城郭 長谷川博美 基本記録

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滋賀民俗学会 滋賀県の城館古戦場と石臼について

2021-07-24 06:54:45 | 歴史講座
滋賀民俗学会 滋賀県の城館古戦場と石臼について
◆対談者
連日猛暑が続いています。涼しい城郭の座学ありま
すか?石臼と城館の関係をスライド画像で解説して
楽しい座学が貰ありりませんか?長谷川先生独自の
ユニークな石臼と城郭の講座など絶対に他の企画で
は見せてもらえません。絶対見るべき座学講座です。
長谷川先生の城郭ビイスタ論の動画も全国的規模で
話題騒然となっています。
城郭ビイスタ論 上文字クリック
◆長谷川
石臼と城館の歴史講座のおしらせ

次回米原市米原公民館講座7月29日午前10時
受講料金 一回 500円
米原公民館名称変更→米原学びあいステーション
電話番号 0749-52-2240
▼米原学びあいステーション『旧米原公民館』


長谷川博美 城郭動画

◆対談者
郵便局員特に配達員はどこに配達したら良いか
よく知っている事が配達員の一番肝心な事です。
配達せずに郵便物を隠してしまう人は論外の人。

◆対談者
長谷川先生は城郭分布に詳しい先生との事です。
私達の知らない事を知っておられる城址の先生
と言う事ですがあるときの事米原の磯山城には
二重堀切など絶対にある訳がない長谷川説など
デタラメで信用に足りらずと猛然と感情的にな
られた人がいて驚きました。何で坂田郡米原の
善良な住民様が二重堀切など、絶対ないと感情
的になられるか?全く理解できないのです。昔
から磯山城には二重堀切が描かれている事など
坂田郡の人なら誰でも知っている普通の事です。
坂田郡には横山城に二重堀切、名越越城に二重
堀切、醒ヶ井江龍奥の城に二重堀切、鎌刃城に
二重堀切、菖蒲岳城に二重堀切、キトラ谷城に
二重堀切、番場城に二重堀切、そして坂田郡の
箕浦庄に属した男鬼集落の男鬼城も二重堀切、
坂田郡に属した物生山城に二重堀切がある事は
滋賀の人なら誰でも知っている基本的な事です。
普通の事を普通に冷静に学ぶ事が学門や研究の
「まなび」の基本の世界で選挙や投票獲得とは
数の論理であり学門や研究や派閥とか人的集団
の世界と異なります。素朴に素直にあるがママ
を学ぶ事が冷静な学びであり学門の世界です。
長谷川先生が良く言われます。人の上に人を作
らず、私の城の先生や模範とは城郭遺跡自体で
私ではありません。二重堀切を謙虚かつ冷静に
見学してきた人々の謙虚さ冷静さ感情には走ら
ない学門への括目や気付きや開眼こそが大切!

◆質問者
失礼ですが長谷川先生は城館の発掘体験と石臼
を発掘された経験はありますか?

◆長谷川
城をやってる人は発掘経験がない人はいないと思い
ます。私も県外の城館発掘で石臼を発掘した経験が
あります。普通城郭の人は非常に石臼に興味を示す。
必ず発掘展示品や発掘目録にある出土品の石臼には
着目しています。

▼某県某所城館の石臼出土状況


滋賀民俗学会 滋賀県の城館古戦場と石臼について

著者 同会理事 長谷川博美
 
 はじめに

城館遺跡やまた古戦場を探訪される方々には
石臼や茶臼の残骸や存在には興味を示されな
い傾向にあり私は残念でならない。何故なら
石臼は中世から脱穀に用いられる貴重な生活
必需品であり茶臼の出土を見たらその城郭の
城主が城址から出土した遺物に驚き興味を持
つて頂きたいと思う。滋賀民俗学会では菅沼
晃次郎会長(故人)̪の曲谷の石臼調査が良く知
られている。近江では馬淵の石工や近江隣接
する福井県敦賀市疋田産の石臼も知られてい
る今回の投稿は石臼の産地ではなく滋賀県の
城郭遺跡を調査に実地に赴いたときに偶然に
山中で発見記録した場合や城跡からの出土品
を展示していたものを中心に写真と文書を用
いて紹介したい。米原学びあいステーション
の眼前にある太尾山城も越前様式の石臼が出
土し小谷城からも越前尺谷石製の「ばんどこ」
暖房器具や水盤が出土し天下の安土城天主の
玄関化粧石にも越前笏谷石が敷き詰められて
る。

