広小路歯科 院長の雑記帳  (豊橋の歯科医院)

休診日:木、日、祝日
診療時間:9時~12時 2時~7時
*土曜は5時まで

御前崎 釣行 2024.10.24

2024-10-25 18:06:53 | アウトドアライフ
午前3時に豊橋を出発して、御前崎港から出港する「波丸」さんに乗りました。
波はずっとありましたが、風は気にならなかったです。

潮が早く水深60mで120グラムのタイラバででも、途中まで巻いてからフォールさせると100メートルぐらい糸が出ます。

少し苦労はしましたが、合計8匹ゲット。(1匹はリリースサイズ)
クーラーボックスはこんな感じ。



美味しく頂きました。



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墓参りエクスプレス 2024秋

2024-10-15 08:44:32 | Weblog
今年も岡山県総社市の父の墓にお参りして来ました。
父の命日に近いお彼岸頃にでも行こうかと思いましたが、叔父が電話で「暑い時には来ちゃいかんぞ!」と言ってくれていたので、その言葉に甘えて延期していました。

カレンダーと週間天気予報を眺め、この連休に往復する事に決めました。

こんな感じで、天候を最優先に考えるので、いつも宿の予約はしません。
連休のある週の宿を早くからおさえても雨になったらキャンセルしなくてはならないからです。
お墓の掃除が主目的なので、雨ではやはり困るのです。

土曜日の診療を終えて、家で晩御飯を食べてから500マイル(800Km)の旅の始まりです。
(マイルの方がキリが良くって聞こえがいい。アメリカのロードムービーみたいだ。)

豊川インターから東名高速に入り、豊田ジャンクションで伊勢湾岸道へ、しばらくは順調だったのだが、長島の手前で工事による渋滞が発生。

そんな時にアマチュア無線機からCQ(各局呼び出し)が入感。
瀬戸市から親子で運用中との事。
そのCQに応答し、お父様とお子様とQSO(交信)。
なんでも、お子さんには最近コールサインが届いた(開局し、呼び出し符号が総務省から付与された)のだとか。
CQを出したお父様の後に、そのお子様とお話ししました。
開局したてですが、たどたどしいながらも、しっかりとした声でQSOできていました。

30分ほど掛かった渋滞も楽しい15分のQSOのお陰で気が紛れて助かりました。

いつもなら、もっと先のパーキングエリア(PA)を目指すのですが、30分のロスタイムがあったので、それより手前の鈴鹿PAで小休止です。
トイレ休憩なので10分ほど滞在して、再出発。

そして、さらに1時間走って茨木千提寺パーキングエリアで小休止。
鈴鹿PAでもトイレをしたのに、またトイレ休憩でした。
究極的にヒトのカラダというものは、空腹と睡魔と尿意との闘いなのです。
ボーイスカウトの大先輩が「キャンプで大事なのは『食う・寝る・出す』だ!」と言っていたのは正論です。

そして、深夜11時過ぎ、宝塚北サービスエリア(SA)に到着しました。
SAはPAよりも大きく設備が充実しています。
深夜でも食べ物にあり着くことが可能です。
お夜食のラーメンです。
正確な名前は憶えていないですが、和風ラーメンとかだったと思います。
和風だしに焼き鳥とウズラ卵のトッピングが特徴的でした。

深夜、零時半過ぎ白鳥PAに着きました。
目的地の総社まであと90キロの地点です。
ここのPAはコンビニが入っているので、深夜でも食べ物にあり着けます。
深夜1時過ぎ、このPAで仮眠することにしました。
この時期は、冷房も暖房も使わずに済みますから、エンジンを止めても大丈夫なので助かります。

助手席を倒して数時間寝る事ができました。
明るくなってきたので、再度出発しました。

朝、6時半過ぎ、総社市内の牛丼屋さんで朝定食を頂きました。
ベーコンエッグがおかずの定食です。
ご飯の量は「少な目」を選択して正解でした。

午前7時、いよいよ主目的であるお墓の掃除の始まりです。
お墓の近くまで車で入れますので、車を止めて必要な物を展開し、雨合羽と長靴姿になりました。
こんな感じで、まるでお店を広げたような状態と、雨具姿です。
墓参りに見えた高齢男性から「何事ですか???」と真顔で聞かれました。
聞かれたので、遠方から夜通し走って、墓の掃除に来たことを話しました。

