hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

有馬記念

2013-12-11 06:46:13 | 日記

競馬は殆どやらないが、新橋界隈を歩いていると日本テレビの前あたりに有馬記念のブースが出来上がり、本物と見紛うばかり今にも駆け出しそうなディープインパクトの模型が立っていた。そこでふと気づいたのは、なぜ『有馬記念』なのか?『有馬』は地名?人名?が気になる。

G1レースと言われている中央競馬の重賞レースには日本ダービー、オークスを始め、全部で22あるが、その中で○○記念と付くものは高松宮記念、安田記念、宝塚記念、有馬記念の4レース。

まず高松宮記念だが、数少ない中京競馬場のG1レースで、かつては高松宮宣仁親王から高松宮杯が競馬と競輪に賜与されていたので高松宮杯と言われていた。しかし、競輪の方でその杯のやりとりが皇族経済法に触れるのではという議論が起き、1998年から杯がなくなり、今の名前になった。
安田記念は日本ダービー創設など日本競馬に尽力した初代JRA理事長の安田伊左衛門の名前をとったもの。
宝塚記念は開催される阪神競馬場が宝塚市仁川駅近くにあるのでその名を取り、その名がついた。

そして有馬記念だが、先程の安田理事長の後を継いだ二代目理事長有馬頼寧が、理事長職にあった際に暮れにも日本ダービーのようなレースを作りたいとして1956年にファン投票で出走馬を決める中山グランプリをスタート、これが大成功を収めた。

しかし、有馬が翌年1月に急逝したため、その提唱者の名前を付けて1957年から今の有馬記念競走と呼ぶようになったのである。
これだけの重賞に提唱者の名前が二人も入っているとは、調べると面白いものである。ところで今年はどの馬がくるのか、来年の午年を前に。


エチオピア 高田馬場グルメ

2013-12-10 00:01:01 | グルメ

カレーを高田馬場で食べるなら、エチオピアと決めている。別にアフリカ風のカレーが出て来る訳ではない。この店は神田小川町で1988年創業だが、元々はコーヒーの店として名を上げた。その店のエチオピアコーヒーがうまかったことからその名前をとってカレーの店にしたもの。だから、カレーとエチオピアは関係はない。


店は早稲田通と明治通の馬場口交差点を少し早稲田に向かったところにある。カレーにはビーフ、チキン、エビ、野菜、豆などの種類があり、その組み合わせもできる。小生はいつものビーフカレー(880円)を注文、辛さは3倍に留めておく。この店の売りの一つが70倍まで辛くしても値段が変わらないところだが、今日は3倍以上頼む人はいなかった。


まず始めにジャガイモのふかしたものとバターが供される。皮だけ剥いて食べるのは我慢。そのうちカレー登場。

ここのは肉が大きく、ライスもたっぷりある。一口食べるとスパイスがよく効いており、特にコショウや生姜が存在感あり。小生の流儀は食べる際に先程のジャガイモを3つ位に割って皿に投入。始めは辛味は感じないが、徐々に辛く、また熱くなるとジャガイモとライスさらに福神漬を混ぜて食べ進めていく。なかなかのボリュームでライス終了後も肉の塊が3つ残るほど。さすがに専門店の味に堪能する。

ランチタイムは最後にプリンが出てきて辛味に包まれた口の中を中和してくれる。量も質もお値打ちものだが、増しライスは50円、増しルーもあり、大食いでも満足いくはずである。


エチオピア 高田馬場店
新宿区西早稲田1ー28ー1
0332071992

高田馬場界隈

2013-12-09 06:39:55 | 日記

久々に高田馬場駅、しかも戸山口に降りた。駅前と行ってもあるのはサンクスくらい、坂を登ると公団住宅ととても山手線の駅とは思えない。周囲にはユーキャンの本社やかんざしの博物館などもあるらしい。仕事を終えて、昼時になったので付近を散歩して昼食場所を探すことに。だんだん井の頭五郎のようになってきている。

低いガードを越えて坂を降りた所にあ駅早稲田口は西武新宿線の乗り換えもあり、賑わっている。駅前に相変わらずのBigBoxといつの間にできたドン・キホーテが幅を利かせている。また、最近有名になった夜は寿司屋になる立食い蕎麦屋もある。