◆田部山城の石臼
冒頭で登場する写真は長浜市木ノ本町田部山城
の石臼破片である。田部山城は文献『信長公記』
にも元亀末年には登場する朝倉義景在陣の城と
記録されている。二次資料、地誌『淡海温故録』
には浅井氏家臣中嶋宗左衛門の管理する城とし
て登場する。余談であるが田中吉政が関ヶ原の
戦後に伊吹山中で捕縛した石田治部少輔と中嶋
宗左衛門に関する徳川家康からの書状が残って
いる。この田部山城の石臼は「上石部」が田部
山山頂の主郭部より西に派生した西出丸跡部で
滋賀民俗会会員の田畑喜久弘氏が発見され理事
の私が写真撮影したもの石臼の採寸は城郭調査
主眼の為に実施していないその石臼は発見当時
の記録写真のみに留めている。なお石臼は採取
個人習得はしていない。上石の底の角度が緩く
曲谷産の系譜をくむ石臼破片と著者は観察する。
拡大写真は冒頭に掲載した。



田畑喜久弘氏略歴紹介

①脇ヶ畑城郭探検隊 隊長
②現多賀見ておき隊 隊長
③NPO法人自然と歴史ロマンの会 理事
佐目の明智光秀伝説の城現地調査に貢献

④元彦根市図書館オブザバー
⑤元余呉城郭研究会会長
⑥滋賀民俗学会会員
⑦元多賀町議会議員
⑧元関西城郭研究会会員

◆名越越えの城の石臼
次に紹介する石臼破片は私も滋賀県中世城郭
分布報告の現地、城郭調査員として参加した
長浜市名越町から米原市山室へと超える峠に
築城された城主不明ではあるが典型的坂田郡
様式の二重堀切を起始した中世城郭遺跡だが
田畑喜久弘氏の探索により城址南部主郭より
発見採取取得せず上石写真撮記録を残すのみ。

◆東近江大森城石臼の件
さる平成の末年、大森コミニュテーセンター
で石臼が展示紹介されたが著者撮影するも
現在は記録写真みつからず残念に思います。

◆長浜市西浅井町横波西岡城東部
滋賀民俗学会会員、長谷川銀蔵と息子長谷川博美
は昭和の末年、当該城郭を調査中に石臼の上臼を
発見土中に半分起立するとよに据え置かれていた
民俗学者長谷川銀蔵の説によると山堺用に石臼が
用いられたと述べている。▼著者父 長谷川銀蔵
石臼は取得採取せず写真記録に残すのみとした。
◆伝虎御前山城茶茶臼
この虎御前山城近江浅井氏攻略のために浅井氏
の本拠小谷城の東麓方面虎御前山城織田信長に
より築かれ木下藤吉郎「後の豊臣秀吉」が城代
となり同城には屋敷が構えられた事が『信長
公記』には記されている。②茶の湯の政道を
実践した信長や秀吉もこの石臼を引いて喫茶
した事であろうか?虎姫時遊館の常設展示品。
これは茶臼の下石と判明する。
▼茶臼各部部位の名称

◆敏満寺城茶臼
『多賀町史』編纂にあたっては当時の滋賀県
犬上郡多賀町有志の方々には大変お世話にな
り改めて感謝を申し上げます。私も敏満寺城
の図面を掲載して頂き感謝致します。令和の
時節至り敏満寺城発掘遺物の展示会があり茶
臼の出土品を見学させていただきました感謝。
この茶臼も下石と判明する。
◆米原市油里の石臼
石臼が磨滅した破損した場合には土地境界線
を区画する印として用いる民俗習慣が日本の
忘れられた民俗習慣が残っていたようだしか
し現実に土地境界石として垂直にたてられた
現物を見た事が著者はない坂田郡油里の里を
著者は散歩していた目的は油里城を探す目的
である。油里城は発見確認出来なかったのだ
が著者は垂直に起立する石臼を見て仰天して
早速基調な類例を記録写真に収める事にした。


