『改めて日本語について考える』その44。普段使っている言葉に仏教に由来するものは多い。
寿司屋に行った時に米のことを『舎利』というが、よく考えると気持ちが悪い。舎利はサンスクリット語のシャーリーラの音から来ている。シャーリーラの意味は『骨、骨組み』という意味で真っ白なお米がお釈迦様の遺骨である仏舎利のようだということに由来している。
人形町に『喫茶去』とついた老舗の喫茶店がある。この喫茶去とは『お茶を召し上がれ』の意味だが、元は中国・唐の時代の禅僧・趙州従諗の言葉にある『お茶を飲みに行け、お茶を飲んで目を覚ましてこい』という意味であった。
よく落語のまくらに使うのだが、賭け事の言葉にも仏教の言葉が多く使われている。『ご開帳』『てら銭』『道楽』『坊主になる』『鉄火場』などがこれにあたる。
まずご開帳だが、仏像などを寺で公開することを指す一方で賭場で博打を始める時にも使う。ご開帳とは元々寺社の修復等を行うために寺宝である仏像を時期を限って大衆に見物をさせ、これにより寄進を得ることを指した。このため、賭場を開く時も同じように使ったものであろう。
道楽は元々は修行により得られた悟りの楽しみのことを指すが、『道を求めようとする願い』→『それにより得られた楽しみ』となり、これに堕落が転じた『道楽』が加わり、よく使われる『道楽』『道楽者』となったらしい。因みに仏教の修行により得られた悟りの楽しみのことは『道楽(どうぎょう)』と言う。
テラ銭は博打や賭場で場所を提供する者に支払う金銭のことを言うが、これは江戸時代に町奉行の管轄外であったお寺で賭場が開かれ、博打による儲けの一部をお寺に寄進したことに由来するとの説もある。
普段から知らずに使う言葉の中に仏教に由来するものの多さには驚いた。言葉の由来は知ると面白い。