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いま、そのとき、かんがえつつあること。

ジェンダーは行為だ、するものなんだ。

2008-03-25 | にんげん
「人間は、「なるもの」とか「であるもの」なんかじゃないんだ。するものなんだ。」という文章をかいたが、じつはこれ、すごく大事なことをかいている(つもりでした)。

「トリは空をとべていいよなあ」というのをよくきくが、トリは空をとぶために、それなりの代償をはらっている。苦労もしている。マラソン選手をみて、「いいなあ」「うらやましいな」と安易にいってしまえるひとは、それほど いないだろう。けれども、トリの苦労には注意をはらわない。これがトリではなくて、ほかの だれか、人間であれば どうだろう。「こどもは いいよなあ」とか、いってしまってはいないだろうか。

ええと、そういった はなしではない。

ジェンダーについてのはなしをしよう。

「人間は、「なるもの」とか「であるもの」なんかじゃないんだ。するものなんだ。」これを、ジェンダーにおきかえて、かんがえてみてください。


はい、かんがえましたね? 3分クッキングの要領で いきます。こちらをご覧ください。

もう、かんがえてあるんです。わたしが、じゃないですけどね。

三橋順子(みつはし・じゅんこ)「往還するジェンダーと身体-トランスジェンダーを生きる」『身体をめぐるレッスン1』岩波書店。

引用しますね。
東京新宿には、いわゆる女装バーに集まるアマチュアの女装者と、そうした女装者を愛好する(非女装の)男性から構成されるコミュニティがある。…中略…
このコミュニティで観察される性別認識は、女の格好をして女として振る舞っていれば「女」(女扱い)というものである。つまり、社会的性別、ジェンダー・ロールやジェンダー・パターンが性別認識の指標としてきわめて重視され、身体的な性別、とりわけ性器の形態は衣服によって隠蔽され、問われることなく「棚上げ」される。56ページ
三橋は このように のべ、つぎのように といかける。
ところで、女の格好をして女として振る舞っていれば、つまり、“doing female gender”「女をする」をしていれば「女扱い」されるという性別認識は、新宿のトランスジェンダー・コミュニティだけに特有のものだろうか? 57ページ
三橋が いうには、そうではないそうだ。

引用に たよるのは、ここまでにします。

わたしは、つぎのように かきました。「人間になるだって? まだ人間になれずにいる状態にいる だれかが いて、そのひとが人間になる条件をみたすことによって人間であると認定するのですか?」

いいかえてみましょうよ。
女になるだって? まだ女になれずにいる状態にいる だれかが いて、そのひとが女になる条件をみたすことによって女であると認定するのですか?
わたしは、つぎのようにも かきました。「「人間である」ということは、人間をする主体と その人間をみる主体とのコミュニケーション(相互作用)によって、やっと なりたつものだと おもうのです。」

いいかえてみるよ。
「男である」ということは、男をする主体と その男をみる主体とのコミュニケーション(相互作用)によって、やっと なりたつものだと おもうのです。
「自閉症が わからない。人間像をぶちこわせ。」という文章でも、にたようなことをかきました。「人間が わからない。そうとも いえるんでしょうね。けれど、人間という総体をイメージするのは まだ はやいんじゃないかしら?「人間」なんて どこに いるんですか。人間こそ、想像上の幻想にすぎませんよ。家族的類似による「人間」の ぼやけたイメージをもっていて、そのイメージに そっている ひとを人間だと認識するのでしょう。だから、さきに「人間という総体」を想定してはいけないのだと おもいます。」

わくわくします。いいかえますよ。
女が わからない。男が わからない。ジェンダーやセックスというものが わからない。そうとも いえるんでしょうね。けれど、女という総体をイメージするのは まだ はやいんじゃないかしら? あるいは「男」なんて どこに いるんですか。それこそ、想像上の幻想にすぎませんよ。家族的類似による「女」や「男」の ぼやけたイメージをもっていて、そのイメージに そっている ひとを「女」や「男」だと認識するのでしょう。だから、さきに「女という総体」「男という総体」を想定してはいけないのだと おもいます。
家族的類似というのは、ヴィトゲンシュタインの概念ですが、なかなか有効なものです。

女と男を並列的にならべましたが、べっつに わたしは性別二元論に たってはいません。便宜として うえのように かきました。どうも、すみませんでした。

こんなことをかいても、ジュディス・バトラーという権威をもちだされると、それ、バトラーじゃんと わたしの わかりやすい説明(笑)は、台なしにされる。ま、いいけど。

バトラーについては、いくつか かいたものがある。
「ジュディス・バトラー」
「人と人の間にあるもの」
「線ひき問題」
「人工物としての自然」