WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

こんなバラードが聴きたかった……

2006年11月19日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 88●

Michael Brecker

Nearness Of You     The Ballad Book

5550004_1  マイケル・ブレッカーの『ニアネス・オブ・ユー ~ ザ・バラード・ブック』。2000年録音の大ヒット盤である。大ヒット盤は普通、硬派を自認するジャズファンには評判が悪い。このアルバムも然りである。これがジャズの作品といえるのか、といった批判的言説が数多く出された。まあよい。私はそんなことでビクともしない。私は好きだと大声で言いたい。ジャズとはジャンルではなく、音楽のレベルであると考えているからだ。

 ハイレベルな演奏とサウンドである。凡百の「いかにもジャズ」など足元にも及ばない。サイドメンがすごい。パット・メセニー、ハービー・ハンコック、チャーリー・ヘイデン、ジャック・ディジョネット、そして、ジェームス・テイラー。こんな有名どころが、自分の腕をひけらかすようなことをせず、音楽を生み出すという行為のために、一つになっている。批判者の多くは、ジェームス・テーラーの歌が気に入らないようだ。けれども、はっきり言っておこう。本作は、ジェームス・テーラーの歌があるからこそ素晴らしい。優しく包み込み、心に共感と落ち着きを与える歌だ。声量がないとか、スウィングしていないとか、いかにもジャズっぽいフィーリングがないとかの的はずれの批判は、この際、軽蔑して無視すべきであろう。ヒャクショーは、低レベルな音楽でも聴いていなさいといっておこう(農業従事者を軽蔑しているわけではありません。念のため……)。私は、この作品でジェームス・テーラーを再評価・再認識したほどである。もう一度繰り返すが、ジャズとはジャンルではなく、音楽の質であり、レベルなのだ。

 唯一、難点を探せば、マイケルのセンチメンタルでノスタルジックなサックスがちょっと行き過ぎて、感情に流されすぎているように感じてしまうことがあるということだろうか。サックスのプレイ自体は本当に素晴らしいものだ。ただ、他者が自己の感情の世界に浸りきって、悦に入っているのを見るのはあまり気持ちのいいものではない。しかし、そんなことを差し引いても、素晴らしい作品であることを明記しておきたい。マイケルは、自己の世界に没入し、ゆっくりと、ゆっくりと、自分の音楽をつむいでゆく。Nearness of You とは、たんに曲の題名ではなく、アルバム全体のイメージでもあるのではないかと思える程である。

 ところで、このCDの帯には「こんなバラードが聴きたかった……」という宣伝文句が記されている。安易でセンスのない言葉である。はっきりいって、恥ずかしくて口に出すのが憚られるほどだ。けれども、偉そうなことを言った後でいいにくいことだが、その言葉は聴き終わった私の気持ちでもあったのだ。結局、私もミーハーだったということなのだろうか……。


悲しき若者たちのバラード

2006年11月19日 | 今日の一枚(K-L)

●今日の一枚 87●

Keith Jarrett     Tribute

                                5550003_1       

 今日の2枚目。またもキース・ジャレットだ。1989年のケルンでの2枚組ライブ盤で、キースが10人のジャズ・ジャイアンツに曲を捧げるという趣向だ。

 80年代に入ってからのキースは、ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットとスタンダーズ・トリオを結成し、スタンダード曲の斬新な解釈による演奏を繰り広げるようになった。このアルバムもそのひとつ。どの曲も緊密なインタープレイによって密度の濃い演奏である。しかし、私がこのアルバムを極私的名盤に数える理由はただ1つ、Disk-2-④ Ballad of The Sad Young Men の存在によってである。すばらしい。何といえばよいのだろう。かつて、こんな素敵な曲がこんな美しいタッチで奏でられたことがあっただろうか。壊れ易いガラス細工を優しく扱うかのように、キースは繊細なタッチで注意深く弾きはじめる。音と音の間の絶妙な空白。途中からキースに寄り添うように入ってくるゲイリーの温かい音色のベース。ジャックはともに歌うかのように静かなブラッシュ・ワークを展開しつつ、時折絶妙のシンバル・ワークでアクセントをつける。次第に3人の演奏はインタープレイとなっていっていくが、決して美しさを損なうことはない。そして、最後のテーマでキースは、再びリリカルなタッチでピアノを奏でる。

 私の知っているバラードプレイの中で、どんなことがあろうと間違いなく、10本の指に数えられる演奏だ。たまたま手元にある『ジャズ・バラード・ブック』(別冊Swing journal)に、「このかすかな悲哀にぬれたメロディーの美しさこそ真のバラードというものだ。ピーコックのベース・ソロも素晴らしいの一語。キースのバラードのうちで最高のプレイだと思う。」とあった。その通り。付け加えるべき言葉はない。

 熱い夏の午後だった。古いアパートの一室で、私は買ってきたばかりの『トリビュート』の封を切り、再生装置にのせた。Ballad of The Sad Young Men がはじまった時、あけていた窓から風が入ってきた。本当に気持ちの良い、涼しい風だった。いまでも、この曲を聴くと、その風の涼しさを想いだす。特にドラマチックな背景があるわけでもないのに、その風の涼しさだけを想いだすのは一体どうしてなのだろう。


ケルン・コンサート

2006年11月19日 | 今日の一枚(K-L)

●今日の一枚 86●

Keith Jarrett

The Koln Concert

5550002_1  「ケルン・コンサート」が好きだなどというと、硬派のジャズファンとはみなされない傾向があるのは困ったものだが、そんなことはどうでもよく、私は大甘メロディー満載のこの作品が大好きである。とはいっても、やはり大甘メロディーなので毎日聴き続けると飽きるという欠点をもっている。実際、このアルバムを聴いたのは数年ぶりである。しかし、数年ぶりに通して聴いて、この作品が傑作であり、真の名盤であることの確信を強くした。

 1975年1月24日のケルンでのライブ録音盤である。1960年代後半にチャールズ・ロイドのグループで衝撃的なデビューを果たし、その後マイルス・デイヴィスのグループで腕を磨き、マイルスをして「俺のバンドではあいつのピアノが生涯最高だ」といわしめた天才が新しい音楽の方向性のひとつとして考えたのは、アコースティク・ピアノによるソロだった。ハービー・ハンコックチック・コリアがエレクトリック音楽の道を模索したのに対して好対照だ。内藤遊人はじめてのジャズ』(講談社現代新書)には、マイルス・スクールの生徒会長ハービー・ハンコックに対して、キース・ジャレットをマイルス・スクールの「首席」とする文章があるが、なかなかどうして言いえている。

 キース・ジャレットがピアノに向う時、もちろんある程度の構想やイメージを持っているのだろうが、これほどの長い時間、美しく刺激的なメロディーを滞ることなくスムーズに、しかも自己満足に陥ることなく、聴衆に飽きさせずに聴かせるのは、当然のことながら並大抵のことではない。事実、キース以後同じような試みをしたピアニストは何人かおり、確かに作品として素晴らしいものもいくつかはあるが、彼ほど聴衆をひきつける演奏をしたものはほとんどいないのではなかろうか。

 出だしから魅惑的なメロディーではじまり、5分03秒で悩殺フレーズが登場するPartⅠはもちろん大好きだが、今回聴き返してみて、ピアノ・ソロにそろそろ飽きるかなというところで登場するPartⅡ-c ののりのりメロディーは素晴らしいと思った。それにしても、LPにあったPartⅢがCDでは時間の関係でカットされているのは残念だ。新しいCDでは収録されていないのだろうか。