▼アッシュールの古代城壁都市の
城郭ビイスタ工法。
◆対談者
長谷川先生の城郭ビイスタ論
がまさか海外の城にまで適応
されるとは予想が付きません
でした。3800人も視聴数記録
してる事が全く予想外の事!
◆質問者
アッシュールの北チグリス川
の北にある、アッシリアの都
ニネヴエと言う古代都市には
前記アッシュールの様なビイ
スタ工法が施工された城郭都
市ですか?
◆ウイッキペデイアより引用
の後期には首都が置かれた。なお、ニネヴェという
ニネベと表記される。現在は、対岸のモースル市域
に含まれる。
◆長谷川
ウイッキペデイアより城壁
図を引用しますと破格の城
域を持つ巨大城郭であると
言えます。内城はクユンジク
とネビ・ユヌスの2城から
なり日本の高天神城の様に
一城別郭の様式と言えます。
↑ウイッキペデイアより引用図
◆長谷川
東より典型的な遠隔ビイスタ
工法も美しい形状で読み取れ
ます。しかし更に冷静に観察
◆長谷川
外郭城壁は驚くべき事に都
城の西からWビイスタ工法
が読取れます。W複数型と
重複型のビイスタ工法を採
用してる。Wビイスタ発生
の原因は2城から内城が形
成されている起因性があり
その影響下かもしれません。
◆みんな
城郭ビイスタ論って日本だけ
の理論だと思ってたでも海外
古代アッシリァの城にも存在
する事を知り鳥肌が立ちます。
◆長谷川
クユンジクとネビ・ユヌスの
2城から赤と青のWビイスタ
が読み取れます。高昌国の
高昌故城にもWビイスタは
存在致します。▼高昌故城
ウイッキペデイアより
チグリス川沿いの現代の都市モースルの対岸(東岸)
に存在する。クユンジクとネビ・ユヌスという二つ
の丘からなるが、ネビ・ユヌスは現在イスラム教の
聖地となっているため調査はほぼ行われておらず、
ニネヴェに関する現代の知識はクユンジクの調査に
依存している。19世紀半ばから繰り返し調査が行わ
れているが、なお十分とはいえない。二ネヴェは
アッシリアの首都であった時代が有名であるが
、紀元前7千年紀から人が居住を始めた非常に古い
街である。初期の歴史については不明点が多い。
既に古アッシリア時代(アッシリアの時代区分に
ついてはアッシリアの項目を参照)にはアッシリア
の重要都市の1つであった。新アッシリア王国時代
に、センナケリブがニネヴェに遷都して以降、
帝国の首都として大規模な建築事業や都市の拡張
が行われた。この時期に街は二重の城壁で囲まれ、
クユンジクの丘には宮殿が相次いで建設された。
アッシュールバニパル王の図書館があった云々
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