この猛暑の中、総社に住む叔父(父の姉の夫)が草取りをして下さったらしいので、思ったより雑草は生えていませんでした。

叔母(父の姉)から電話で聞いていたのですが、ロウソク立てが壊れたそうです。
そう言えば昨年の墓参りの時に、ロウソクを立てる針が弱っている感じがしていました。
電話で叔母から聞いた通り、中心にあるはずの針が折れて欠落しています。

電話で聞いていたので、豊橋から修理に使えそうな太い針金や工具を持参しました。

針金をペンチ類を使って曲げて、接着剤で固定しておきました。
これで新しいのを買わなくて済みます。
現地修理、言わば往診、大成功です。

お花立てやら、線香立てなども綺麗になるまで洗いました。

お墓の掃除も済んで、母が豊橋から持たせてくれた花と供物をお供えしました。

このお墓は、元々この場所に祖父母の夫婦墓があったのを父が亡くなったので代々墓に建て直しました。
30代前半の私は良く解からないので石材屋の言う通りに、石材にもこだわって、可能な限り良い造りにしています。
20年前はまだ今みたいに「墓じまい」とか「集合葬」とか「自然葬」とかは一般的ではなく、普通にお墓を建てました。
もし、今時ならお墓を建てるにしても豊橋に建てたことでしょう。

線香を手向け、読経し、片づけをして墓地を後にしました。

やらなければならない事は済んだので、倉敷まで移動する事にしました。
総社市まで度々来ていますが、たいていはとんぼ返りなので、隣の倉敷市を観光したことがありません。
前から気になっていた倉敷の美観地区に行くことにしました。
美観地区の南側に倉敷市役所があり、無料で駐車できるそうです。
美観地区までは20分ほど歩かなければなりませんが、近くの駐車場は長蛇の列です。
20分歩く方が得策です。

倉敷市役所駐車場から歩く事20分、美観地区の南端が見えて来ました。

時間は午前11時。
けっこう人が多いです。

美観地区と言うだけあって写真映りの良い景色ばかりです。
飲み食いはせず、写真を撮って周りました。

明治村でも見たことがある様な洋館。

ガス灯を模した街路灯と水路と人力車。

結婚式用の前撮りをしています。
絵になるので、専属カメラマンさんと同じ位置から無断でパチリ。

こんどはここを見学するつもりできてみましょう。
今回は外観写真のみ。

水路を行く和船。
船頭が竿を差す。

電話ボックスまで洒落ている。
今や電話ボックスの存在自体がノスタルジー。

壁の傍らにスクーター。
駐めたスクーターの主のセンスも良き。

大まかに美観地区内を巡って、駐車場への帰路。
美観地区方向へ車列が伸びています。
やはり、20分歩く判断は正しかったんだと、再認識しました。

倉敷市役所に戻ると不思議な建物が敷地内に建っています。
倉敷市歴史民俗資料館」だそうです。
無料なので入ってみました。

お屋根の上に巾着。
なんか不思議ですよね。
元々は幼稚園の園舎だったので、可愛いデザインとして採用したのでしょうね。

倉敷市内の観光渋滞からやっとのことで抜け出して総社市内に戻りました。
ここでの目的はお風呂です。
サンロード吉備路という施設(国民宿舎)で日帰り入浴ができますので、そこでお風呂に入りました。
はい!お約束の”風呂上がりの一杯”です。
「大山」という文字が、いかにも中国地方を醸し出しています。
入浴後、施設内のレストランを覗きましたが、ランチ営業は2時まででした。
しかたがないので、ここを後にし総社中心部へ向かい食事ができるところを探します。

すっかりお昼時も過ぎ、午後2時半。
遅い昼食です。
総社市内を走っているとラーメン屋を見つけたので入りました。
チャーシュー麵を頂きました。
午後3時ごろ、叔父と叔母の家に電話を掛けました。
1度目は出なかったのですが、しばらく時間を空けた2度目に叔母が出てくれました。
在宅が確認できましたので、叔父と叔母の家に向かいました。

