hituziのブログ 無料体験コース

いま、そのとき、かんがえつつあること。

映画『エイミー』

2006-06-02 | 映画
あーうーあああああああ。卑怯だ。残酷だ。胃が いたくなるじゃねーか。ぼろくそに ないてしまったじゃないかああああ。

パパンがロックスターで、パパンがライブで感電して死んじゃって、それがエイミーのトラウマになって、それからの話なのだが、くそおおおおお。パパンが死んじゃうのは もう わかっているのだけど、ためるわ、ためる。死んじゃうシーンまでパパンはナイスに うたってるわけだけど、いまかいまかと びびりながら みてて、音楽なんか たのしめねーよ。音のかるいロックで、わたしゃ、もっとズンズンくる おもたいのが いいんだけどなーなどと すこーし感じながらも、心臓が しめつけられるような時間をあじわされた。この ろくでなしいいいい。

近所の住人たちが どいつも こいつも変人のあつまりで、これがなかなか つぼでした。愛すべき隣人たちみたいなね。パパンがエイミーのために つくった曲というのが たいへん よろしくて、サントラほしいかもという感じ。

なんで児童福祉局のひとは、たいがいワルモノに えがかれるんでしょね(笑)。『アイ・アム・サム』とかも そうでしょ。

『アイ・アム・サム』も ぼろくそに ないちったねえ。『アイ・アム・サム』は、韓国の院生時代に映画ずきのセンセの授業で、受講生そろって映画館いきました(笑)。あのセンセの授業では『レインマン』、『いまを生きる』、『ネル』なんかをみたねえ。ロビン・ウイリアムスがセンセ役の『いまを生きる』は、反権威主義、ジョディ・フォスターの『ネル』は、反行動主義(行動療法)の題材として みました。権威主義的な教授さまばかりの韓国というかテグ大学特殊教育学科(あひゃ)で、なかよく はなせるセンセのひとりでしたわよ。あと、ふたりくらい いましたやね。そういうセンセが。

おっと、いつもの くせがでてしまった。はなしをもどしましょか。

エイミーのトラウマってのが、また過酷だー。児童心理学者が 「いまこそトラウマをとりほどく瞬間だ!」って感じでエイミーに たたみかけるのに、すこーし苦笑。『グッド・ウィル・ハンティング』もさー、主人公ウィルとの関係性をきずきあげて、これでカウンセリングは おわりだってときに、精神科医が いうじゃないですか。おなじ ことばをくりかえしてね。あのシーンは何度みても なけるけど、あれは「いまだ!」って ちょっと ねらってるとこあるよね(笑)。それがプロってやつか。ともかく、エイミーのトラウマが あきらかになるときの、あの胸が しめつけられる感じは きついよ。さっきみたばかりで、それでも40分はたったけど、まだ胃が いてえええ。こっちがトラウマになるわ!(ならねーよ(笑))。ママンのトラウマのシーンもだよなあ。あのシーンでも なきじゃくるママンの写真をとりまくるオトコというワルモノが(笑)。「きわだて役」ということになるわけだが、もちょっと心臓にやさしいやつで おねがいします。

こどもが でてくる映画は、やっぱ ないちゃうね。さめたひとは、こどもをダシにした「お涙ちょうだい映画」とか いうわけだけど、それは そうだけど、でも みてしまうやね。

『アイ・アム・サム』は、ミシェル・ファイファーが ぶちきれるシーンが すきですわ。「『わたしのような人』だって、これこれあれこれなのっ!」というとこ。あと、こどもの里親になろうとしたひとを排除しなかったところとかね。

『エイミー』。あれ? これどこの英語?と おもったらオーストラリアの映画でした。とても残酷だけど、やたら くやしいけど、とっても すきだ(笑)。えーん。(と、