WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

南風-South Wind……青春の太田裕美⑦

2006年09月17日 | 青春の太田裕美

Scan10015_2  1980年の作品だ。何かのコマーシャルで使われていたと思う。それまでの「ノスタルジー」を基調にした太田裕美から一転、明るく、溌剌とした太田裕美だ。ジャケットにもスポーティーな服装に身を包んだ太田裕美がいる。歌詞からも真夏のきらきらした風景と開放的なイメージが想起され、これまでと異なる路線を目指したことがわかる。爽快だ。 

 以前にも書いたことがあるが、1980年代とはそういう時代なのだ。1970年代が自己に閉じこもる自閉と内省の時代であるとするなら、80年代はそれからの解放の時代だったのだ。70年代的な価値感は「暗い」「根暗」として糾弾され、「明るい」ことが善しとされるようになったのだ。しかし、その「明るさ」は、政治的文化的挫折に起因する70年代的「暗さ」の本質を解決・克服したものではなく、いくら内向・内省してもその先に本当に知りたいものや欲しいものが見出せないという焦燥とジレンマからくるものであった。以後、人々は自己の内部を掘り下げることなく、外部の世界の快楽に身をゆだねる生活を選んでいくことになる。 

 それは基本的に正しい選択であったろう。自己の内面にものごとの本質などはありはしないのだから……。例えば、『二十歳の原点』の高野悦子は80年代に青春をおくれば自殺などせずにすんだであろう。彼女は自己の内部になどありはしない人生や世界の本質を捜し求めてしまったのだ。 

 しかし、その明るさはやはり空虚だった。いくら明るく振舞っても心の空白は埋めることはできない。それが80~90年代の新興宗教ブームにつながっていくのであろうが、このシングル『南風』のB面に「想いでの赤毛のアン」と題する70年代的な曲が収録されているのは興味深い。このレコードが70年代的なものから80年代的なものへの過度期の作品であることをあらわすと同時に、80年代的な「明るさ」が埋めきれない70年代的「内向」を表現したものであると考えるのは、うがった見方であろうか。 

 ところで、「南風」のなかのオレンジ・ギャルという語が、小麦色に日焼けした女性を表すことにやっと最近気づいた。「ギャル」という語は、当時はもっと違った「さわやかな」語感があったはずだが、今となっては、怠惰でおちゃらけた女性たちをイメージしてしまい、わが太田裕美には、まったく合わない。 

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秋吉敏子のブルーノート東京'97

2006年09月17日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 51●

Toshiko Akiyoshi    

Live At Blue Note Tokyo '97

Scan10014_3  秋吉敏子のコンサートにはもう十数回いっている(いやもっとか)。このCDも数年前、東北地方のある寺の本堂でのライブの時買ったものであり、敏子のサインも入っている。この時の寺のLiveは環境的に最悪であった。観客のほとんどが、寺の檀家の老人たちであったことは、まだ仕方ないとして、ピアノがどこかの結婚式場から借りてきたという自動演奏機能付の代物であった。音がこもっておかしいなと思っていたら、ピアノのしたから電源コードがぶら下がっていた。世界の敏子にこんなピアノを使わせるとは……。主催者である住職(近所では評判の生臭坊主だ)も何とかできなかったのかと思ったものだった。

 この作品は、1997年のブルーノート東京でのLiveの模様がおさめられている。日野元彦(ds)、鈴木良雄(b)というメンバーだ。もともとLive盤録音用に録られたものではないのではないだろうか。録音はけっして良くない。バスドラムの音がやたら大きく、全体にこもった感じの音だ。にもかかわらず、演奏は全体的にダイナミックで、元気の良いものだ。今は亡き、日野元彦のドラムがあおるようにたたみかけ、敏子や鈴木がそれに敏感にレスポンスしていく。

 日野元彦を生で聴くチャンスは何度もあったが、そのうちにと思って後回しにしていたら、亡くなってしまった。本当にくやまれる。Liveを見たことのある友人たちは、口をそろえたように、その驚異的なドラミングを語るのだ。

 日野元彦が亡くなったのは、1999年5月13日。すい臓ガンによる肝不全だった。


ジェリー・マリガン・カルテット

2006年09月17日 | 今日の一枚(G-H)

●今日の一枚 50●

Gerry Mulligan Quartet

Scan10012_8  久々の完全オフ2日目。昨日からずっと本を読みながら、何枚かのCDやレコードを聴いている。今、聴いているのがこのオリジナル・ジェリー・マリガン・カルテットだ。ジャズ決定版1500シリーズで最近購入したものだ。