◆賤ヶ岳合戦における茶湯の件
小瀬甫庵の記した『甫庵太閤記』は巷間で
有名な著作物である。賤ヶ岳合戦について
記録した部分において喫茶、茶湯、数寄の
記録が残っている。山路将監正国が陣中で
茶会を開こうとした件が記されているこの
文書の後半神明山砦の木村重玆しげこれが
登場し「数寄屋」茶室の文字も登場してい
いる。数寄屋は茶室の事である茶を飲む時
に茶臼が必要である。賤ヶ岳古戦場で山路
正国は賤ヶ岳の切通「飯之浦切通」で戦死
している。余談であるが後世の画家山路商
なる人もこの山路に繫がる人だと言う事だ。
◆『甫庵太閤記』に登場する語彙解説

※1本山の要害
神明山砦と解釈されている。この山は
余呉町文室側では「大杉山」呼称する。

※2数寄屋
茶会を開催する為の茶室の意味

※3柴田伊賀守
天正11年1583年当時長浜城主の柴田勝豊

※4木村小隼人
木村重成父で秀吉の家臣木村重玆しげこれ

※5心変ずる者
秀吉方から勝家方に味方しようとする勢力

※6外輪、そとわ
城郭の内輪「内曲輪」外輪「外曲輪/外郭」

※7山路正監正国
元柴田勝家家臣、柴田勝豊の付家老重臣

※8用心きびしく
柴田方へ内奥する将兵を厳しく監視した。

※9此企
「このくわだて」木村を戦陣に設置した
茶室に招待し山路がこの首を打って柴田
勝家に手土産に謀反し柴田勝家軍を神明
山城に招き入れ羽柴秀吉方の最前線神明
山砦「陣城」を占領して長期化膠着化す
る賤ヶ岳合戦を柴田勝家側優位へと導く
秀吉方最前線の切り崩し作戦を意味する。
当時柴田勝家方は余呉庄全域に陣城築城
し羽柴秀吉と互いに陣城を構築し合って
合戦当初の3月頃から約30日間城郭築城
競争が秀吉と勝家の両陣営に別れて展開
された。その城郭は最大規模を誇る城は
柴田勝家の内中尾山城こと現代の国指定
遺跡、続日本名城100選にも選定された
超巨大城郭玄蕃尾城である。



◆衝撃の石臼破片を滋賀民俗学会田畑氏が発見!

令和3年5月29日に城郭フオーラムが開催されて
多数の知性派の御参加を賜り御礼を申上げます。
参加者様一同は賤ヶ岳城の見学に執心された事
と存じ上げます。田畑氏は疲労した人の救助の
為に賤ヶ岳西に位置する賤ヶ岳合戦最大の激戦
地に控えの殿軍「しんがり」の重鎮としてあえ
て待機して貰いました。田畑氏は何事も目立た
ず影に控える役で、裏方の役目を願いました。
賤ヶ岳城の見学を終了して件の飯之浦坂切通し
に参加者全員が下山した時長谷川先生と!田畑
氏が峠の礫の中に石臼が立って残っていますと
報告された時私は全身に電撃を受けた様な感覚
に襲われた!まさか石臼など切通しに残ってる
訳がないと!しかし石臼に溝も明確に刻印され
ている。城館や城郭や古戦場では石臼を見逃が
さない事が歴史民俗城郭遺跡見学観察の本質だ。
名越越えの城にしろ峠の民俗学があるこの飯之
裏切通しも歴史民俗学が潜在していると言える。

◆石臼と城郭と民俗学的考察を進捗させたい!
それには一体どうしたら良いのであろうかと?
「滋賀民俗学会」とは菅沼会長の御逝去を持ち
終了したのか?いいやそうではないハズだろう。
菅沼会長の高嶋のお宅を田畑氏と訪問した際に
会長は長谷川!貴君は貴君なりの新しき城郭と
民俗学を融合した新民俗学を創設せよと助言を
頂いたのたが?いかに?すれば良いものかと?


