30年〜40年ほど昔、京都放送や毎日放送でラジオ番組を持っていた諸口あきら氏と頻繁に会っていた頃の話し。
最近解体を始めた北山杉で作った囲炉裏のある丸太小屋で諸口さんの大好物であった地鶏の鍋をつつきながら夜中までワイワイやっていました。
眠くなったものから寝袋にくるまって寝てしまい、翌日出勤のものは勝手に起きてここから出勤するものも居ました。
メンバーは山仲間が中心でしたがモンベルの辰野勇現会長(当時は社長)も時々参加してくれていました。
当時は今のようにテレビのニュースやワイドショーがニュース番組の主流ではなくラジオの時代でした。
その頃から感じていて時々諸口さんにも言った覚えがあるのですが「ラジオの電波から聞こえる言葉だけでは真心は人の心に通じないよ」と。
今、まさにその時代になってしまったのではないでしょうか? SNSが人の意志の伝達の主流になり、テレビで流れるフェクニュースを信じ込む年寄りが増え。
世の中これほど真実が伝わらない時代は天地の開闢以来ではないでしょうか? これは電波媒体が主流になり真心が通じない時代になりつつあるからと感じます。
今の世の中一つ一つを見ていっても、電波に乗った映像や音声だけの情報が主流になってしまっているか? 声が届く範囲に居てもメールでやり取り。
おのれが発した言葉に責任を持たない、ひとの発した言葉を切り貼りして責任追及、どれを見ても会話の成り立たない奴らばかりです。
対面による会話の欠如が今の社会を作り出しているのに多くの人たちは気がついていないのでは無いかと思います。
先の諸口あきら氏は亡くなってしまいましたが、モンベル社の辰野会長も人と人との対面での会話、人との交わりを大切に今も全国(世界)を飛び回っておられます。
私の知る範囲は元々運動用品業界特にアウトドア用品関係と範囲は狭いのですがまだ商売をしていた頃ですが辰野勇社長がパタゴニアの創設者イヴォン・シュイナード氏を私の店に連れてきて紹介してくださいました。その後はっきり覚えてないのですがもう一度展示会か?見本市でお会いした覚えがありますがはっきりした記憶が無いのですが。
その後阪神淡路大震災のとき直筆の手書きの手紙を送ってくださって安否を気遣ってもらったこともあり、その印象が強くあるので今希薄になった人と人とのつながりや思いやりの精神はマスマス「電波だけでは真心は届かない」と思うようになりました。
頻繁に会って意思の疎通が出来なくとも自筆の手紙やハガキでも相手にも自分にも記憶として残り、現物として残ります。SNSの上でのやり取りは目から脳を素通りにして記憶にも思い出にも残ることが少ないのではないか?
その上最大の災難は今年の初めからの世界的な武漢肺炎の蔓延です。人と人との身近な会話を完全に阻害してしまいました。
私としてはこの武漢肺炎(新型コロナウイルス)の蔓延はマスゴミのフェークニュースや嘘偽りの蔓延を諌める警告ではないのか?
対面の会話でもって人と人との信頼を回復する手段をもう一度構築するチャンスにすべきと考え「文通」と言う「古い手段」から始めようと思い立ちました。
早速親しい人にハガキを書こうと始めましたが悲しいことにここ20年自筆の手紙を書く習慣をパソコンやメールに奪われていましたのでスムースに出てきません。
読むことは読めるのですが簡単な漢字でも正確に思い出せずに辞書に頼って進みません。それに元々下手な字であとから自分で読み直しても判らんぐらいですからナカナカ書けません。
そこで考えました。絵葉書に要件だけを書いて知り合いに送り続けるうちに少しは文字も読めるようになるし、漢字も思い出せるようになるのでは?
絵が上手なら絵手紙でと言う手段もありますが字を書く以上に絵も下手ですので救いようがありません。当分、親しい人には迷惑をかけますが受けっとってください。
もちろんこの世の中パソコンやスマホからの情報の交換は大切ですし今まで以上にブログやメールは上達したいとおもています。
ただどれだけ人々の心に届く発信ができるかは自信がありません。「行き詰まったら原点に戻る」は山を歩く上でも人生でも大切なことは間違いはありません。
この歳で原点に戻っている暇があるのか?と言われそうですが時間だけは自由に使えるのが年寄りの特権と思っていますから心配はいりません。
「またアホがつまらんことを始めよった」と冷たく見続けてください。カテゴリーも「真心は電波だけでは人の心に届かない」を増やしました。