 1952~53年に録音されたこのアルバムは、ジェリー・マリガンの最も初期の姿を伝えるものといわれるが、そこで感じられるのは、彼がずっと昔から(そのキャリアのはじめから)、あの優しく人を包む込むような柔らかな音色をもっていたのだ、ということだ。後藤雅洋さんは「マリガンの演奏はやはりバリトン・サックスでしか表現できない特性をもっている。それはこの楽器の当たり前の機能である低音の魅力にとどまらず、テナー・サックスより強くて深い音色が、あたかもテナーを吹いているかのようにスムーズに出てくるところである。」と述べている(『新ジャズの名演・名盤』講談社現代新書) 。バリトン・サックスというのは、大きいだけに、音をコントロールするのが大変なのだそうだ。そのバリトンをマリガンほど自由に操れる奴はいないというわけだ。

 このアルバムは、チェット・ベイカーが参加しており、トランペットとバリトン・サックスのかけ合いが聴きものとなっているが、爽快だ。購入したばかりで、昨日初めて聞いたのだが、なかなか気に入っている。あの寺島靖国さんも『辛口! JAZZ名盤1001』(講談社+α文庫)のなかで、「ジェリー・マリガンを最初に買うならこれだ」と絶賛している。


サラ・ヴォーンのアフター・アワーズ

2006年09月17日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 49●

Sarah Vaughan    

After Hours (Roulette盤)

Scan10008_11  サラ・ヴォーンにはAfter Hoursという名のアルバムが2枚ある。一つはコロムビア・レーベルのもので、1949年~1952年に録音したものからセレクトした企画物であり、もう一つは1961年に録音されたこのルーレット盤である。

 伴奏はギターとベースのみであり、それゆえ、全体がリラックスした雰囲気で、サラの情感豊かなボーカルもより際立って聴こえる。オーケストラをバックにした演奏も迫力があって素晴らしいが、こうしたシンプルな編成は、歌が本当にうまいのかどうかがわかってしまう恐ろしさがある。こんなことは周知のことだが、サラ・ヴォーンはブルース・フィーリングだけの歌手では決してない。

 エラ・フッツジェラルドとジョー・パスのやつもそうだが、ボーカルとギターの組み合わせは不思議な暖かさがある。一杯やりながら(いつもだが……)、リラックスして聴きたい一枚である。


乙武洋匡ブログ「炎上」事件

2006年09月16日 | つまらない雑談

 今日時間があったので、書店で『週刊現代』を買ったら興味深い記事がのっていた。すなわち、乙武洋匡さんが自身のブログに「紀子さま出産」と題する文章を載せ、その中で「世間は昨日から『めでたい、めでたい』と騒いでいるけど……ひとつの命が誕生したことがめでたいの?それとも誕生した命が『男児だったから』めでたいの?」と語ったところ、掲示板『2ちゃんねる』に取り上げられ、それを契機にブログに誹謗・中傷コメントがなだれを打つように書き込まれたというのだ。こうしたブログ執筆者の発言に批判的コメントが集中する状態を「炎上」というのだそうだが、多くが同じ稚拙な文章を何度もアップするいやがらせ的なものである。

 まったく、わが日本はどうなっているのだろう。私は乙武洋匡さんの本を読んだことも無くことさら弁護する気もないが、ブログの文章を読む限り、まったくまっとうな意見だった。乙武さんの文章には悪意はまったく感じられず、文章どうりの意味ととって差し支えない。私なら皇室に命が誕生したからといって何か特別えらいのか……と付け加えたいところだが……。

 多くは日本の「右傾化」にともなって俄かに出現している「気分的右翼」の連中だろう。匿名の発言であることをいいことに、節度の無いことをやる。節操が無い。昔の日本人はこうではなかったはずだ。まったく、この日本にはもはや冷静な議論の土壌は失われてしまったのだろうか。皇室の尊厳を云々する前に、人間としての節度のあり方を何とかして欲しい。日本の美風を損なっているのは、こうした節度なき「気分的右翼(保守)」の烏合の衆だと思うのだが……。

 乙武さんは同日のうちに、「深くお詫びします」と謝罪文を掲載したが、それに対しても嫌がらせコメントが5000件以上寄せられたとのことである。乙武さんは悔しかったであろう。そもそも謝罪する必要などないものに対して、礼をつくして謝罪したのだ。その「礼」に対してすらあざけりや嫌がらせが寄せられるわが日本……。

