今年は国内でラジオ放送が始まって100周年だとか。
NHKは一生懸命にキャンペーンを張っているが、いまいち僕の心には刺さらない。
ここでは僕のラジオとの思いでを少し語ろう。
僕は中学生になる少し前に、ラジカセを買ってもらった。
中学生になると英語の勉強が始まるとかなんとか言って小6のクリスマスなんかに買ってもらう当時の流れだ。
当時は携帯電話もインターネットも無いから、最高の情報ツールがラジオだった。
中学生向け月刊誌の4月号付録がICラジオだった時代だ。
中学生になったら深夜ラジオを聴く。
これがなんとなく憧れで、ちょっと小学生とはちがう、ちょっぴり大人でナウい感覚だった。
CBC(中部日本放送)は名古屋のラジオ局で東海3県をエリアとしていたが、当時の豊橋市には豊橋送信所のスタジオが稼働していて、名古屋局とは違う周波数で豊橋からの独自番組放送もしていた。
深夜の人気番組「今夜もシャララ」や後の「小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス 」が名古屋から午後9時に始まって、10時35分になると豊橋からの超ローカル10分番組「向山から、こんばんは」が始まるのだ。
月曜日から金曜日(木曜日だったかも)毎日、担当DJが変わる。
たいていは名古屋のCBCの若手アナウンサーなのだが、ある曜日はローカルタレントみたいな人がDJをしていた。
「Pekoちゃん」だか「Pecoちゃん」っていう名前で活動していたと思う。
中1の僕らはその番組でハガキが読まれて「CBCのボールペン」を何本も持っているかがステータスだった。
人気のペコちゃんにはハガキが集中してなかなか読まれないので、改変期で新しくDJになった新人アナウンサーの曜日にハガキを出して「CBCのボールペン」をゲットするのだ。
ペンネームは親友以外には内緒。
これはお互い様で、他言無用のお約束だ。
数本ゲットして熱が冷めたが、それもまた当時の良い思い出。
昭和57年頃のお話です。