着くと門から叔父が出てきて迎えてくれました。
92歳の叔父は、半そで短パン姿で庭の木を剪定している途中でした。
立ち居振る舞いはコロナ前に会った時と寸分違わず、元気です。

嘘かと思われるかもしれませんが、日常的に高齢者に接する私が見て、お世辞抜きに元気な75歳といった感じです。
なんせ今でも現役で週4日、単身赴任で老人病院の専属医師として働き、週末は家に帰るという生活をしています。
眼光鋭く、頭の回転も速く、サクサク歩きます。

一方、80代後半の叔母は数日前、家事を頑張りすぎて腰を痛めていました。
それでも、頭脳明晰なのは昔のままで、いろいろ遠路から来た私を気遣ってくれました。

一時間ほど滞在して色々な話をしました。
特に叔父は、62歳で亡くなった私の父とのエピソードをなんだか嬉しそうに、そして懐かし気に話してくれました。
92歳でも現役の大先生の叔父と話した一時間は大変有意義でした。

今回は、お墓の掃除とお参り、倉敷の美観地区の散策、叔父と叔母の訪問と濃い内容で満足です。
午後4時半過ぎ、総社インターから高速道路に乗ってまずは吉備SAを目指します。総社からすぐのSAですが、いつもここでお土産を買うのです。
天気のいい3連休中日(なかび)の夕方だけあって、人であふれ返っています。お土産売り場のレジには50人ほど並んでおり”最後尾”の札を高く掲げた店員が列を制御しています。

これは30分以上掛かるのではないかと懸念しましたが、それは杞憂に終わり、ものの10分ほどでレジへ到達しました。
ピークに合わせレジ5台体制で押し寄せる観光客を迎撃していました。

これはもうSAには寄ってはいけないパターンです。
”PA作戦”に切り替えます。
ファミリー層の多い時は施設が充実したSAが込みますので、マイナーなPAを中心に休憩パターンを組むという独自の作戦です。

人口が多いわりに地形の関係でボトルネックになりがちな兵庫県、大阪府、京都府は夕方から夜遅くまで行楽帰り渋滞しがちです。

午後6時過ぎ、関西地区の渋滞に嵌る前に福井市PAに入って腹ごしらえです。
SAと違ってPAはレストランは有りませんが、夜の早めの時間帯なら、うどんやソバやカレーにあり着けます。

一時間走って、午後7時過ぎ権現湖PAにて休憩し情報取集します。
この先の三木ジャンクション(JC)で20キロぐらい渋滞しているらしいです。

権現湖PAで時間調整をしたおかげか渋滞は解消方向でした。
午後8時半ごろ、茨城千提寺PAに到着、ここではトイレ休憩だけをして、すぐに出発しました。

さらに一時間走った午後10時前、そろそろ人も減っただろうと、土山SAに入ります。ところがフードコートはほぼ満席でした。
6時半過ぎにカレーを食べていますが、小腹が減ったのでSA内のコンビニで唐揚げとフランクフルトを買って、外に置いてあるテーブルで食べました。

午後11時半。地元の美合PAまで戻ってきました。
ここまで来ると一気に家まで走りたくもなりますが、眠たいので仮眠をしました。
2時間ほど仮眠をして深夜1時半、再出発です。

午前2時、家の近所のガソリンスタンドで軽油を入れて満タンにして帰宅しました。
今回の旅のデータはご覧の通り。
総走行距離845キロ、総走行時間14時間31分でした。

事故も大渋滞も無く、無事に帰ってこられました。
それこそご先祖様に感謝です。

今度は春に往復できたらいいなと思っています。

~~~ 完 ~~~


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ニコイチ・ボールペン

2024-10-08 14:49:31 | DIY
左はグリップが劣化して、テープを巻いてごまかして使っていたボールペン。
右はクリップが折れて、一旦、接いでなおしたのだが、また別の個所でクリップが折れたボールペン。

加水分解でボロボロのグリップ。

折れて直したが、また違う箇所で折れたクリップ。

こんな時の直し方は「ニコイチ」
壊れた2個の個体から、正常な部分を利用し、健全な1個を造る方法だ。

上手い事、ニコイチ・ボールペンとして蘇ったのである。

また、つまらぬものを造ってしまった・・・。
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