hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

椎名町駅〜南長崎駅(1)

2017-09-11 05:00:11 | 日記

『鉄道シリーズ』その180。前回に引き続き『始発駅の次の駅』第3弾、西武池袋線椎名町駅に降りてみる。実は西武池袋線の前身である武蔵野鉄道が1915年に池袋〜飯能を開通した時は池袋駅の次は『上り屋敷』駅であった。上り屋敷駅は山手線の高架を越えた先、池袋駅から0.9kmの所(現在はサンクスのコンビニがあるあたり)にあった。しかし、1945年に戦況悪化を原因に営業休止(戦後に正式廃止)している。

そのため、池袋〜椎名町は1.9kmとかなり長い駅間となっている。駅は豊島区長崎一丁目にあるが、以前は椎名町という地名が確かにあったか。しかし、1948年1月に発生した帝銀事件のため、その後『椎名町』という名前があるだけで土地の価格が下がると言われるほど忌み嫌われたため、1966年の住居表示変更(主に南長崎に変わった)で消滅、現在は公園や町会にわずかに残るほどである。


現在の椎名町駅は上下2本のホームをつなぐ橋上駅となっており、並行して通る山手通りが高架になっているため、北口・南口を結ぶ自由通路としても利用されている。


その自由通路にはかつての椎名町駅の風景やトキワ荘をはじめとした漫画家たちのことが書かれた資料が展示されている。

北口に降りると目の前に金剛院(長崎不動尊)、その横には長崎神社があるが、ちょうど秋の大祭の最中で駅前から所狭しと露店が出ている。


長崎神社の参道を上がるが、狭い神社の中には人が溢れるほど。神社を出たあたりに帝銀椎名町支店はあったようだが、その跡形もない。

次はトキワ荘方向に歩く。山手通りをまっすぐ行くのもつまらないので左に曲がると椎名町公園。

椎名町の名前が残されている。その先を左に曲がると住宅や寺などが並んでいる。間も無く目白通りにぶつかり、右に曲がるとY字路となり、トキワ荘通りと名付けられた商店街通りとのなる。(以下、次回)

亀戸水神駅

2017-09-10 05:00:24 | 日記

『鉄道シリーズ』その179。『始発駅の次の駅』第2弾として東武亀戸線亀戸水神駅を取り上げる。今でこそ東武鉄道の短い支線になっている東武亀戸線だが、1904年に亀戸〜曳舟が開業した際には亀戸が東武線の起点となり、さらに総武鉄道(現在のJR総武線)両国橋まで乗り入れ、そこから市電で東京中央部につなぐ経路が完成した。その後、1910年にはターミナルを吾妻橋に戻すことになったのでわずか6年ではあったが、脚光を浴びた時期もあった。


東武亀戸線亀戸駅は総武線の隣に位置し、日中は10分おきに曳舟行2両編成が出ている。現在は亀戸水神、東あずま、小村井の3駅が途中駅としてある。


亀戸駅を出て1分くらいで亀戸水神駅に到着。亀戸といえば『亀戸天神』が有名であるが、この駅と間違える人が絶えないらしく、駅には『亀戸天神の最寄駅は隣の亀戸駅です。亀戸天神(天神宮)と亀戸水神は違います』(冒頭の写真)と駅名標の隣に大きく書いてある。因みに亀戸水神駅までは0.7kmである。


亀戸水神駅は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で跨線橋はなく、上りホームについても電車が行くまでは待たされる構造。平均乗降客は3517人である。


肝心の水神様は改札口を出て、再度踏切を渡り、少し歩いた左側に存在する。小さな鳥居の控えめな神社である。


その先には蔵前橋通りが走り、さらにこれを渡り少し行くと常光寺がある。これは曹洞宗の寺院で江戸六阿弥陀巡拝6番霊場、また、亀戸七福神の寿老人としても親しまれている。

ただ、駅のそばにあるのは後は江東商業高校程度で民家とアパートばかりの静かな街である。

北沢川緑道を歩く(2)

