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いま、そのとき、かんがえつつあること。

あいまいな「わたしたち」

2007-12-07 | にんげん
あいまいなのは、文脈に依存するからではありますが。ともかく。

わたしたちが「わたしたち」というとき、わたしたちは、だれにむけて はなしかけているのでしょうか。その「わたしたち」とは、だれのことをさし、また、だれのことは ささないのでしょうか。

自分の文章をよみかえして、あ、やっちゃったと感じたのですが、かいてしまったものは しかたがない。
自閉者のコミュニケーションが自分勝手だと感じたとき、まさに、わたしたちは、そこに鏡に うつった自分のすがたを発見するときなのです。(「自閉者と自分勝手なコミュニケーション」より)
わたしたちというのは、人類全体をさすこともあれば、一部をさすこともある。同時代をいきているひと全体の場合もあれば、歴史上のひと すべてをさすこともあるかもしれない。

だが、社会を論じ、差別や格差の解消を論じるようなときだけは、せめて、だれかを排除したかたちで「わたしたち」をかたらないようにしたい。

ただ、社会の多数派が かかえている問題を、社会全体の問題にすりかえて、少数派にまで責任をおしつけてしまうようなかたちでの「わたしたち」も よろしくない。

責任の所在をはっきりさせながら、社会の全体、社会の構成員をすべて みすえていく、なるべく そうすることをめざしていく必要がある。もちろん、ひとりで できることは かぎられているし、ほんとうに社会全体をみわたすことなど、ひとりの個人にできるものではない。だけれども、目標としては、全体をみようとすることが たいせつなのではないかと おもう。

「わたしたち」とか、「人間は」と表現するとき、ほんとうに一般化して かたることのできる内容であるのか、ひと呼吸をおいて、検討してみることにしたい。かたりかけている対象のなかに、「わたしたち」から除外している だれかが ふくまれていないかどうかも確認してみないといけない。

はたして、わたしは、だれに かたりかけているのだろうか。だれが よんでいるのだろうか。それさえ わからないなかで、わたしは。わたしは。わたしは。

ちょっと ぼんやりとして、けれども慎重に、かんがえていきたい。

「わたしたち」で このブログを検索。たくさん つかってるね。

2 コメント

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わたしたち と みんな (やみぃ)
2007-12-08 06:51:13
「わたしたち」って、ほんとうにむずかしいですね。
それから「みんな」もかなあ。
自分で使うときも、「誰と誰と誰だ?」って、つい考えてしまいます。
そのせいで、わたしの話や文には、一人称単数と固有名詞がいっぱいで……そうすると、実際以上に自分中心でこどもっぽい感じに響くらしく. . . いま、それがすこし悩みの種だったりしています。(笑)

hituziさんのブログは、いつ読んでも楽しいです。
Thank you. Thank you♪
その場かぎりの意味 (ひつじ)
2007-12-09 11:17:20
コメントありがとうございます。すっごく うれしいです。

結局は、みんな とか わたしたちとか、その場かぎりの意味しか もたないんだと おもいます。そのときそのとき範囲が無意識のうちに きめられていて、さっきまで「ひろい わたしたち」だったのが、いきなり「せまい わたしたち」になったりしますよね。

「オトコは なになに するものだ」、「オンナは なになにだ」とか いわれていると、そのオンナやオトコに わたしをふくめないでくれーと おもいますしね(笑)。「わたしたち」では くくることのできない、内部の多様性というのも無視できないように感じます。

まえから いえば、あんまりブログをかく時間が もてなくなっていますが、そのときそのとき感じたことを、これからも かいていきたいと おもいます。