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鎮守の森の学校(京都北山細野の神主)

日々感じる事を想いのままに書き綴っています。神主として品位に欠ける表現が有るのはボケが始まったとお許しください

13日・自宅に帰り着き東北震災復興祈願の旅は終わりました

2012年05月13日 | 自然災害復興祈願
月曜日7日午前4時に出発した「東北地方震災地復興祈願の旅」は13日午後5時45分京都北山の自宅に身体もクルマも無傷で帰り着きました。
出発してよりのクルマの走行距離は1972キロメートル(敦賀港から秋田港の間のフェリーで移動の距離は入っていません)一日平均走行距離281キロメートル。特に今日は横浜から自宅まで509キロメートルを走りました。
身体もクルマも無傷で帰ってくることが出来ました。小さなクルマ、軽自動車のアルトはよく走ってくれました。高速道路を100キロで連続走行できるなんて660CCの小さいエンジンでも実力はすごいものです。日本の小型車の実力は大変に高いと思います。
それにしても高級外車が多いですね、BMW,ポルシェ、アウディー、プジョー、フィアット、アルファーロメオ、シトロエン、などが国産車並みに走っています。
今日などフェラリーが無謀運転する様を見せられました。この頃はこんな高性能のクルマを運転する技術の無い奴まで金さえ有れば運転テクニックなど問題なくなってしまったのですね。昔のクルマ好きの人が見たら嘆く光景がザラになりましたね。
今日は新東名で帰って来ました。走っているクルマは以前に比べて国産車も図体は大きくなりましたね.3ナンバーの方が5ナンバーや軽自動車よりも多くなったのでは有りませんか?そんな気がする高速道路でした。
昔(だいぶ昔の話しですが)ポルシェの排気量が2000CCを越えて3ナンバーになり車両税が高くなるので売り上げを心配する声も有ったと聴きましたが、その心配は無く順調に売れたようですが、日本の景気が上向きになり、高級外車が売れ始めた頃でもまだその心配をしていたのに比べても、不景気不景気と大騒ぎしながらクルマの価格も高くなり高い車両税を払える今の日本は本当に不景気なのでしょうか?
話しが違う方向にそれましたが。
今回の旅を通じて見聞きして来たことを元にして私の今後の老い先短い人生ですが精一杯頑張って復興支援のお手伝いをして行きたいと思います。
とりあえず今日は無事帰って来たことを神様仏様ご先祖様に感謝し、応援し見守ってくれた家族や友達にも感謝してゆっくりサウナに入って疲れを癒し、今回の旅を噛み締めて明日から新たな生活を始めたいと思います。
この旅はやはり現地へ行ってみて良かったと言うことに尽きます。 一人の年寄りが被災地を見て回ってもたいした役にも立つものではないでしょうが、こんな小さな動きが集まって国の行く末を決めて行くのだと私は思います。
マスコミが報道したままを鵜呑みにして来たツケが今の政治や経済、思想の混乱を招いているのです。ここは現実を見て自分なりの判断と発言、行動を起こさない限りテレビの前で愚痴るだけで終わってしまい、悪い方向に日本の舵取りを誤ってしまうのです、政治家やマスコミの質の低下を招いたのは自分で行動しない国民のせいなのです。

旅の最後は靖国神社昇殿参拝

2012年05月12日 | 自然災害復興祈願
いわき市から靖国神社へカーナビをセット、208キロを高速道路をひた走る。
途中パーキングエリアでハガキを書いたり、昼寝をしたりゆっくり時間を費やす。
いかにカーナビ(それも古いカーナビ)でなければ行き着くことはできません。
なにしろ車で東京に来たのは15年ぶりくらい。
軽自動車で東京で走るのは生まれて初めて、首都高の高速ぶりは他府県の人間には恐怖、まして年寄りには。
それでも何とか3時頃には到着、社務所で続きをすまして昇殿参拝、年に一度の参拝ですが靖国神社の大きな御神鏡を見るだけでも心が洗われます。
参拝が終わって遊就館を見学して一階の食堂でかきあげうどんを食べて出発、横浜の娘の家に行くのにカーナビをセット、それにしても皆さん方は高速道路を高速道路としてお使いになっておられます。
二車線満杯の車が制限速度六十キロで走っているのをみたことがない。
田舎ものの年寄りには恐ろしいところです。
それでも何とか流れに乗って横浜まで、今夜は孫たちと一緒に眠り明日は京都への五百キロ余りを走って本当に旅が終わります。