◆長浜市木ノ本町飯之浦の地名考察
私は民俗学者でもあり国学者の系譜も引いて
いる。今回の滋賀県長浜市木ノ本町飯之浦の
切通は賤ヶ岳古戦場の激戦地でもあるが古い
交通の要衝としての歴史も秘めている。
『式内社調査報告』によれば『近江伊香郡誌』
に「八幡神社、大字飯之浦、式内波彌神社是也、
古記に波多八代宿禰波美臣之祖也在飯浦村にあ
り、文治年中源義経奥州に赴く時、其臣内貴土
佐當地に来り居を構え當社を奉祀すと云う。」
とあり、当社を、式内社・波彌神社に比定する
『式内社調査報告』では、当社・八幡神社に
波彌神社が合祀されているとある。
飯之浦の語源はここから大津に米穀が船で
運ばれた事にも起因しているが、しかし私は
波彌「はみ」の地名が「はみのうら」へと
やがて経年して「はんのうら」へと発音転訛
した可能性も考察する。いやはや國學院出身
の学徒の考えそうな自分の考察思考である事
に思わず微笑してしまう。そうそう國學院大
の土岐昌訓先生の式内波布比咩命神社「大島」
の講義も思い出した。

★令和3年5月29日城郭フォーラム参加者様へ
当日付属しました。内貴山の城塞図をば再度
読み返し上文に登場する内貴土佐や飯之浦の
内喜姓も含めて一考察を個人で加えられる事
を御奨め致します。私は著作物ゼロなれども
私の残した資料を再読される方の為頑張りま
す。どうぞ宜しく御理解と御指導を願います。
日本全国の院友会の皆様も宜しく御願います。

長谷川博美 近景 米原学び合いステーシヨン「米原公民館」

◆滋賀民俗学会 講座参加者
理事長 粕淵宏昭先生 
理事  長谷川博美  
会員  田畑喜久弘氏 元多賀町議員

次回米原市米原公民館講座7月29日午前10時
受講料金 一回 500円
米原公民館名称変更→米原学びあいステーション
電話番号 0749-52-2240

◆対談者
長谷川先生の城郭研究家としてキヤリアは
非常に長く、玄蕃尾城の調査でも古くから
活躍されている事は昔から有名な事で老舗
研究家で滋賀の人よりも「東海地方」また
「京阪神」「福井嶺南部」では語り草です。


▼長谷川博美玄蕃尾城見学会のおしらせ






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6 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-06-06 14:04:03
古城や古戦場と石臼が関係ないと思い込んでいた私と田畑さんや長谷川銀蔵先生や長谷川博美先生の民俗学的視点には改めて私には欠けていた視点や考察視点を改めて考え直す機会になりました。
返信する
Unknown (長谷川博美)
2021-06-06 14:12:45
美濃の竹中半兵衛の居城からも近江曲谷製の石臼が発掘報告されています。城郭と石臼の関係は密接な関係にあると言えます。皆様や発掘主任様も是非石臼が転用材ととして石垣や礎石にまで使われている事や城館跡から出したした場合は此れを文化財のひとつとしてあつかう事を心掛けて下さい。
返信する
Unknown (Unknown)
2021-06-06 15:22:41
この投稿すごく内容が濃くて関心致します。
返信する
Unknown (Unknown)
2021-06-06 20:01:51
これ素晴しいナイスな内容の投稿ですよ!
返信する
Unknown (長谷川博美)
2021-06-07 01:55:58
この投稿に非常に多数の閲覧者様がありました事を深く感謝致します。
返信する
Unknown (中谷太)
2024-04-29 21:24:02
岩熊城 西岡城 横波越えの城

発掘調査したらおもしろそう!!
返信する

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