 柄にもなく私は「憂国」の念を抱いてしまう。日本を本当に滅ぼすのは、彼らが悪口をいう朝日新聞や「左翼」ではなく、おそらくは彼ら自身なのではなかろうか。

 


トム・ウェイツのスモール・チェンジ

2006年09月16日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 48●

Tom Waits     Small Change

Scan10007_12  3連休だ。そのうち2日間は久々の完全オフだ。そんなこともあって、今日はちょっと調子に乗って飲みすぎた。そうだ、トム・ウェイツを聴こうと思ったのは、たまたま流していたFM放送でトム・ウェイツがかけられたからだ。このCDを再生装置のトレイにのせるのは、何年振りのことだろう。

 1976年録音の「スモール・チェンジ」。初期トム・ウェイツの代表作の一つだ。傑作の誉れ高いデビュー作はフォーク色が強かったが、この頃になると、明らかにジャズっぽいサウンドになる。よくみてみると、なかなか味のあるSAXはルー・タバキン、ドラムスもシェリー・マンではないか。意外なことだが、今ではビック・ネームのトム・ウェイツも初期の頃はセールス的にはまったくだめだったらしい。このアルバムがはじめてトップ100にはいったアルバムだ。

 トム・ウェイツはよく「酔いどれ詩人」などといわれるが、本当は酒が飲めないらしい(噂)。にもかかわらず、そうした言い方をされるのは、ビートやスピードの自由な感覚が、酔っ払いの生理的なリズムに合うのだろう。しかも、どんなに嗄れ声で歌おうと吼えようと、曲の背後にいつも美しい歌心があるのを感じることができる。かくいう私も、今聴いていて実に気持ちがいい。身体がビートに反応してスウィングし、歌を口づさんでしまう。

 トム・ウェイツの書く曲は、多くのミュージシャンにカバーされることも多く、ほとんどスタンダード化している作品もあるが、このアルバムでも素敵な曲が随所にちりばめられている。① Tom Traubert's Blues や ③Jitterbug Boy、 ④ I Wish I Was In New Orleans、あるいは⑤ The Piano Has Been Drinking (Not Me)、 ⑥ Invitation To The Blues などは涙なくしては聴けないほど素敵なメロディーだ。

 今夜はもう少し酒を飲むことになりそうだ。


パパとあなたのかげぼうし……青春の太田裕美⑥

2006年09月16日 | 青春の太田裕美

Srcl05084_3   「パパとあなたの影ぼうし」……。この歌を今日知った。2001年の4月~5月にNHK「みんなの歌」で流されて、大きな反響のあった曲らしい。

 後から後から涙が出てきてとまらなかった。自分のことを歌われているようだと思った(私はなんでもできる優秀な人間ではないが……)。思わず、自分の息子を抱きしめたくなったが、宿泊学習にいっていて不在だ。

 やはり、太田裕美はすごい。人生のいろいろな局面で何かを教えてくれる。

2006.9/12

 ここで聴けます(歌詞

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[歌詞]  

作詞・作曲:こんの ひとみ

   運動会のかけっこあなたは みんなの一番後ろ走ってる
   パパは本気で歯ぎしりしてる 真っ赤な顔をして走るあなた見て
   パパはいつも何でも一等で 思い通り生きてきたから
   不器用な息子を思うばかりに あなたにつらくあたるのね

   逆上がりがすぐにできない子はできる子よりも
   痛みがわかる分だけ強くなれることを
   パパに伝えたいね いつかわかる日が来るよね
   放課後 校庭 鉄棒に映る ママとあなたの影

   パパは今度初めて仕事で 一等をとれなかったの
   弱気な顔を見せてぐちって その方がずっと好きになれる
   「ねえ、パパ逆上がりを教えて」息子なりの励ましかしら
   日曜の午後パパはしぶしぶ あなたと外に出た

   何度も何度も足が宙を切って落ちる
   それでも空に向かって大きく足を振り上げる
   パパはもうわかってる あきらめないのが大切だって
   夕日の校庭 鉄棒に映る パパとあなたの影

再アップ(初アップ2006/9/12)  

  

 


スタイル・カウンシルのカフェ・ブリュ

2006年09月15日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 47●

The style council     Cafe' Bleu

Scan10007_11  恐らくは、私がロック的な音楽をきちんと聴いた最後のものである。その意味で青春の一枚である。調べてみると、1984年の作品だ(もつと以前だと思っていたが……)。当時、私の関心はすでにジャズに移っており、ロック的なものを聴くことはほとんど無かったが、たまたま知人に薦められて好きになったのだ。かなり聴きこんだ作品といってもいい。

