遙かなる高き峰々より吹く風に応えて

その風は、ぼくに呼びかけてくる・・・。

久保田

2009年02月11日 | つれづれなるままに・・・
 月曜日は土曜の代休だった。が、家の洗濯機が壊れ大急ぎで新しいものを探す。いつぞやの水浸し事故で基板が水に濡れて、壊れてしまったためだ。
 じい・ばあには申し訳ないが今後洗濯機には触れないようにしてもらうしかない。
 なんとか、月曜中に新しい機械が届き、溜まっていた・・・といってもわずか一日分だが、洗濯をすることができた。ほっ・・・。

 して、昼からはぼくの母親のところに行く。こちらはえらく元気だ。とはいっても、往年の「厳しさ」は大分うすらいだ。
 シュークリームを買っていった。「全部食べていいよ」と言うと、にこっとした。やはり、食べたかったのだろうね。
 母が住んでいるマンションは造りがよく、しかも、陽射しが入るせいか、日中はストーブを消していてもまったく寒くない。夜にいくらか点火するだけで過ごせるのだ。

 しかし、これだけで一日は終わり。物置の雪降ろしもレコード収納ボックスも作る余裕がない。まぁ、しかし・・・じいちゃんにつきあって、久保田の日本酒をちょっぴり飲む。~うまい・・・が、たちまち酔ってしまう。
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氷点下20度以下

2009年02月08日 | 山歩き~
 別狩岳の途中約600mぐらいまで登ってきた。同行者はフェルさん、T野さん、Koshiさん。
 あいの里あたりは猛吹雪だったが当別町に近づくにつれ青空が広がり、別狩岳周辺は晴天。
 しかし、今年は本当に雪が少なく、スノーブリッジはいつもの10分の1程度、雪も重めですばらしいパウダーを期待していたのだが、イマイチ・・・。
 それでも、ここは展望も素晴らしい。ピンネシリ、神居尻山等がすっきりとみえる。ただ、群別岳周辺には雪雲がかかっていた。

 ところで、6日、7日と店舗に行ったのだが、その際、冷凍庫に入ってみた。さすが冷凍庫、氷点下20度以下の世界。厳しい寒さだ。先日の積丹岳の稜線も同じ温度で、かつ、風雪が厳しかったようだ。
 このような環境ではぼくらが着るアウターでは寒さをしのぐことはまず不可能だろう。保温力のあるダウンの本格的なアウターでなければ生存することは無理だ。
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早出

2009年02月07日 | 山歩き~
 さてと・・・書き始めようと思ったら明日は早い・・・寝る時間だ。
山行は早出が原則だ・・・。

 それにしても、ザックが重い。小さい・・・。
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ビヴァーク・セルフレスキュー?

2009年02月05日 | 山歩き~
 無意根山も今回の積丹岳もビヴァーク後に死にいたっている。
 考えてみれば、ビヴァークについての実体的イメージがあまりにも貧困なことに驚かされる。
 保温・防寒、食料などくらいしか浮かんでこない。一晩のそれが精神的・肉体的にどの程度のダメージを与えるのかということも貧弱な知識でしかない。
 単にツェルトをもって、よさげな場所に雪洞を掘って、そこでじっと我慢していること・・・としかイメージ浮かんでこない。特に一人でビヴァークすることがどんなことなのか、想像力が欠如している。
 雪崩に対しては相当の知見と対策が集積しつつあるが、ビヴァークに対してはどうだろう?斜面があれば雪崩の可能性は常につきまとう。が、ビヴァークに対してはほとんど想定していないのではないか。
 しかし、そろそろもっと真正面からとりあげてもいいのではないか?

 2月は息子とぼくの母親の誕生月である。母親も80歳間近だ。そろそろ、考えなくてはいけない。一緒に暮らすには手狭なこの家。だからといって、新しく構えるだけの財力もない。じい・ばあ3人とうちら家族3人で6人かぁ~。
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節分の日

2009年02月03日 | 山歩き~
 久しぶりに札幌にも北海道の冬らしい雪が降った。乾いたふわふわの雪。
そして、寒さも冬らしい寒さ。これがやはり北海道なのだ。とはいっても、札幌は暖かい街だ。

 積丹岳でまた一人のボーダーが亡くなった。冥福を祈りたい・・・。
積丹半島は季節風のとても強いところだから、標高が低いからといってそれは目安にはならない。
 今回遭難した方は冬山についての知識を持ち合わせていたと聴くから、相応の対策はしていたに違いない。それなのに・・・それなのにである。
 雪洞でビバークして、翌日稜線で発見されたのは、どんな行動に移ったからなのだろう?無線ももち、雪洞で待機避難を続けていればそのような結果は招かなかったかもしれない。しかし、事実関係がよくわからないのだから、憶測はやめにしておこう。
 
 このようなことに遭遇する、対処しなければならなくなる、ということは誰しもありうることなのだと強く刻んでおきたい。けっして、難しい山ではないから、という安易な心は捨てなくてはならない。
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今日もまた雪崩講習会

2009年02月01日 | 山歩き~
 今日は雪崩研究会主催の雪崩講習会。場所は先週と同じく中山峠だが、いくらか違う。
 講師の一人はやまびこのT氏ともう一方はN氏だった。
今回はシャベルコンブレッションテストのやり方など、ぼくのこれまでの少し雑な理解の仕方にメスをいれてくれた。考えてみればとてもありがたかった。やはり、自己流の理解の仕方はまずいとつくづく思う。
 あと、きりだしの広さなど、非常に理解が深まったと思う。また、ルーペで覗く雪の結晶の七変化に関心を以前よりはもったかな・・・。

 先週よりも寒くかつ雪が降るなかでの講習だけど、時間は瞬く間に過ぎ去った。
帰りのミーティングで少し疲れからぼくは眠そうにしていたに違いない。T氏から帰りの車の運転には気をつけるよう言われた。そこで、運転する前に15分程度眠ると気分爽快、眠気はとんだ。
 T氏になにからなにまでお世話になりました。感謝!

 そうそう、ピオレのOさんに会った。声かけてきてくれたのだけど、ぼくはすぐに思いだせず、まったくの健忘症・・・。しかし、こんなに若い人だったっけ?

 で、家に帰ってきてから、じいちゃんにつきあって、久しぶりに日本酒をちょつぴり。
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