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いま、そのとき、かんがえつつあること。

文脈が ちがう

2007-05-30 | ことば
文脈が ちがうってことをついつい無視して、安易な比較や批判をしてしまうってことをかこうとしたんだが。

こないだ かいた「映画『陽のあたる場所から』」の内容が自分で気になってしまっていたので、それをかいておく。

映画のセリフの「僕は理解するより生きるのを手伝おうと思う」ってのと、わたしの先輩が いった「世話をするのは簡単だ」ってのは、ぜんぜん文脈が ちがうんだよね。それをわかっていながら、かいてしまった。結局、居心地のわるさを感じることになった。けれど、かかないことには なにも はじまらないので、かいてよかったと おもっている。

文脈が ちがうってのは、すべて そうなのですわ。わたしたちが だれかに忠告だのアドバイスだの助言だの いえてしまうのは、そういう文脈を無視してのことなのですよ。だって、そのひとの人生なんて しらないもの。内面なんて わからないもの。あたしの人生と あなたの人生は ちがうんですもの。

たとえば、あるひとに いわれて うれしかったことをだれかに いいますよね? ありがちでしょ。それって、そのひとが「わたし」に いってくれたのは、いろんな背景があるわけですわ。おたがいの関係もあれば、気分もあれば、わたしの状態もあれば。二番煎じで それを流用するなら、そういう文脈は全部ちがっているわけですから、その効果も ちがってきますね。そもそも話術も ちがいますわね。でも、いってみないと わからないことがある。

民主主義はどうだとか、だめだとか、必要だとか、なんだとか。そういう いろんなはなしが あるわけですけど、それも全部ね、文脈が ちがうはなしなので、なにが どういう意味で「民主主義」であるとされ、どういう理由で いいとか だめだとかという議論になるのかをとりあげないと いけないのですよね。

年配からの助言ってやつが うっとおしいのは、おまえは「わたし」をいきてないからなのよ。おまえなんかと人生を共有してないからなのですよ。時代が ちがうんだよ、時代が。おまえが いきてきたぶんをあたしは しらないかもしれないが、あたしが「はじめてみた世界」をおまえは、なにも しらないんだよ。


たとえばだ。なんで このひとは、オトコであるらしいのに「あたし、あたし」と かいてるんだろう、なんて おもうひとも いるわけなのですよ。意図をしらないから。わからないから。なにより、わたしをしらないから。まー、「いろんな意味で そういうキャラ」なのだろうと感じさせるだけの文章にしているつもりではいるが、そんなもん通じるとは かぎらない。ここに かいている「おまえ」は特定のだれかなのか、どうなのかってのも、わかりようがない。わたしはただ、「あなたと わたし」というふうに かくのが すきってだけなのだが、こういう文章をかいていて おもわず頭にうかぶ「むかつく だれか」が いないとも断言できない。そんなものでしょ?

つらづらと かいてみた。きょうは、そういう日なのだろう。そういうことにする。ちなみに機嫌は すごくいい。