 それにしても、あのパンクバンド、ジャムポール・ウェラーがこのようなサウンドを作り上げるとは驚きだ。ジャムも好きなバンドではあったが、スタイル・カウンシルのサウンドは次元が違う。ゴスペルやジャズの要素をふんだんに盛り込んだ、大人のトータル・ポップとでもいおうか。シンプルなサウンドだが、味わい深い音楽だ。たいへんおしゃれなサウンドであるが、毒やスピリッツをちゃんともっている。もうロックやポップに見切りをつけて聴かなくなってしまった私が思うのだが、スタイル・カウンシルの音楽は、もうこれ以上は発展しないというロックやポップの最終的な進化型ではなかろうか。セックス・ピストルズのジョン・ライドンは「ロックは死んだ」と語ったが、スタイル・カウンシルの音楽は最後に咲いた花と言うべきなのではないだろうか。

 それにしても、スタイル・カウンシル以降、いろいろなロックやポップのミュージシャンが現れたのだろうが、たまにラジオで接しても全くつまらなく、聴く気さえおきない。

 スタイル・カウンシルの「カフェ・ブリュ」、名作である。


昼と夜のバド・シャンク

2006年09月12日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 46●

Bud Shank    

Bud Shank - Shorty Rogers - Bill Perkins

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 典型的なウエスト・コースト・ジャズの第一人者、バド・シャンクの1950年代半ばの作品、通称「昼と夜のバド・シャンク」だ。正式名称は『バド・シャンク・クインテッツ』というのだそうだが、ジャケットのどこにもそうは書いていない。前半と後半でパーソネルが異なり、ジャケット写真も表と裏に昼と夜の同風景の写真を使っていることから、そう呼ばれているらしい。

 軽快なリズムにのって日本人好みの哀感を帯びた旋律が繰り広げられる。単純に気分が良い。音が内省的で深みがあるとか、鬼気迫るソロとかがあるわけではないが、どこまでも軽快でよどみなく流れる音の連なりが、ただただ気分が良い。

 気分が良いとは大切な感覚である。村上龍はかつて、ポップスについて述べたあるエッセイで次のように語った。

 「喉が乾いた、ビールを飲む、うまい」「横に女がいる、きれいだ、やりたい」「すてきなワンピース、買った、うれしい」。それらのシンプルなことがポップスの本質である。そしてポップスは、人間の苦悩とか思想よりも、つまり「生きる目的は?」とか「私は誰?、ここはどこ?」よりも、大切な感覚について表現されるものだ。

 


リターン・オブ・バド・パウエル

2006年09月11日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 45●

The Return Of Bud Powell

Scan10012_7  土・日仕事だったので今日は休みだ(といってもこれから部活動につきあわなければならないが……)。平日で妻や子もいないので、本当に久しぶりに音楽聴き放題だ。

 晩年のバド・パウエルの作品をもう一枚。バドの遺作だ。彼はパリで生活した数年間で精神的な不調からかなり立ち直り、1964年、ニューヨークに戻って早々に録音されたアルバムだ。

 全盛期のような聴くものの意表をつく閃きはない。指が遅れがちのところも多い(録音もあまり良くない)。パリ滞在中の作品 In Paris に比べても元気がないような気がする。にもかかわらず、不思議な安らぎに満ちたアルバムである。② Someone To watch over me と⑥ I Remember Clifford⑧ If I Loved You は、とくに気に入っている。非常にゆっくりとしたテンポで、一音一音噛み締めるように丁寧に演奏されるこれらの曲は、往年のスピード感溢れる神がかり的演奏とは違った形で、バドの精神の深遠を垣間見せる演奏だ。

 バドは、この作品から2年後に亡くなった。

Bud Powell In Paris  http://blog.goo.ne.jp/hiraizumikiyoshi/d/20060911


バド・パウエルのイン・パリス

2006年09月11日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 44●

Bud Powell     In Paris

Scan10007_10  1964年録音の後期バド・パウエルの傑作。1940年代後半から1950年代前半にかけて精神疾患のため入退院を繰り返して以降のバドは、好不調の波が激しくなり、次第に下降線をたどってゆくといわれる。確かにその通りであろう。晩年のバドに若き日の神がかり的な煌きはない。