早稲田通りを早稲田方向に1分ほど歩くと戸塚第二小学校。都会の小学校は賑わいの中でポツンと残され、なくなって行くことがままある。『新宿區諏訪町201番地』と書かれたかなり歴史のある門がある一方で、隣りのカラオケビルとは接触しそうな近さ。長い間このあたりを見守ってきたのであろう。


このあたりに多いのが、飲食店、特にラーメンやカレーの店、パチンコ、カラオケが立ち並ぶ。きっとワセダの学生御用達なのだろう。昔、ワセダの人に誘われた稲門ビアホールはないような気がしたが。

少し行くと早稲田松竹、相変わらず映画3本立てを安い値段で見ることのできる名画座。池袋の佳作座、銀座の並木座、飯田橋のギンレイホール、自由が丘の武蔵野推理などと同様に学生時代に通った小屋の一つである。ビデオやDVDもいいが、やはり映画は大きなスクリーンで見るものである。こうした名画座は経営的には大変だろうが、頑張って貰いたい。高田馬場周辺は新しいビルもあることはあるが、まだまだ昭和の残る懐かしい場所である。


昼食はその先のカレーと決めているが、食レポはまた別途としたい。


トロリーバス

2013-12-08 08:32:16 | 日記

鉄道シリーズその25。今回はトロリーバスについて載せて見たい。トロリーバスは道路上に張られた架線から取った電気を動力として走るバスである。また、トロリー(trolley)とはポールの先端にある滑車のことである。鉄道の扱いを受けており、無軌条電車と呼ばれている。

トロリーバスのメリットは電気で走ることから排気ガスや騒音も少ないなど環境に良いばかりでなく、かつては力の弱いバスより、安定し、しがも長持ちするメリットを活かして大都市には敷設された。しかし、路面電車同様道路の混雑の際に優先通行をしたため、その解消の必要性が高まり、一方で高性能のディーゼルエンジン搭載の新型バスが開発されたことから、都電のように惜しまれることもなく、大都市からは消えていった。

トロリーバスの歴史は古く、1882年にドイツで開発された。日本では今の阪急が花屋敷~新花屋敷間1.3キロに1928年に建設したのが、嚆矢。ただ、運転効率が悪く僅か4年で廃止されている。都市で本格的に導入したのは1932年に導入した京都市。京都は市電も日本初であり、進取の気性があるなかもしれない。東京、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸の各都市に導入されたが、最後まで残った横浜市のトロリーバスが廃止されたのが、1972年であるから40年の僅かな期間しか活用されなかった。トロリーバスの記憶は京都市のトロリーバスを見た微かな記憶があるのと、池袋に買い物に来た際に妙な路面電車のようなバスが走っていて、行き先が浅草雷門でどこにあるのかを考えてわからなかった程度の記憶しかない。

今も日本でトロリーバスが頑張っているのがいずれも黒部アルペンルートの立山黒部観光立山トンネルトロリーバス(室堂~大観峰)と関西電力トロリーバス(扇沢~黒部ダム)の2路線で国立公園内にあり、環境を考えてのためと、長いトンネル内で排気の問題があること、そして後者は電力会社が経営しているためである。ただ、残念ながらまだ黒部アルペンルートは行った事がないのでまだ小生は乗ったことがない。


海外では、結構まだまだ頑張っている(東欧やオセアニア、アメリカなど。)のに、土地の狭い日本では殆ど普及しなかったトロリーバスだが、環境対応とハイブリッド(架線のある場所では電気、ない場所では低公害エネルギー(またはバッテリーで動く)の開発で復権することはあるだろうか?

千両、万両

2013-12-07 00:04:10 | 日記

そろそろ、クリスマスのポインセチアやシクラメン、お正月の梅や松などを用意する季節となってきた。
我が家では庭に数年前から千両を植えて赤い実がなるのを楽しみにしているが、昨年は赤い実がなる頃に網で覆ったにもかかわらず、大量の野鳥が来て、ほぼ1日で全て食べ尽くされ、止む無く鉢植えを買う羽目になった。

そこで今年は実が青いうちに網をかけようと相談していた週にまた鳥たちがやって来て、青い実を全て食べ尽くして行った。幸い、万両の鉢植えは難を逃れたが、野鳥が集まり始めたので、今は止む無く網を被せている。駅に向かう途中にある家は全く網も被せてないのにもかかわらず、赤い実がたわわになっているのに。ヒヨドリやカラスは可愛くないが、メジロのつがいやシジュウカラは見た目も可愛いのでしょうがないが。

