城郭 長谷川博美 基本記録

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衝撃!安土城の基本プロトタイプの城は小牧城!

2021-07-29 21:25:21 | 驚愕 安土城 縄張解説

衝撃! 安土城の基本プロトタイプの城は小牧城!

城郭ビイスタ論 上文字クリック

◆対談者
長谷川先生 丹波黒井城のビスタ縄張楽しかったです。
楽しいだけじゃない!シープに分析される能力ですよ。


◆長谷川
そうでしたか?忘れていましたよ。

◆対談者
私達長谷川先生に学んだ人は先生
の着眼点や現地解説に忠実に耳傾
けた人は驚くほど城郭観察能力が
めきめきと上達しました。それは
開眼にも似た感覚で城跡に改めて
目覚めた感覚です。しかし残念な
事は城郭遺跡そのものから目離れ
した人が長谷川先生から離れ言葉
の城郭世界または歴史談議の世界
やガイドや町興しの世界へと向か
われた事です。

◆長谷川
 自分の好きなジヤンル分野へと
回帰された事は自然な事でしょう。

◆対談者
私織豊ビスタ論少ししづつ理解が
出来入て来ました。城郭に幾何学
や設計や縄張がある本質に気付い
て来ました。この近江佐々木六角
の重臣、後藤喜三郎らの城佐生城
などの長谷川先生の図面の精度に
は最初、目を見張りました。素晴
しいと玄人の先生だと長谷川さん
を私達は認識しました。

◆長谷川
後藤喜三郎は信長に臣従して近江衆
に編成されています。これの人は文
献の『信長公記』にも再三後藤喜三
郎は登場しております。信長から見
ても優れた人であった事でしょう。
◆対談者
城址見学に馴れてくるに従い私達は
どうやって地面に縄張したのか丁張
はどの様にしていたか考える様にな
りました。つまり現地遺構の設計と
はどの様に、実施されたのか?どん
な糸や縄が地面に張られたか?そん
な発想をするまで進歩深化して来ま
した。城はキッチリ基本の設計がさ
れて、縄や水糸を引いて土木工事を
進捗させいて行った事は現実だろう
と私は思いました。物事の道理です。

◆対談者
伝木下藤吉郎の虎御前山城だって私は
パース(見通し線)やビイスタ(放射線)が
その基本に存在すると私は思います。
◆長谷川
あまり短絡的直裁的に考えない方がが良いか
と思います。学門はいつの日も遊びではなく
実証の世界ですから。でも貴方の発想や視点
は尊重致します。柔軟な視点が時には重要な
学門のカギや謎を解く糸口を発見できる事が
ありますから。永禄の頃の佐久間大学の丸根
砦に行ってみますと周囲は三段の段築によ
り形成された砦であり一二三段のひふみ段
の着想は、小牧山城の石垣でも見られる事。
秀吉の天正大坂城は上の段、中の段、下の
段と一二三段に設計されています。信長の
岐阜城天守もたしか三段の石垣と思います。
◆対談者
長谷川先生の安土城放射線状縄張理論は
非常に楽しいものがあります。しかし!
これがマジ正論であるなら長谷川先生が
どんな学者も全く気づかない事に気付か
れた事で城郭研究史上、驚くべき人です。
城郭研究家において戦前戦後最大級理論。

◆長谷川
だれも驚きませんよ!気分は一休禅師!
◆長谷川
私全く仕事のない歴史講師、人気もゼロ読者もゼロ。


◆対談者
長谷川先生の安土城ビスタ論では大手道が
直接本丸を天守見上げる構図ではなく斜に
斜め向うに見上げる馬手「めて」つまり
右に見上げる光背効果が存在します。もし
小牧山城が天正安土城の石垣城郭の祖形や
ひな形つまり安土城のルーツが小牧山城に
あり小牧山城にも私はビスタ線がつまりは
城郭を設計した時の基礎測量線を発見する
事が出来ると私は思います。
▼安土城/ビスタ線/長谷川博美挿入

▼同じく安土城ビスタ線白黒明瞭型 長谷川博美/線挿入
安土城大手道は中心集結線の右に位置▲する。
◆対談者
それでは小牧城に集結線ビスタ線を入れて
見て下さい。論考の結果は恐れずに挑戦す
る研究者学問に挑戦する事は重様な事です。

◆長谷川
では現地小牧市様掲示の測量図を参考に
試論的にテスト的にビスタ線を入れてみ
ます。あくまでも試論テストであり是は
私の営利には、全く現実は繫がりません。
何しろ仕事も読者も、全くゼロですから。
▼小牧山城小牧市様の測量図に長谷川線挿入
◆長谷川
どうも安土城と同じ大手方面から小牧山城
を雄大に誇示する信長の見せる城の要素の
萌芽の要素が既に小牧山城に時代から既に
存在した可能性があるやもしれませんね。
見通し線は1カ所ではなく複数箇所あると
思われます。

◆長谷川
ちなみに江戸時代の城の測量資料です。
私達現代人は城の測量方法には興味を
持ちませんが図には本座と開地と言う
文言が見えて興味深いものがあります。
元亀末年から天正元年にかけて織田信長や
羽柴秀吉が定番となる虎御前山城のビスタ
線も是非一度再考したいと思っております。▼東から虎御前を見た図
虎御前山城ビスタ線を測量図を
見て再考したいと思っております。
▼虎御前山城伝信長陣城西より見た図
元亀年間の織田信長の
志賀の陣城宇佐山城も検討してみましよう。
長谷川
大津方面を大手して放射状に縄張りした可能性もある。

▲天正11年1583年佐久間玄蕃盛政行市山陣城の縄張りも
▼同年の前田利家の陣城別所山城の幾何学も存在します。
同年の羽柴秀吉方木ノ本町の田上山陣城も▼
▼規矩術を使った放射線状縄張 近江膳所城「寛文期以後」
▲江戸時代の近江膳所城さえも
▼彦根玄宮園の建物のパース見通し構成も存在します。

▲何と見事な彦根城の臨池閣と鳳翔台の見事なビイスタ論です。
◆対談者
信長も岐阜から安土に移る前に八カ月滞在した
澤山城図もビスタや放射状の文化でしょうか?

再び安土城の八角平も放射線状の縄張です。
信長の覇業を継承した羽柴秀吉の天正大坂城も放射状がある。

▲太閤秀吉肥前名護屋城も放射状の
縄張で設計されている事に気付く。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (長谷川博美)
2020-02-20 02:57:22
貴方は
名誉理事
として正式
に登録
されました。
あくまでも
名誉です。
返信する
Unknown (長谷川博美)
2020-02-20 18:21:24
良いね!
ありがとう。
返信する
Unknown (Unknown)
2021-07-29 20:11:40
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返信する

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