 けれども、私は晩年のバドが好きだ。特に、1959年にフランスに活動の拠点を移してからの作品は何ともいえぬ味わいがある。この頃のバドの演奏を評論家は、よく「枯淡の境地」とか「人生の深い哀感が漂う」とか表現するが、私は何より音楽を楽しんでいるバドの姿が目に浮かぶようなところに魅力を感じている。バドのピアノは良く歌い、演奏することの喜びが溢れ出てくるようだ。中でもこのアルバムは大好きな一枚だ。録音のバランスが悪いのだろうか、シンバルの音がややシャカシャカし過ぎてうるさいのが残念だが、文句なく素晴らしい演奏である。

 ② Dear Old Stockholm は、何人も認める名演であろう。哀愁漂う北欧の民謡を、バドは哀愁はそのままに、しかもリズミカルにスウィングしてみせる。心は躍り、身体はリズムに同化する。大好きなこの曲の五指に入る名演である。

 バドは、1964年アメリカに戻って病床に臥し、1966年7月31日、ニューヨークの病院で生涯を閉じた。41歳、私より短い人生だった。


ボブ・ディランの欲望

2006年09月10日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 43●

Bob Dylan     Desire

Scan10015  先日、新聞で次のような記事をみかけた。

『ボブ・ディランが米アルバム・チャートのトップに立った。30年ぶりの快挙で、ディランのキャリアを通じても4度目、という。6日に発表された販売データで判明した。販売データによると、ディランの最新アルバム「モダン・タイムズ」は、9月3日までの1週間で、19万2000枚を売り上げた。ディランの前回のチャートトップは、1976年の「ディザイアー」だった。』

 すごいことじゃないか。21世紀のこの時代にボブ・ディランが第一位とは一体どうなっているのだろう。なにせ、ディランは現在65歳なのだ。喜ばしいことではあるが、その原因・背景は何なのだろうと疑問をもってしまう。

 それにしても、約30年前の  Desire (欲望) 以来とは……。と、思い、CD棚から「欲望」を取り出してきた。この作品を聴くのは一体何年ぶりなのだろう。そのサウンドは、まさにボブ・ディランだ。(彼を知っているリスナーならば)誰が聴いても間違えることのない、ボブ・ディラン以外にはありえない独特の音だ。ずっと昔、ボブ・ディランを聴いていた高校生のころがよみがえるようだ。物語性のあるディランの詩を噛み締めながら聴いていたあのころが……。

 アルバム「欲望」の中では、文句なく「サラ」がすばらしい。サラとはディランの妻。こんな赤裸々な愛の歌がかつてあっただろうか。ディランが自分の弱さや惨めさを隠さず、すべてをさらけ出すように、ただひたすら愛を歌い上げる姿は感動的だ。

 ディランとサラは1965年に結婚したが、74年ごろから二人の間に隔たりができ、一時は修復するものの結局1977年に離婚してしまう。したがって、「サラ」は修復されたつかの間の愛の期間に生まれた歌だ。自分の気持ちを確かめ、妻の心を何とか繋ぎとめようとするかのようにディランは懸命に歌う。

   何日も眠らずにいた

   チェルシーホテルで

   「ローランドの悲しい目の貴婦人」

   をあなたのために書いていた

というところが、なかなかいい。


エリック・ドルフィーのアウト・トゥ・ランチ

2006年09月09日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 42●

Eric Dolphy     Out To Lunch !

Scan10014_1  1964年の演奏。ドルフィーのスタジオ録音とてしては最後の作品である(ライブとしてはあの『ラスト・デイト』が最後)。ドルフィーはこの録音の3ヶ月後、36歳の若さでベルリンで客死する。

 通常、名盤といわれる作品だ。しかし、例えば寺島靖国さんのように「馬鹿のひとつおぼえみたいに、ドルフィー、ドルフィーと言うが、名前で聴くなといいたい。心のない吹奏。馬のイナナキとは至言。」 (『辛口 ! JAZZ名盤 1001』講談社α文庫)と手厳しく批判する評論家もいる。馬のイナナキといわれてみれば、そう聴こえないこともない。確かに、小難しい音楽なのかもしれない。

 けれども、私はなぜか昔から好きな一枚である。何となく気分がいいのだ。ドルフィーの前衛的な演奏の意味を深く理解できるわけではないし、中山康樹さんのようにこのアルバムにおけるトニー・ウィリアムスのドラムを大きく評価しているわけでもない。まさに何となく好きなのである。うまく説明できないが、総合的なサウンドとして好きなのだ。手前みそな言い方で恐縮だが、この作品は特定の個人のインプロビゼーションではなく、トータルな表現を聴くべきものなのではなかろうか。そもそもこのアルバムでドルフィーはトータルなサウンドとしての音楽表現を目指したのではないかと思うのである。そう考えると、この作品のアンニュイで何となく不安定な雰囲気が本当に気持ちいいという私の昔からの感想は異常なものではないのではと思う。(やはり、自己正当化だろうか。)

