ミニ旅はまだ続いています。
目的の一つはこの三木の城跡を見ることだった。
黒田 官兵衛 が出てくる播磨灘物語から興味がわき車では以外に近い のですが
この際一人で歩いてみました。
ここは粟生(あお)線で3dayチケットだから途中下車OKなのです。
三木合戦は天正6年から天正8年にかけて行われた織田氏と別所氏の合戦。
最後は城主別所長治が、領民や家臣の助命と引き換えに一族とともに自刃しました。
その城跡から眺める家々は穏やかで美嚢川はゆっくり流れていました。
羽柴秀吉が三木城攻めの時に作戦行動に利用し、また戦傷者の治療に湯の山(有馬温泉)へ
送るために整備した街道です。
それ以来「湯の山街道」と呼ばれています。
この城跡に一つだけ残された井戸で「カンカン井戸」といいます。
中に石を投げ込むとカンカンと音がするところから来た名前だそうです。
合戦の様子を絵巻物のようにして張られていました。
別所長治公の騎馬像です。
どういうわけかお稲荷さんがありたまたまお参りに来ていた人や散歩の人もいてたすかりました。
ここに別所公夫妻の首塚がある 雲龍寺です。
別所長治公と奥方の首塚です
今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身をおもへば
別所長治の辞世の句です。
23歳という若さで亡くなった長治公の無念が伝わってきました。