2017-09-09 05:00:43 | 日記

前回に続き、北沢川緑道を歩く。せせらぎに沿いながら歩くが、川の流れは綺麗でよく見ると小さな魚たちもいるし、アメンボも水の上を器用に歩いている。



しばらく行くと萩原朔太郎が居を構え、詩集青猫の自序に出てくる『大都会の高圧線の青白いスパークを大きな青猫とイメージ…』とある第61番高圧鉄塔が鶴ケ岡橋からはよく見える。また、ここには『文学の小道』と名付けられた碑があり、斎藤茂吉のことも書かれている。

気がつくと周囲のアブラゼミがうるさく鳴き続けている木は全てが桜の木であり、橋も桜橋と名付けられていた。


そして、鎌倉街道が上を走る橋はここも鎌倉橋、確か杉並区浜田山で神田川にも同じ名前の橋があったことを思い出す。


三好達治の碑、二子橋、橋場橋と過ぎるが、ドーム型の二子橋、妙に欄干が高い橋場橋と特色がある。そして茶沢通りを渡ると少しせせらぎの周りの草が深くなる。


川沿いになぜか玄関があるが、よく見ると坂口安吾の文学碑。代沢小学校で代用教員をやったことがあるようだ。
代沢橋、中下橋、横光利一の碑、一本橋などが続けてある。こちらの橋もいずれの欄干も低いが、特にアーチ型の一本橋は可愛らしい。


稲荷橋、山下橋、福寿橋と通過するが、茶沢通りを越えてからは道が広くなっている。


そして、東急バスの車庫が見えてきたら、すぐに下代田橋で、淡島通りとクロスする。この先はもう少し同じような緑道が続き、目黒川緑道となっていくが、今回の緑道歩きはこの辺りで終了。

それにしても小さな橋がたくさんあり、さらに著名な文化人も数多くいたのはさすが世田谷区である。緑道もよく整備され、道の細いところは自転車も規制されているまさに散歩にはもってこいのコースである。

しぶそば〜鉄道会社対抗立食いそば食べ比べ(東急編)

2017-09-08 05:00:57 | グルメ

鉄道会社対抗立食いそば食べ比べ。第4弾、今回は東急が経営している『しぶそば』渋谷本店にお邪魔する。『しぶそば』は渋谷の他に三軒茶屋、中央林間、蒲田、大井町、青葉台、長津田など東急沿線と池袋に10店を展開している。

渋谷の店は『本家しぶそば』と称し、他の店より少し値段も高い。いつものたぬきそば(440円)といなり寿司(60円)を入口にいる女性にお金を支払うと彼女が厨房に大声で『たぬき』と叫ぶ。客は席に座っても、立ったままでもいいが待機する。すると別の店員がたぬきそばを持ってくる仕組み。

すぐにたぬきそばは登場、ちゃんと間違わず私のところに持って来てくれる。同業他社に比べ値段も高いが、乗せてある天かすも自家製のようで心なし多い。

まずは汁を飲むが、カツオ節の味がして美味い、好みを言うとやや辛めではあるが。乗せてある天かすはパリパリしていて食感もよく、あとはワカメが添えてある。できればネギもかけ放題なら嬉しいところ。そばは生そばを使っており、細めで柔らかい、これならせいろそばもいけそうである。座って食べる方が多いからか、汁も熱く、好感が持てる。

バックにはなぜかジャズがかかり、渋谷だけに若い女性客も多い。隣のボックス席のおじさんはゆったりビールなど飲みながら寛いでいたが、他の3つの席に若い女性客が来て、大声で話し始めたのでなんとなく可哀想であった。

通常店より100円くらい高級なそばのチェーン店である。入口で売っているおにぎりもバラエティに富んでいる。

☆評価
全体3.4、蕎麦3.3、出汁3.5、サービス3.5、量3.5、
サービスはBGMもかかり、居住性は悪くないが、やや暗い感じがする。天かすも美味く、満腹になる。(これはあくまで私の感想です、悪しからず)

本家しぶそば
渋谷区渋谷2ー24ー1東急西館2階
0334644957

北沢川緑道を歩く(1)