東北の旅について

2012年05月12日 | 自然災害復興祈願
私にとってこのたびの東北の旅は単なる旅のレポートではありません。
現地の状況や人々の紹介は詳細にわたってマスコミでほうこくされています。
旅の途中で慣れないタブレットで少しずつでも書こうとしましたが思うようには表現できずに旅の終わりが近づきました。
出発の日に下痢で体調を崩し、その前のぎっくり腰の延長にも悩まされながら予定のコースはだいたい走りました。
車も軽自動車のスズキのアルト、フルタイムの四駆ですが良く走ってくれました。
明日から自宅に帰るまで高速道路をまだ千キロ近く走らねばなりません。
帰ったらじっくりこの体験を噛み締め直してみたいと思います、今まで先のことばかりみてきましたが、急に過去のことを噛みしめられるか疑問ですが、この体調不調の旅では消極的な悲観的な考えが先に立ちました。こんなことは初めての経験でした。
やはり身体の健康が一番大切で、その上で精神が健全でいられるのだということが理解できました。
体調不良でもこの東北の旅を実行してよっかったと思っています。考えさせられた旅です。
旅はまだ終わっていませんが。ブログをかきながらなんて事は我々凡人には無理でした。
何だか今日はいやに弱気です。疲れているのか。もう寝ます。

今日の一日は壮絶だった。

2012年05月11日 | 自然災害復興祈願
朝8時前に石巻グランドホテルを出て女川町へ向かう。ここも同じ瓦礫と重機との戦い。
この現場を見下ろす位置にお宮さんが急な石段の上に建っている。
小さなお社の名前は「山祇社」と言う額が上がっていた。
さっそく震災復興を祈願してノボリを下から一番見えるところに縛り付けて来ました。
これを見ながら作業する人たちは神様の後押しを信じてがんばってくださるだろう。
来た道を石巻市に戻り45号線を東松島市東名へ、ここのスミチャンノ家の代表伊藤壽美子さんにお会いして昨年末にモンベルアウトドア義援隊を通じて被災者の方に配布してもらった「やまとのおいね」を今年も配布をお願いした。
また持ってきた日本野あそび協会のメンバーが作ってくれた作品の配布も義援隊の方々が19日に支援活動に来られる時に渡してほしいとおいてきました。
古事記の現代風に書かれた・「古事記のものがたり」10冊このほんの著者からの寄贈で預かって来たものをちょうど童話の朗読をされている人がきておられたのでおねがいしました
この後、塩釜市にむかい、塩竈神社にお詣りして、テレビの映像でみた仙台空港にむかいました。まだ復活してないだろうと勝手に想像していましたが着いてビックリ、立派に離着陸していました。
南相馬市市役所でモンベル辰野会長の紹介の市長への面談は突然行ったのでお会いできず福祉課の方にやまとのおいねのこの冬のプレゼントについてお話ししてきましたが主旨が通じたかは疑問でした。
この後6号線を今日の宿泊予定地いわき市目指したのですが、原発事故のために遮断されていることをうかつにも忘れていて古いカーナビの指示通り進んで姉妹、浪江町付近で検問所で追い返され、もう一度今来た道を戻る羽目になり、東北自動車道まで戻り、磐越自動車道から常磐自動斜度いわき中央インターで出ていわき駅近くのルートインホテルに入るまで300キロほど走り23時過ぎまだブログを書いています。明日午前中で東北の旅は終わる予定です
夜は横浜の娘の家でひさしぶりに孫たちに会います。

早くも石巻市まで来てしまった

2012年05月10日 | 自然災害復興祈願
釜石市を出て大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸町のお宮さんに震災復興の祈願をして「震災復興祈願」と書いたノボリを立てて来ました。
気仙沼鹿折 復幸マルシェというプレハブ作りの商店街?で特産品をセットにしてもらい今回の東北の旅を応援してくれた人達に宅急便で送りました。
自分用にもMAST帆布 気仙沼手作りカバンの大きなトートバッグを買ってしまいました。何時もの癖の衝動買いDESUGA。
一万円しましたが一生ものとしたら高くはないでしょう。一生といっても後少しですから充分保つでしょう。
この変わった商店街で昼食にカレーうどんを食いました。
普通関西ではカレーうどんには牛肉が入っていると思うのですがここのカレーうどんには豚肉が入っていました。
これがまた美味しいのです。ボリュームもタップリで大汗をかきながら食いきりっました。
石巻市に入って今日泊まるビジネスホテルを駅前の交番で尋ね、親切に教えてもらったのですがどこも満員で石巻グランドホテルに泊まりました。
夕方ウォーキングも兼ねて小雨降る中街に出ましたが帰りに迷子になって往生しました。
単なる方向音痴ですが疲れ果てました今日もまた。