ところで、園芸店に千両を見に行ってびっくりしたのが、千両、万両以外に一両、十両、百両が存在していたこと。鳥に実を食べられた話をすると、千両はセンリョウ科で先端に実がなるが、万両・百両・十両は何れもサクラソウ科で、百両は別名カラタチバナ、十両は別名ヤブコウジという名があり、茎の下の方に実がつく。そのため、千両の実は野鳥に最も食べられやすいというのが、園芸店の人の話。

また、一両とはアカネ科の植物で、葉の上に鋭いトゲがあり、アリドオシの別名がある。お正月には万両と千両そしてアリドオシを飾り、『千両、万両、お金がアリドオシ(有り通し)』とするのが、本当に縁起が良いことらしい。是非、次のシーズンにはやってみたい、もちろん野鳥に実を食べられなかった場合だが。(なお、写真は順に千両、万両、一両、十両、百両である。)



いわて銀河プラザ

2013-12-06 06:33:48 | 日記

アンテナショップその4。ぐんまちゃん家から晴海方向に歩いてすぐのところに岩手県のアンテナショップ“いわて銀河プラザ”がある。ぐんまちゃん家に比べるとはるかに広く、品物の数も来店客も多い。


外にはわんこそばを模したディスプレイがあり、中ではちょうど一関市のリンゴなどを揃いの法被を着た人たちが大声で売っていた。


中に入ると約3カ月前はあまちゃんブーム最高潮で売り切れていた“まめぶ汁”も入荷したらしく大大的に売られていたが、手に取る人が多い。海産物はイカやホッケの一夜干し、肉は岩手牛、他にも漬物、生そば、珍味、地元にしかない名産品など種類も多い。また、前に買ったが、ここのどら焼は色々な味があり、辛党の小生でも美味い。酒は南部美人、酔仙、あさ開、七福神、月の輪など多数あり、ほかにも地ビールや焼酎、地元ワインなど多数。小岩井農場のコーヒー牛乳も売っている。


民芸品は南部鉄を使った鉄瓶や文鎮、やや季節はずれながら風鈴、来年の干支なのか”チャグチャグ馬コ”の置物など多数ある。


入口の自販機も岩手県の飲み物で揃えられている。観光案内所にはあまちゃんのポスターは三枚も貼られ、人気のソフトクリームは『ずんだ』味などとにかく徹底している。今までに回った4カ所の中で最大かつ最高のアンテナショップである。じぇ!じぇ!じぇ!


ぐんまちゃん家

2013-12-05 06:47:11 | 日記

アンテナショップその3。東銀座の歌舞伎座のほぼ向かい側に群馬県のアンテナショップ“ぐんまちゃん家(ち)“がある。入口にぐんまちゃんの写真パネル、そしてゆるキャラグランプリの投票御礼が書かれている。因みにぐんまちゃんは今年は3位、昨年も3位となかなかの人気を誇るゆるキャラである。

このアンテナショップはあまりスペースが広くないため、細い通路に加え、品物もつめこまれている。入口には水沢うどん、柚餅子、干し芋などで神津牧場のソフトクリームが1番人気。日本酒は尾瀬の雪どけや群馬泉、赤城山、巌などかなり充実している。



ただ、ないものねだりではないが、奈良県同様やはり内陸の県は海産物がないからか、やや食品は寂しい。


伝統工芸品はダルマ、桐生織、変わったところでは下仁田ねぎペンや群馬県の県民手帳まで売っている。ぐんまちゃんコーナーは充実しており、人気の高さがよくわかる。

2階はレストランとトイレだが、レストランではJA利根沼田の一日限定レトロカレーショップをやっていたが、食後のため、食べられなかったのは残念。

場所は三原橋交差点といい場所にあるが、全体的にやや狭く、形もいびつなため、その活用に苦労の跡がしのばれる。ただ、それを頑張って人気のゆるキャラ『ぐんまちゃん』を使って明るい雰囲気を醸し出している。

警察博物館

2013-12-04 06:42:56 | 日記

京橋から銀座方面にむかい中央通りを歩いていると、左側に警察博物館があった。特に寄るつもりもなかったが、正面に起震車のような車が止まっており、少し見ていると、これはシートベルト体験機で武蔵境教習所に1台だけあり、シートベルトの重要性が体験できますと婦人警官に熱心に誘われたのでつい乗って見た。