2017-09-07 05:00:02 | 日記

今日は小田急梅ヶ丘駅で降りて北沢川緑道を歩いてみる。梅ヶ丘駅南口は有名な美登里寿司本店をはじめとする商店街が各方向に充実しているエリア。


一方、北口はロータリーはあるが、羽根木公園以外はあまり何もない。北口から少し歩くと北沢川緑道に出る。この緑道は北沢川(現在は暗渠化)に沿って作られた緑道で世田谷区赤堤から世田谷区三宿まで4.3kmある。

梅ヶ丘駅近くから右に曲がり緑道をひたすら歩くのだが、元は川が流れていたこともあり、橋はそのまま残されている。最初の橋が古事記橋。その名前の由来に興味があるのだが、調べても出てこない。橋の上にはワニのようなオブジェが4つある。


しばらく行くと次の橋が公園橋、オブジェはカエルのようである。このあたりは両側がマンションが多く、その先には小田急の高架下をくぐり、道は続く。


小田急線を越えると左右が広くなり同時に草深くなる。ただ、その草の中には紫のギボウシやピンクのフヨウの花も咲き、また、風も通るため、セミの声を聴きながらも心地よい。
その先の橋は梅ヶ丘橋、一之橋、ニ之橋、三之橋、四之橋と続く。ニ之橋には古事記橋同様のオブジェが乗せられている。この辺りも草原が多いが、もうススキは穂を出し、ユリも美しく咲いている。



すると急に賑やかになり、環七通りにぶつかる。北沢川は宮前橋が架かっており、少し迂回して環七を渡る。


近くには円乗院という大きな寺があり、この前にある寺前橋からは緑道に沿って人工的に復元されたせせらぎが流れている。やはり、橋は下に川が通らないと格好がつかないものである。(以下、次回)


南新宿駅

2017-09-06 05:00:16 | 日記

『鉄道シリーズ』その178。鉄道、特に私鉄に乗っていると始発駅の次の駅にあまり降りたことがないことに気づく。①あまりに近すぎてわざわざ降りることが少ない、②軌道で展開して来た私鉄(京王、京浜急行)は始発駅が今と異なっていたり、途中駅が廃止されたりして駅間が逆に離れているなど実は特徴のある駅が多い。今回は思い切って『始発駅の次の駅』シリーズをスタートさせてみたい。


第1回はあっと言う間に着く方の代表格である小田急小田原線の南新宿駅にしてみた。小田急新宿駅は2層に分かれており、1階部分からはロマンスカー、快速急行、急行など優等電車が出る。その下の地下ホーム8.9番線は各駅停車のみが出発する。

各駅停車は日中は10分おきのため、しばらく待たされるが、急行ホームと違い、列もなく、人影も少ない。各駅停車本厚木行きに乗ると定刻に出発。薄暗い駅構内を走り、明るくなるかならない頃に『まもなく、南新宿』というアナウンスがある。そして南新宿駅ホームに到着。しかし、こんなに近くてもちゃんとホームには横浜銀行のATM、トイレ、エレベーターも完備、さらに有人駅である。


南新宿駅の歴史を見ると名前が2度変わっていて、今の名前は3つ目。1927年4月開業時は『千駄ヶ谷新田』、1937年には『小田急本社前』となり、1942年大東急(東急に小田急、京浜急行が、戦時特別法で吸収合併させられたもの、京王も1944年に合併)設立時に小田急そのものが解散したため、現在の名前となった。因みに現在の1日平均乗降客は3782人と少ない。


ホームは相対式2ホームだが、地下で繋がっている。改札口を出ると駅前とは思えないような狭い道が左右に走る。これを左に曲がり、右に坂道を登ると小田急南新宿ビルの横に出るが、これが元の小田急本社(現在も本店所在地)である。

1945年に駅が戦災で焼ける前には150m新宿駅寄りにあったとのことなのでこのビルのすぐ前に駅があった模様。


その先には小田原線最初の踏切があるが、車の交通量も多く、ひっきりなしに来る小田原線のため、よく閉まり、渋滞をしている。渡ると右側に山野美容専門学校の大きなビル、そのまま行くとJR代々木駅に向かう道である。


