最近、ばあちゃんの足腰がかなり弱ってきており、歩くことさえままならぬ状態になってきた。
朝、ベツドから居間に来るまではいいのだが、夜、ベッドに戻るに戻れない。
動かないから、なおのこと筋肉が弱るという悪循環のなかにはまってしまっている。
昨日は椅子に座らせたまま運んだのだが、今日は借りてきた歩行の補助器具を使ってみたのだけれど歩けない。
本人も悲しいのか切なくて「汗がでる」と言いながら目のふちをぬぐっている。
うちの奥さんが「もう一回だけやってみよう」と励ましてこころみた。
若い頃から足がよくなくて障害認定もされていた。そのハンディをバネにして生きてた人なのだが、歩けないということは相当に悔しいことなのだと思う。
ぼくが誘導するとばあちゃんは必死についてきた。そこには、年齢の枠を感じさせないほどの歩くことへの、いや、生きることへの強い意思が溢れていた。
人はもともとそのような力を魂深く携えて生きていることを、改めて感じさせていただいた出来事だった。
朝、ベツドから居間に来るまではいいのだが、夜、ベッドに戻るに戻れない。
動かないから、なおのこと筋肉が弱るという悪循環のなかにはまってしまっている。
昨日は椅子に座らせたまま運んだのだが、今日は借りてきた歩行の補助器具を使ってみたのだけれど歩けない。
本人も悲しいのか切なくて「汗がでる」と言いながら目のふちをぬぐっている。
うちの奥さんが「もう一回だけやってみよう」と励ましてこころみた。
若い頃から足がよくなくて障害認定もされていた。そのハンディをバネにして生きてた人なのだが、歩けないということは相当に悔しいことなのだと思う。
ぼくが誘導するとばあちゃんは必死についてきた。そこには、年齢の枠を感じさせないほどの歩くことへの、いや、生きることへの強い意思が溢れていた。
人はもともとそのような力を魂深く携えて生きていることを、改めて感じさせていただいた出来事だった。