「お盆前にお墓の掃除に行かなきゃ…」と、母…。
亡くなった父の在所は岡山県の○○市、豊橋から4百数十キロ。
今までは年に数回母親が新幹線に乗って岡山でレンタカーを借りてお墓の掃除に行っていましたが、今年は忙しくて全然行けていない。
私もここ数年は母に任せっきりで墓参りもおろそかになっていた。
以前、母がこの時期にお墓の掃除に行ったら熱中症になりかけたらしい。
今年もこの暑さだ、父の墓の前で母が倒れたなんてことになったらシャレにならない。
自家用車なら2人以上で動けば新幹線よりも安上がりだ。
そんな訳で、車で岡山県往復を実行した。
7日水曜日、診療を終え夕食を済ませ早めの入浴、午後9時過ぎに豊橋を出発。
豊川ICから東名に乗り豊田JCで伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、そして新名神。
それからそれから、名神に入って大阪で中国道、その後、山陽道を通って岡山県に突入。
古いカーナビなので、伊勢湾岸自動車道や新名神なんてつながっていない。
いや、存在すらしていない。
ジャンクションで方向を誤らないように、事前に下調べしたルートを脳内で反芻する。
岡山県に入って最初のPAで仮眠をとる。
深夜三時だ。
途中のSAやPAで食事を摂ったり休憩しながらだからこんなものだ。
2時間ほど眠り、いったん目が覚めた。
もう少し寝ようかとも思ったが、車内の仮眠がそうそうできるわけもなく、再スタートを決意。
洗面などをして、5時半ごろ再度車を走らせた。
岡山JCで今度は山陽道から岡山自動車道に乗り換える。
もう少しで降りるICだ。
ICを降りて一般道でお墓を目指す。
午前6時半、気温が上がらないうちにお墓の掃除を開始した。
思ったより雑草が少ない。
市内在住の叔母が時々、目立つ雑草は抜いてくれているようだった。感謝…。
それでも、掃除は一時間ぐらいかかった。
その後、朝食を食べようと墓地から市街地に向けた。
運よく吉野家の看板を街道筋に認めた。
70過ぎの母には牛丼屋も珍しかろう…。
ましてや、朝定食なるもののラインナップも知らなかろう…。
そんな思いも働いて、朝食は吉野家で摂ることにした。
私は納豆定植、母はハムエッグ定食である。
お墓の掃除で動いたからであろうか、朝から母はどんぶり飯のハムエッグ定食を完食した。
時計の針は8時半を回った。
周囲も一日が始動したようだ。
お墓に備える花を調達しにお花屋さんへ向かう。
それから、お墓の蝋燭立てのガラスが破損していたので仏具屋さんにも向かった。
時間は9時を回ったところだ。
仏具屋さんの開店時間は9時30分となっている。
店の扉は開いており電気も点いている。
開店準備中のようだが母が訪ねてみると快く買い物をさせてくれた。
もう一度、墓地に戻って掃除の済んだお墓に花を供え、父の好物や豊橋から汲んできた水も供えた。
そして手を合わす…。
数年間、母に任せっきりであったので、果たしていない何かを果たした清々しい気持である。
言ってみれば宗教だとかそんなものは非科学的な存在で、人が生きるうえで本当は全く不要なものかもしれないが、高等な感情を持つ生物たる人間には必要不可欠な存在なのである。
そんなこんなで10時過ぎ、あらかじめ10時ごろに尋ねると連絡しておいた市内在住の叔母の家にたどり着いた。
(復路編につづく)
往路編 パート1を読む
亡くなった父の在所は岡山県の○○市、豊橋から4百数十キロ。
今までは年に数回母親が新幹線に乗って岡山でレンタカーを借りてお墓の掃除に行っていましたが、今年は忙しくて全然行けていない。
私もここ数年は母に任せっきりで墓参りもおろそかになっていた。
以前、母がこの時期にお墓の掃除に行ったら熱中症になりかけたらしい。
今年もこの暑さだ、父の墓の前で母が倒れたなんてことになったらシャレにならない。
自家用車なら2人以上で動けば新幹線よりも安上がりだ。
そんな訳で、車で岡山県往復を実行した。
7日水曜日、診療を終え夕食を済ませ早めの入浴、午後9時過ぎに豊橋を出発。
豊川ICから東名に乗り豊田JCで伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、そして新名神。
それからそれから、名神に入って大阪で中国道、その後、山陽道を通って岡山県に突入。
古いカーナビなので、伊勢湾岸自動車道や新名神なんてつながっていない。
いや、存在すらしていない。
ジャンクションで方向を誤らないように、事前に下調べしたルートを脳内で反芻する。
岡山県に入って最初のPAで仮眠をとる。
深夜三時だ。
途中のSAやPAで食事を摂ったり休憩しながらだからこんなものだ。
2時間ほど眠り、いったん目が覚めた。
もう少し寝ようかとも思ったが、車内の仮眠がそうそうできるわけもなく、再スタートを決意。
洗面などをして、5時半ごろ再度車を走らせた。
岡山JCで今度は山陽道から岡山自動車道に乗り換える。
もう少しで降りるICだ。
ICを降りて一般道でお墓を目指す。
午前6時半、気温が上がらないうちにお墓の掃除を開始した。
思ったより雑草が少ない。
市内在住の叔母が時々、目立つ雑草は抜いてくれているようだった。感謝…。
それでも、掃除は一時間ぐらいかかった。
その後、朝食を食べようと墓地から市街地に向けた。
運よく吉野家の看板を街道筋に認めた。
70過ぎの母には牛丼屋も珍しかろう…。
ましてや、朝定食なるもののラインナップも知らなかろう…。
そんな思いも働いて、朝食は吉野家で摂ることにした。
私は納豆定植、母はハムエッグ定食である。
お墓の掃除で動いたからであろうか、朝から母はどんぶり飯のハムエッグ定食を完食した。
時計の針は8時半を回った。
周囲も一日が始動したようだ。
お墓に備える花を調達しにお花屋さんへ向かう。
それから、お墓の蝋燭立てのガラスが破損していたので仏具屋さんにも向かった。
時間は9時を回ったところだ。
仏具屋さんの開店時間は9時30分となっている。
店の扉は開いており電気も点いている。
開店準備中のようだが母が訪ねてみると快く買い物をさせてくれた。
もう一度、墓地に戻って掃除の済んだお墓に花を供え、父の好物や豊橋から汲んできた水も供えた。
そして手を合わす…。
数年間、母に任せっきりであったので、果たしていない何かを果たした清々しい気持である。
言ってみれば宗教だとかそんなものは非科学的な存在で、人が生きるうえで本当は全く不要なものかもしれないが、高等な感情を持つ生物たる人間には必要不可欠な存在なのである。
そんなこんなで10時過ぎ、あらかじめ10時ごろに尋ねると連絡しておいた市内在住の叔母の家にたどり着いた。
(復路編につづく)
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