こう考えると新宿というより、完全に代々木エリアにあり、不思議なのは駅名。駅名は南新宿駅だが、渋谷区代々木2丁目に存在することである。

キキョウの切手

2017-09-05 05:00:32 | 日記

『切手シリーズ』その67。秋が近づくと花屋に並ぶ桔梗(ききょう)の鉢、その凜とした美しさには目が止まる。桔梗は秋の七草にあることはご存知だろうか。その由来とされている『はぎ、おばな、くずばな、おみなえし、ふじばかま、あさがお』の山上憶良にある『あさがお』は『ききょう』であるというのが定説なのである。

そんなこともあり1961年発行の『花シリーズ』では9月はききょうの花が描かれている。因みに、8月は『あさがお』、10月は『リンドウ』である。

秋の花とは言うものの、実はききょうは開花期間が長く、6〜9月であり、我が家のききょうの花は7月に終わってしまっている。花も5角形の美しい紫(白もある)だが、蕾も折り紙で折った風船のようで可愛らしい。また、稀には八重咲きのものもあり、奈良のお寺で見つけた際には感動した。

ところで切手だが、花シリーズの次に発行されたのは1985年9月の高山植物シリーズ第6集のチシマギキョウである。

1993年9月の四季の花シリーズ3集では尾形光琳画の『画帖ニ帖にある桔梗図』が取り上げられている。

ふるさと切手では2006年6月に九州の有名観光地と花で『平尾台とききょう』として発行。さらに7月の神奈川県の花の一つとして発行されている。

また、2011年11月の季節の花シリーズ第1集と第2集して2枚が発行されている。


しかし、都道府県の花(例えば東京都の花はソメイヨシノ、茨城県の花はバラ)でないこともあり、代表的な日本の花ながら、普通切手には残念ながら登場していない。

西新井ラーメン〜鉄道会社対抗立食いそば食べ比べ(番外編)

2017-09-04 05:00:15 | グルメ

鉄道会社立食いそば食べ比べ、番外編。私鉄の立食いそばは私鉄の関連会社がサイドビジネスとして行なうケースが多い。小田急、京王、京浜急行、東急、東京メトロ、JR東日本などである。しかし、東武鉄道や京成などは業者にやらせている。

今回ご紹介する東武鉄道の場合は複数業者が入っていて、例えば北千住駅は小諸そばが構内に店を出している。その中で東京スカイツリー線西新井駅3・4番線に業者が店を出しているが、これが『立食いそば』ならぬ『立食いラーメン』なのである。店の名前は『西新井ラーメン』、そのままである。この店は以前に訪れた際に覚えていたもので駅舎内にラーメン店は珍しいことではないが、ホームにラーメン専業店というのは珍しい。

戻って来た酷暑の中、熱いラーメンを食べる人はやはりそれほど多くはないが、それでも客は途切れない。私は券売機で『チャーシュー麺』(650円)にしてみる。

店のおばさんに食券を渡し、『ラーメン一丁』と言うと奥の煮えたぎる鍋の前にいるおじさんがラーメンをひと玉鍋に放り込む。火加減を見ながら数分間、慣れた手つきで平たいザルで湯切り、つぎにスープも注ぐ。おばさんはチャーシュー、ナルト、半分のゆで卵、メンマ、ワカメを並べ、最後に刻みネギを振って提供してくれる仕組みである。

味はというと、いわゆる東京ラーメン風の醤油味、麺も中太縮れ麺。スープもそれほど濃い味ではなく、また、熱さもほどほど。もし、アツアツならば大体丼が持ち上げられないが、そのあたりは工夫されている。チャーシューはバラを巻いて作られた煮豚系で5枚も入っている。他にも具は多く、ボリュームも満点。

お店はメニューにも工夫しているようでラーメン(450円)、チャーシュー麺以外にワンタン麺、味噌ラーメン、キムチラーメン、ご飯ものはカレーライス。季節メニューの冷やし中華やザルラーメンまである。

暑いホームに立って食べている私以上に暑い厨房で煮えたぎる鍋の前にいるおじさんとおばさん。『暑いでしょ〜』と声をかけるとおばさんが『ほんと、水着で来たいくらいだよ。だけど私が水着を着たら、お客さんがこないかな?』と談笑。下町ならではの駅ホームラーメンは楽しかった。

それにしても不思議なのは他の客も冷やし中華ではなく、みんな熱いラーメンを食べていること、来る人は覚悟を決めて来るのかな?