 プレーヤー個々の演奏についてしいて言えば、ボビー・ハッチャーソンのヴァイブが絶妙のアクセントをつけていることを高く評価したい。ハッチャーソンのヴァイブがなければ、寺島氏の言うように、まさに「馬のイナナキ」のような聴くに堪えない作品だったかもしれない。

 私は酒を飲みながら、あるいは本を読みながら、ときどきこのCDを再生装置のトレイにのせる。長時間聴いてもまったく聴きあきしない作品であるばかりでなく、気分良くビートに同化できる一枚である。


チェット・ベイカーの傷心

2006年09月07日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 41●

Chet Baker     Heartbreak

Scan10012_5  しっとりとしたものを聴きたいな、と思って取り出した一枚である。企画盤である。最晩年のチェットの演奏にストリングスをオーバーダブした作品だ。チェットの演奏は1986~1988年、ストリングスは1991年の録音である。

 と、ここまで書いてみたが、チェットの人生とその死について考えると、あまりにむなしく悲しくなってきた。

 若い頃のチェットの演奏は瑞々しい。1950年代中ごろには、トランペッターとしてあのマイルス・デイビスをも凌ぐ人気があったという。しかし、ドラッグで身を持ち崩し、喧嘩でトランペッターの命でもある歯も折られてしまい、長い活動休止を余儀なくされた。そのため、生活できずに、生活保護を受けたりガソリンスタンドでアルバイトしたりしたこともあったらしい。

 1970年代になって、ディジー・ガレスピーの手助けでやっと復活を果たし、その活動の拠点をヨーロッパに移し、いくつかのアルバムを発表した。活動再開後のチェットの演奏には、もう若い頃のイノセントな瑞々しさはない。しかし、そこには人生の辛酸を嘗め尽くした男の深い陰影がある。その意味ではこのアルバムのタイトル「傷心」(Heartbreak)も示唆的である。チェットはどの曲もゆっくりと噛み締めるように歌っていく。失ってしまった人生への鎮魂歌のようだ。チェットの視線は失われた過去へと向けられている。

 1988年5月13日、チェットはオランダのアムステルダムでホテルの窓から転落して死亡した。原因は定かではない。


スタン・ゲッツのボサ&バラード~ロスト・セッション

2006年09月07日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 40●

Stan Getz   

Bossas And Ballads : The Lost Sessions

Scan10007_9  晩年のゲッツの演奏だ。親友ハーブ・アルバートのプロデュースのもと、ゲッツの亡くなる2年前の1989年にA&Mレーベルに吹き込んだ幻の音源といわれる作品だ。

 ゲッツのテナーは、抑制された内省的な音だ。けれども決して小難しい演奏ではない。音はスムーズにつながり、アドリブはまるでひとつの曲のようにメロディアスだ。ケニー・バロンのピアノもぴったりと彼に寄り添い、美しい旋律を奏でる。ジョージ・ムラーツのベースも時に重厚な音を出し、時にまるで歌うように飛び跳ねながら、きちんとゲッツをサポートする。選曲も良い。録音も良い。未発表音源にこのような素晴らしいものが残っているとは驚きだ。

 ゲッツが肝臓癌という病に侵され、その痛みと戦いながら演奏していることが信じられないほど、素晴らしい演奏だ。とはいえ、このころのゲッツはようやく酒を止め、中毒から立ち直りつつあった時期のようだ。かつてズート・シムズが「スタンは素敵な奴らさ」といったような、移り気で二重人格的な部分は影をひそめ、誠実な人柄が前面にでていたことが当時のゲッツを知る人々によって証言されている。ゲッツは、化学療法も放射線治療も拒否して、有機野菜や漢方薬による自然療法によって生き抜き、音楽に取り組む意思を持っていたようだ。そのことを示すかのように、ゲッツの音はやさしく、そして深い。

 プロデューサーのハープ・アルバートは次のように語っている。

彼はその生涯を通じて、プロとしての目標に到達したけれど、人生の終わりには、精神面での目標にも到達した。彼は心の平静を味わっていたからね。彼の音楽と同様、彼の精神もまた、天空に舞い上がっていたんだ。」