◆質問者
長谷川先生は初めて城郭
フォーラムに参加される
方に何を気遣いされます?

◆長谷川
初めて参加しても違和感
のないアットホーム平素
感覚とでも言える空気感
を非常に大切にしたいと
おもいます。初めて来た
のに故郷に帰って来た様
なフイットする履きなれ
た靴の様な心地良さがす
るコムフオータブルなる
安心感のある見学会こそ
私が目標にしております。
そして何より我々日本人
の全員は天正11年1583年
には時間空間移動は不可
能なのですが天正11年に
築城された現場の城へと
確実に旅ができる特異さ
また現場遺跡の真迫力!
今回の山城誰を見学され
ても傑作城郭として要素
が非常に濃厚な遺跡です。
まず遺跡を見る為に安心
や安堵感のような精神の
安定性が遺跡を見る心得
のベースになる事ですね
華麗な行楽や娯楽の要素
こそ少いとは思いますが
眼前に突然現れる城壁跡
堀切が現れて此れを認識
出来た歴史現場へ探訪は
まるで天正11年へと時間
旅行したようなリアルな
感覚と言いましょうか?
言葉で言い表す事が不可
なほどの現場の生々しさ
を鑑賞して下さい秀吉自
ら視察に訪れた文室山の
現実遺構として堀切など
も生々しい歴史現場体験
です。変な例えなのです
が強烈な現場取材を主題
に置いたキュメント記者
にでも自分がなった様な
強烈歴史ライブルポ感覚
に満ち溢れているですよ
その生々しい歴史現場を
見学する為には初参加の
かたも長年参加の方々も
全員が登山集団の仲間で
ある連帯感こそ大事です。
初めて参加して気が引け
るではなく山里の山菜や
郷土料理を味わう如くに
山の「ニオイ」枯れ葉が
地面に「カサコソ」と音
を立て落ちる瞬間の余韻
も含めて深まり行く余呉
城塞群を満喫願いたいで
す。ただの行楽山行とは
異なる別の世界が広がっ
てると思います山林の中
で食べる。お弁当も含め
て高尚な野遊び山あそび
山城をインテリジエント
スポーツとらえる向学心
も含まれるかと思います。
▼作り物でない野外博物館

◆長谷川
そりやもう史書に現れない
陣跡が突然眼前に出現した
時は仰天します。現場には
史書に記録れない現実こそ
が残っています。藤吉郎も
尾張中村から出て幾星霜を
戦場で過ごしこれらの遺構
を歴史人豊臣秀吉が見た景
観を令和4年に体験可能です



一般様
城郭ビイスタ論って
スゴイ理論だと評判!

◆対談者
そりやそうですよ!
秀吉方の賤ケ岳城
だってビイスタの
工法を使ってます。
▼秀吉方の城1583年 賤ケ岳城

▼文室山よりの湖北眺望 賤ケ岳要塞群▼

余呉城塞群の眺望

◆有識者
いやはやもう一連の投稿たる
①②③投稿読ませて頂きまし
私は日本の城、世界の城を見
目が長谷川先生の様に大観が
出来ていない事が学究者とし
、度量の狭さ比較視座の貧困
を強くコンプレックスと言う
か自分が平素講演や図書のみ
で城情報を得ているか痛感を
致しました。私自身城の測量
と言うものを全く考えていな
い、顧みない詰め込み記憶型
模倣主義人間と痛感しました

◆有識者
どうみても秀吉の横山城
秀吉が長浜衆を動員して
余呉天神山城は姉妹城郭
余呉天神山見ておかない
と織豊城郭を語れません
11月19日見学会あります


◆一般者
似てるわね!似てるわよ!

◆有識者
ビイスタ工法論って本当に
面白い興味猛烈にあります




◆長谷川
秀吉が天正11年1583年
に長浜衆に築城された
天神山城は2方向から
ビイスタ工法を用いて
高度な築城しています。

▲1583年秀吉天神山城
▼1584年秀吉大阪城


▼1576年安土城 伝 秀吉邸 伝前田邸のビイスタ

▼1576年安土城 織田信長居城のビイスタ

▼1583年 羽柴秀長 秀吉田上山城 ビイスタ

▼姫路城 秀吉播磨居城のビイスタ

▼天正10年1582年 秀吉天王山山城

▼1585年(天正13年)秀吉監修 秀次居城

天正9年(1581年


▼秀吉 文禄慶長の役 肥前名護屋城 ビイスタ
