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いま、そのとき、かんがえつつあること。

「人間がわるい」という共犯化

2005-07-01 | にんげん
「わるいのは人間だ。人間が いなければ環境破壊なんて ないのだから」。

わたしの学部のときのセンセが授業で いうてたことですが、人類のなかには自然と うまく共存してる人たちも いる。それなのに「人間がわるい」というのは おかしいと。……いきなり余談ですが、「自然と共存」という表現自体が近代的で、環境破壊の思想にたつ表現・発想のような気もする。はたして「自然という他者(というか客体)」が いるのだろうかと。たとえば「風景」のように、われわれは その一部にすぎないんじゃないかと(って、文章かたすぎ)。

共犯化という暴力のしくみは、身勝手な「われわれ」意識によるのだと おもう。「われわれの拡張主義」と いいますか(なんで こんな表現つかってんだろ)。あるいは、「大小ひっくるめて無理やり でっちあげてみました的われわれ」(こういう ふざけたのも どうなんだ…)。

無批判に「わたしたち」「われわれ」といってしまうことの問題は、その「われわれ」から排除してしまっている だれかが いるって問題だけじゃない。責任がない人までも共犯にしたてあげてしまうこともあるのだ。

ということで、いまから野村浩也(のむら・こうや)さんの『無意識の植民地主義』の第三章「共犯化の政治」をよんでみます。

グーグル:「共犯化」