東松原駅

2017-09-03 05:00:53 | 日記

『井の頭線気まぐれ散歩』その11。今回は東松原駅を降りてぶらぶらする。東松原駅は池ノ上駅や西永福駅、富士見ケ丘駅などと同様に駅を降りると南北に商店街が続いている。

駅の地図を見ると北側には何もないので南側に向かって商店街を歩く。結構古い商店街で豆腐屋や酒屋、花屋なども健在である。

道は細く、車が行き交うのがやっと、少し歩き、左に曲がると羽根木公園の入口に出る。羽根木公園は梅まつりが有名で今までに2回、東松原駅を利用したのはこの2回のみである。


公園は縦長で反対側には梅ヶ丘駅、入ってしばらく行くと野球場や運動器具が備え付けてある『健康遊具ランド』。


お爺さんが鉄棒をやっていて、その隣の水飲み場では鳩が暑いからか水を飲んでいる、のんびりした光景。


銀杏並木の途中を右に曲がり、公園から出て右に曲がると森のようになっている。これが『松翁稲荷神社』、木が鬱蒼と茂る中に小さな鳥居がある。神社の社は小さく、敷地は結構な広さがあるが何も建てられていない。


神社を出て広い通りまで行くと、右手に北沢税務署。

その先の変形四つ辻には『徳明地蔵尊』、江戸時代から続く地蔵だが、昭和初期に子供が死ぬなど不幸続きのため、地元の人たちが地蔵堂を立て、大切に守っているものである。


それにしても道はよく曲がり、さらに太くなったり、細くなったり。方向性が掴めないが、そのまま歩くと東松原駅に戻る。

どんとね〜京橋ランチグルメ

2017-09-02 05:00:01 | グルメ

九州旅行以来どうも食生活が博多がかってきている。今日は昼飯を食べる場所をさがして京橋の東京スクエアガーデンを歩いていると、あるんです博多うどんの店が。名前は『どんとね』、夜は居酒屋になるようである。

早速入店すると威勢の良い店員がメニューを示す。うどん単品とセットメニューを比較してセットの割安さに負け、『博多うどんと牛丼』(900円)をお願いする。後で『ごぼう天うどん+かしわ飯』でも840円だったなと後悔する。

すぐにやってきたうどんも牛丼も結構な量、机の上の2種類の揚げ玉は赤いのがエビ入り、白いのが普通の揚げ玉で自由に入れていい。

まずはうどんを一箸、ツルツルで柔らかい麺はしっかり博多風。ワカメも入り、麺の量も結構ある。ただ、ツユはどうも塩辛いように思う。博多のうどんは薄口醤油で味付けるが、塩味の後ろに仄かな甘さがある筈なのだが。ダシはしっかり効いているが、塩味が強い。

次に牛丼、バラ肉の薄切りを甘辛く味付けた丼は中々美味い。肉も多く乗せられているので2切れほどをうどんに入れるとこれは美味い。やはり肉うどんが正解だったかもしれない。

もう一つ残念なのは揚げ玉がやや古く油臭いように感じられたこと。家でつかうパーム油で揚げた揚げ玉と違い、菜種油やごま油で揚げた揚げ玉が美味いのだが、日持ちがしない。このあたりはまだまだ工夫の余地があるかも。

ただ、ツユの塩がかっている以外は美味く、量も十分でコスパはいいと感じた。ごちそうさまでした。

どんとね
中央区京橋3ー1ー1東京スクエアガーデンB1
05055941577