震災復興祈願のノボリを立てる

2012年05月09日 | 自然災害復興祈願
やっぱりタブレットでブログを書くのは難しい。(言い訳)
だけど便利ですね、スマートフォーンのように字も小さくないし現在地やナビとしても便利です。大きさは我慢できる範囲です。小さくすれば年寄りには無理です。
ただ他のタブレットと違いドコモのアロウズはなかなか教本が出ずに使いこなすには難しいです
東北の旅三日目は久慈市をスタートして途中田老の真崎に寄り道をしました。理由はないのですがただ何となく引き込まれて漁港までいってしまいました。
ここはきっと震災前も住まいはなかったのでしょう。海水浴客のためのシャワー室やトイレなどの施設は完璧に津波で壊されていました。
漁港の復旧作業がなされていました。
何か神様を祀っているものはないかと探しましたら小さな石のほこらがあり中に弁天様の石の御神体が入っていました
上に続く道があったので登って行くと灯台展望台がありました。車を止めたところに降りてくると地元の漁師さんが漁具を扱っていたので尋ねたら灯台の先の細い尾根を降りてゆくと神様を祀った祠があるといはれたので車で急な細い道を灯台まであがり、そこから歩いて坂を断崖の方に歩いて行きました。両側が断崖になったコルにでました。そこから先はこの年では無理だ右側の崖に大分古びたロープが垂らしてあるのを恐る恐る頼りながら30メートルほど降りて浜におりました。
津波でいろんな漂流物が打ち上げられていましたが遺体は見つかりませんでした。
来たコースを慎重に登り灯台の側の杭に震災復興祈願のノボリを縛り付けて復興祈願をして戻りました。
登り口を見たら鳥居が根っこのところから津波に切られた跡がありました。恐ろしい津波の破壊力です。

今日五月九日午後二時半岩手県吉里吉里地区にいます

2012年05月09日 | 自然災害復興祈願
今朝久慈市のホテルを出て45号線を宮古市を通って釜石市に向かっています
車の中から見るだけでは所々に集めてあるがれきの山と家が建っていた証のコンクリートの基礎部分だけは見えるのですがあのテレビや写真を見てなかったらここにあのもの凄い津波があ押し寄せたとは思いもよらないでしょう
一年経って草の緑があの悲劇を覆い隠してしまっています。
ガレキが見え無いと高台に残った家と手前の草の緑とが元からあったような、津波なんて無かったように錯覚してしまいます
続きは今夜どこかの宿から書きます
このあたりで野宿出来たら良いのですが、こんな爺がテントで寝ていたら不審者扱いされるのでまともな宿を探します

今夜の宿は久慈市のホテルで泊まる

2012年05月08日 | 自然災害復興祈願
三内丸山遺跡を出て三沢市を通過して八戸市に向かう。
八戸市も漁船などの津波の被害があったように書いてあったがフェリー乗り場に行ってみたところ痕跡が見あたらないのですぐに次の予定地久慈市に入り駅近くの久慈第一ホテルにチェックイン夕飯まで時間があるので窓から海の方向を見ると久慈川の河口の方向に青い海のようなものが見えたので久慈川の右岸に沿って歩いて出かけました。
だいぶ歩いてわかったのは海だと思った青いものは久慈川に架かる自動車道の橋に塗られた青色の塗料の色だったのです。
それでも歩いてゆくと久慈川に合流するもう一本の川の堰堤があって右岸からは越えられないこともわかりヘトヘトになってホテルに戻り地図を見るとホテルから海岸までは結構な距離があり歩いては夕飯前の散歩では無理だと分かりました。
夕飯でも失敗しましたがこの件は書かずにおきます。
明日は被害の大きかった宮古市に行きます。

慣れないタブレットで四苦八苦

2012年05月08日 | 自然災害復興祈願
敦賀港からのフェリーからブログを何遍も(3回だけ)送るがつながっていたのは一度だけあとの二つはどこへいったのか?
今朝五月8日朝五時半に予定より早く秋田港に到着、長年行きたかった青森県の三内丸山遺跡に向かう九時半から見始める
復元した縦穴住居や高床式の建物などだいぶ古くなって本もんらしくなって面白い。
昔登呂遺跡を見に行ったのを思い出しました。考古学は本式には学んでいませんが最初の結婚の仲人が樋口清之先生だったことからも好きでした。しっかり見学して資料の本など買い込んで次の。本来の目的地東日本大震災の被災地のスタート地点八戸市に向かいました

夜中に出るつもりが

2012年05月07日 | 自然災害復興祈願
夕食後突然の腹痛でトイレに駆け込み脂汗を流して、また東北の旅は延期か?
お茶や水分をとって悪いものを出して風呂に入り身体を温めて布団をかぶって寝ました
私は腹があまり丈夫でないので(その割にはいまだに大食いですが)時々腹をこわします。
その時絶対に下痢止めなどは飲まずに水分を補給して下痢を出し切ります。
そうすることで割合に後に引かずに治りも早いような気がします
三時半に目を覚まし四時に出発、国道162号線から一時間半で小浜へそこから一時間で敦賀港フェリー乗り場へ早くつきすぎて十分待って十時出航の大型フェリーで日本海を秋田へ
波もなく、暖かい日差しをデッキであびながら。
これが幸せ、極楽。神主が極楽というのも変ですが。スケジュールの無い軽自動車での一人旅、宿には泊まりますがテント一式、車中泊もOKの気楽な十日関の旅です
今船は能登半島の先を航行しているはずです