥車です。FFの初期ですからエンジンを前に積みすぎた結果です。
それにしても当人たちはびっくりしたと思います。この時以来誰かが働いてくれている間は酒を飲まないでおこうと決心しました。
その後京都北山に移って諸口あきら氏や友達などが泊まり込みで丸太小屋の囲炉裏で宴会をするようになり、この頃には社員も多くなり、責任者を店に残すことも出来るようになったのでまた飲み始めました。
ただ、京都北山の我が家は市内から1時間ほど車の運転をしなければならず、冬場は道路が凍るのでタクシーも行ってくれませんので自宅で以外は飲まなくなり自然に酒は飲まなくなりました。
結果的にはあまり飲酒をしなくて良かったと思っています。今まで無病息災でいられたのも飲酒の習慣が無かったからだと思っています。
同級生や友達などはとっくの昔から病を抱えて病院通いに精を出しています。多くの友人たちは亡くなっていますが習慣的な飲酒が原因の病が多いのです。
禁煙は高校卒業の頃に医者に結核の兆候がありタバコは絶対ダメだと言われました。
レントゲンの結果で判断されたようですが全くの誤診でその後山岳部でハードなトレーニングや山行にも耐えられたのですから、お陰でその後はタバコには手を出していませんから誤診サマサマです。
特にヘビースモーカーと言われる人たちの晩年は酸素ボンベを引きずって10年ほどで亡くなる人が私の周囲でも結構いました。
深酒もヘビースモーカーもきっと当人たちにとってはストレス解消の手段だったと思います。
昔に比べて飲酒を断るのも喫煙しないのも本人の意志で出来る時代になったのは良かったと思います。昔は酒の付き合いを断るのは大変でした。タバコを飲まない人は「堅物(かたぶつ)」扱いでした。
近年禁煙だけが諸病の原因のように言われますが私は喫煙より飲酒のほうが万病の原因になっていると思っています。
飲酒については次回にもう少し書きます。
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