hituziのブログ 無料体験コース

いま、そのとき、かんがえつつあること。

中村うさぎ入門 - 『私という病』

2006-10-21 | ほん
中村うさぎ(なかむら・うさぎ)さんの本は、石井政之(いしい・まさゆき)さんとの対談本『肉体不平等-ひとはなぜ美しくなりたいのか?』平凡社新書をかるく よんだだけだった。

中村さんには『噂の真相』の連載「メディア異人列伝」(永江朗=ながえ・あきら)で とりあげられていたのをみて注目していたし、『噂の真相』の休刊号にむけた中村さんのメッセージをよんで、感動をおぼえたりもした。

エッセイ集は どれをよんでも おもしろそうだと おもいつつ、ずっと よまずにいた。『私という病』新潮社は意外にも今年でた本だ。

これをよもうと おもっていた。この本こそ中村うさぎの入門書として うってつけだろうという感触があったからだ。

「わたしとは なにか」。そうじゃないんだよね。「「わたしとは なにか」とは、なにか」、「なぜ「わたしとは なにか」なのか」ということ。基本的に女性むけの本だといい、また、「オカマと女性むけ」に かいているという。よんでいて おもいだされるのは、わたしに ちかしい女性たちとの会話のふしぶしなのだった。

シュフさんにダンナの悪口をかたっていただくことほど たのしいことはない。なんたって じょうぜつなのだもの。妻が家事をするのは当然のことだとダンナは おもっていて、たまに家事を「してやる」ことで感謝され、快感をえようとする。してやるという気もちでいるから、その家事のできぐあいをつっこまれると、とたんに「すねる」のだ。そんな話をしていると、うるさいほどに じょうぜつになる。ふだんの うっぷんをはらすかのようにだ。

これは、他人ごとか? そうではないようだ。すでに わたしは みすかされている。「あべさんも結婚したら そうなるよ」。

「きっと、この人たちには、私の言葉なんか全然通じないし、ものすごくどうでもいいことなんだろうなぁ」(107ページ)。この人たちとは、「男」のことだ。「そんな私のメッセージをちゃんと受け止めてくれる男もいるんだと知った時、涙が出そうにホッとしたわ。[中略]助けて欲しいって言ってるんじゃないの。どのみち、自分で這い上がってみせるから。ただ、這い上がろうとする私たちの手を、泥靴で踏み躙らないで欲しいだけ。[中略]そういう男たちが少な過ぎるのよ」(123ページ)。すくないが ゆえに一定の数だけ確保される「善良な男たち」。

いくらシュフの不満に共感してみようとも、「だが、男たちは女たちの分身にはなれない」(130ページ)。「最近、男がきらいなのが わかった」という。その「男」に わたしは ふくまれないのだという。だがそれは、わたしが「非男性的ふるまい」をつづけるかぎりは保障されることにすぎない。いつまでも「非男性的」でありつづけるほどには、わたしは「非男性的」ではないということを、わたしは しっているのだ。

「男」が「男であること」をかんがえるとき、どれほどに ふかく ほりさげようとも、「自分のありかた」をつきつめようとも、いや、そうすればするほど、そこには快感がともなってしまう。そして、安心されてしまう。ほめられてしまう。そうして、自己批判は自己陶酔へと はまりこんでゆく。

だとすれば、「ききいれる」ことに徹しなければならない。耳をかたむけなければならない。関係の非対称性を、つまり現実を、うけいれなければならない。ただ ひきうけることに徹することによってこそ、「わたし」は すくわれるのではないか。

つっこんだはなしをしているとき、相手の話にすぐさま反応できるのは、あまり相手の話をきいていないか、きちんと うけとめていないかだ。沈黙をもって応答する。うなづくこともなく うなる。空をあおぐ。まず、そうしてみることが必要だ。

いや、もっと根本的な話なのだろうか。「ねぇ、お願いだから、女を「人間」として、対等な目線で見てちょうだい。相手を人間として見ない限り、「理解」も「共感」も生まれないでしょう?」(110-111ページ)。

よい関係をきずきあげるのは、ほんとうに たいへんなことだ。わたしの満足は、相手の不満足によるのかもしれず、わたしの不満は、同時に相手の不満でもあるのかもしれない。対等になることは むずかしいことだ。しかし、たいせつなことは そんな「一般論」ではない。いま現に対等ではないという現実そのものなのだ。

…と、かんがえさせられるような「本気で かかれた本」なのでした。
…できれば私は、脳内で組み立てられた理論ではなく、自分の体験と肉体から生まれた思想を語りたいのだ。そこに私という人間の実感がこもっていなければ、私の言葉には「本気」が宿らない気がするからね。「本気」の宿らない言葉には他人を説得する迫力がないと、私は頑迷に信じているの(「まえがき」2ページ)。
この本は、すぐれたフィールドワークにしあがっています。感服(してる場合じゃないか?)。