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『鉄道シリーズ』その246。都営地下鉄三田線スタンプラリー①。このスタンプラリーもサクラトラム(都電荒川線)、日暮里舎人ライナー、地下鉄浅草線、大江戸線と回ってきて、残りはいよいよ都営地下鉄三田線と新宿線を残すのみとなった。
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都営三田線は起点が目黒駅だが、同じく東京メトロ南北線と東急目黒線が相互乗り入れをしていて駅の管轄は東急となっている。さらに目黒駅〜白金高輪駅までは南北線と三田線が共用しており、東京メトロが第一種鉄道事業者、東京都交通局が第二種鉄道事業者の関係にある。平たく言うと都営三田線は目黒駅も白金高輪駅までの駅や線路も借り物ということになる。
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そのため、目黒駅・白金台駅・白金高輪駅には都営三田線のスタンプは設置されていないのである。
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三田駅のスタンプには『勝海舟・西郷隆盛会談の碑、慶應義塾旧図書館)が描かれている。また、都営浅草線のスタンプも三田駅とほぼ同じデザインである。
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芝公園駅はその名前の通り、芝公園のところにあり、スタンプの図案は当然『東京タワーと増上寺』である。
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次の駅である『御成門』、都営浅草線の駅である『大門』の2つは共に増上寺に関わる地名である。
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御成門駅から歩くとすぐのところに御成門がある。御成門は増上寺の裏門で徳川家菩提寺である増上寺に将軍家がお参りする際にもっぱら用いられたため、その名前となった。
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ただ、スタンプの意匠は『愛宕神社の階段とクルミ』をイメージしたものである。愛宕神社の男坂にあたる階段は別名出世の階段とも呼ばれている。これは1634年将軍家光が芝増上寺にお参りした帰り道、愛宕神社下を通った。愛宕神社には紅白の梅が咲きほこり、これを見て家光は『馬に乗り、あの梅を取って参れ』の命令した。
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しかし、急な石段を見て近習の家臣は誰も動かなかった。その中で丸亀藩士曲垣平九郎が馬に乗り、石段を登り、梅の枝を取り、石段を降りることに成功した。家光は『泰平の世にありても馬術の鍛錬を怠らない姿勢を称賛した故事から出世の階段と呼ばれるようになったものである。
(以下、次回)