hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

久我山の坂

2014-09-26 06:13:19 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』シリーズ その6。我が家のそばの久我山の坂にも名前が付けられていることを発見、早速書いてみたい。皆さんはあまり久我山駅で降りられたことはないかもしれないが、駅は神田川に面しており、北口も南口も駅と垂直方向に緩い坂になっており、今回はその北口に集中している。



まずは『元坊坂』、久我山稲荷の西脇にある坂で坂の上には鳥居がある。今は廃寺になった光明寺という寺があったことから、この名前が付いたらしい。因みに10月第1週にはこの神社のお祭りで町内を神輿が練り歩く。


次は久我山駅前から『馬車道』を横切って北方向になだらかに登っていく坂。名前が『御女郎坂』、ただ、残念ながらこの名前は由来がよく分からない。


更に久我山駅北口からすぐに交差する『馬車道』を富士見ヶ丘方向(右手)に歩き、人見街道との交差点を左に曲がると『笠森坂』、この坂だけはちゃんと名称を示した看板がある。この先の「うえみち」を右に曲がった所にある小作氏の家の中に笠森稲荷が祀られているのでこの名がついた。因みにこの周辺の地主は小作・大熊・秦といった姓が多い。


坂ではないが、人見街道を富士見ヶ丘方向に行くと庚申塔がある。この塔は享保7年(1772年)銘で道標の役割も果たしている。側面には『これよりひだりは府中三(み)ち』『これよりみぎいのかしら三(み)ち』とあり、井の頭弁財天の信仰者の道しるべとしたものと思われる。

普段はあまり気にも留めていない坂や庚申塔にも名前や由来があることを調べてみるのも「きまぐれ散歩」らしくていいのかなあと自己満足。まあ、今回はあまり取り上げるほどでもなく、江戸の坂とは言えない、あまりにマイナーな番外編で失礼。

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