これはシートベルトをして一周回る仕組みで横転するとどうなるかを体験できる。ちょうど天地が逆になるあたりで止まるが、確かに身体は固定されたままである。事故本番は怪我もしているだろうが、外には放り出されない重要性は体験できた。もちろんこんな体験は役に立たないに越したことはないのだが。体験後、エコバックとストラップを頂いた。


その後、せっかくなので博物館内も見学。まず、4階まで行き、降りてくる。各県警のバッチや昔の制服、東京オリンピックのファンファーレを吹いたトランペット、初代の警察犬などあらゆる警察関連の展示や警視庁の仕事を解説したビデオなど多くの資料が目にすることができる。その一角に不幸にも職務中に命を落とした殉職者の写真も飾られていた。中に浅間山荘事件で命を落とされた2人の遺品も飾られ、胸をうつものがある。

1階には昔から最近までの白バイが展示され、子供用の制服の貸し出しもあり、着て写真を取ることもできる。無料ながら結構楽しく、また興味深く見て回った。ここにいる警察関係者は皆表情が柔らかで、警察のこうした一面も垣間見みることができた。


奈良まほろば館

2013-12-03 06:46:39 | 日記

アンテナショップその2。奈良まほろば館は入口に”せんとくん”がいるから、すぐに分かる。場所は銀座線三越前駅下車A1入口を出るとすぐ前。

中は入口に近い小さな喫茶部分と奥側のショップ部分に分かれる。ショップ部分だが、通常のアンテナショップは食品の販売がは全体の7~8割を占めるにもかかわらず、奈良県の場合は食品は奥にあるだけで、後は奈良グッズや工芸品が多い。食品は名物柿の葉ずしをはじめ、柿ゼリーや日本酒、餅など菓子類、お茶など。海が無い奈良県だけに海産物は当然なく、そのために食品販売のスペースがせまいのかもしれない。


工芸品は伝統的に全国有数の産地である筆や和紙、墨、靴下、扇など数多く並べられている。驚いたのは仏像のレプリカ、浄瑠璃寺の吉祥天像や興福寺の仏頭など安ければ欲しいものばかりである。



喫茶部分はテーブルが4つと外に面したカウンターのみで日当たりもよく、これからの季節は晴れの日はポカポカして気持ちがよい。丁度お昼どきだったのでランチの煮麺と柿の葉寿司のセットを頂く。煮麺にはエビ、じめじ、小松菜などが入り、あっさり味。柿の葉寿司は鮭とサワラが一つずつ、味は折り紙つき。かりんとう饅頭がデザートに添えられ980円。

昼なのにあまり混雑もなく、ほっとする昼食となった。“まほろば“と名付けただけに周囲と時間の流れかたが違うようなスペースである。


神楽坂界隈

2013-12-02 06:45:30 | 日記

飯田橋から神楽坂に向かう。地下鉄有楽町線飯田橋駅出口を出ると名物ペコちゃん焼きを売る不二家の隣に出る。


ちょうど昼どきなのでランチのビラを配る人で一杯。


昼飯は坂を少し上り、左手にある天下一品でランチセットを注文。毎日、チャーハンでは芸がないのでチャーシュー丼+こってりラーメン(820円)はボリュームもある。この店はメニューも多く、なかなかいい。

そういえば、神楽坂通は一方通行ながら12時でその方向が変わる。というのは午前中は坂を下る方向へ、逆に午後は坂を上る方向へ、そのため昼飯を食べているうちにその方向が変わっていて少し驚いた。

坂を登り、中華マンで有名な五十番の向かいあたりに善国寺がある。1595年に建立された日蓮宗の寺院で毘沙門天が祀られている。開基は徳川家康、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門といわれた由緒ある寺で、今も山手七福神の一つに数えられている。


さらに行くと神楽坂通と大久保通の交差点が神楽坂上の交差点だが、ここはどちらの方向からも坂を下った所にあり、『坂上』とは妙な名前である。因みにこの交差点近くには銘酒酒場の『かも蔵』『霽月』などがある。


更に坂を登ると東西線神楽坂駅、周辺にはもう滅多に見ないタバコ屋や米屋もあり、懐かしい雰囲気がある。

もう、紅葉も終わり、木の葉が落ちた木を切るなど冬支度真っ盛りの神楽坂は流れるリズムが違う。ただ、坂下あたりの古くからの瀬戸物屋や和菓子屋などはビルになり、少し変わっては来ているが、やはり神楽坂は散歩したくなる町である。