投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

日野樹男歌集(1)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(1) 


■眠らねばならぬ眠れば明日がくる明日など要らぬただ眠りたし

■よく見れば手にも皺などえきたりこの手のペンで探る韻律
■魚には脚なきことのしあはせをグルコサミンなど飮みて思へる
■コーヒーはカリウム多しと脅されてネット檢索コーヒー飮みつつ
■生きものと生まれし不幸壞れゆく速さよわれはすでにぼろぼろ
■掌をかざしわれの額に何ごとか念をおくりし彼女らのその後
■禁煙のつづく理由は自販機の誘惑絶てるタスポの不所持

■マグリット君の描きし空中に浮かべる樹にも根のある渇き
■わが肉に棲める生きもの億兆とききてそれより長者の氣分
■影はわが師のごとくありき服身をかざらずに地に近くして
■家族主義その閉塞を直擊しおれおれなどと詐欺師の電話
■われよりもわれに似てゐる猿を見に猿山がよひ早もいくとせ
■食したる鰺の干物の美味なればわれも干物をめざす晩年
■腦内の電氣信號いそがしくとはいへこのごろ停電多し

■はらわたがかくももつれてゐることにわけなどなくて春の夕暮れ
■酒に醉ふたのしきわれがもうひとり決してわれのやらざることを
■くたびれてあゆめるわれの靴の下あまたのいのち春へと沸きたつ
■鍵かけて部屋を閉ぢたるわがおもひこころ空虛をたれにも見せぬ

■ある日樹がちからに目覺め宇宙へと伸びゆくすがたわれはひれ伏す

■とは何古代の假説されど今も證明できぬ彼らの不在
■五七五さらに七七短歌よと數行しるしてけふの安眠
■もちものに名前を書ける幼さの家に表札たのしき家族
■宇宙人繭をつくれる地下室にわが拔け出でし裂けたる繭が

■表現の自由をおもふつまるところ決して權威を認めぬしくみを
■穴あればかならず覗き見るやまひ井戸の底にてすごせし春
■蟲たちがわれを見てゐる複雜を氣取るほかなきあはれなる肉を
■彼は彼われはわれなりそれぞれの腦をつなげるなにものもなし
■まちかどの赤きポストが違法とはその法こそがまちがひならずや

■戰爭がとつても好きなアメリカの同盟國なり皇國ばんざい
■戰爭はいやだいやだといひながらアメリカ依存の僞善を笑ふ
■日本人平和を語り米軍のやりたい放題見て見ぬふりを
■天皇が逝きたるかの日NHK育テレビの「心の旅路」
■天皇が父天皇を敬語もて語れるニュースNHKにて
■東京に明治宮などといふ奇妙なをまつる宮あり
■中韓の見たるこの國皇國のあやしきすがたわが眼に同じ

■ドイツ人豆腐が好きと新聞に記事讀むわれも湯豆腐晩酌
■新聞にゆゑなく人を殺したる人の名ありてわれに似てゐる
■あをぞらのを無色と思ひ見よ白き雲ゆく華麗なる白
■せきいびき飽くなき駄辯それぞれにこれも個性と透析ぐらし
■熱帶魚そのおそろしき閉塞を君は泳げる學べよわれも

■俳句や短歌表現行爲のかなづかひどうでもいいよそのとき次第
■本來は日日の日本語散文をいかに書くかを決めてのかなづかひ

■古びたる大き皿なりいく千の屍肉をのせてわれをやしなふ
■わが記憶のみに保たれゐる死者よわが死をもちて完全なる死へ
■たけくらべたれとくらべむ四つ足の猫と老いたる四つ足志願
■思考せり何をいかにといふよりもいづれは死ぬる頭のあそび
■ひとりぐらし長くなりきてさびしくて同居者募集人間以外

■壁の内あるいは壁の外なりやわがゐるところかならず壁あり
■卵生のきみのしあはせ翼もつきみのよろこびわれは知らなく
■人はみなかならず地球の裏側を持てり餓ゑゆく人のゐる場所
■去りゆくにひとこゑ高くのこしつつからすはを選びし強さ
■ぜんあくの善をえらびて六十年何もおこらずたいくつしごく

■崩落の快樂やすべてこはれゆくわれは生涯何もつくらず

■明らかに空虛といへるひと部屋にわれをり猫と蜜柑と炬燵
■二階部屋階下にたれか棲みゐると思へば痒し足のうらがは
■凍るものたとへば水のこほりゆくそのありさまに假死など思ふ
■人を愛するすべなど知らず愛さるるほどには愚か者でもあらず
■二四八倍倍ゲイムのたのしさにわが先祖たち總人口以上
■朝食にフリーズドライの味噌汁が一椀附きて寒き冬の日

■幼らは時もたざればこの今をただ永遠とたはむれゐたり
■樂の音が耳にとどけどわが腦は雜音なりといひてゆづらず
■地球にはヒトてふ無敵の生きものが殖しをり共喰ひしつつ
■死は一瞬われは消えゆくわが見たる世界もすべて消えてさよなら
■少年のかの日廻せし小さき獨樂まはりつづけてそろそろおしまひ

■旅客機が擊墜されてばらばらと死者が降るなり歷史はつづく
■ジプシーをロマと呼びかへかはらずに差別をなせる寂しき定住
■痒いかゆいどこもかしこもわが皮膚の裡には蟲が棲みてやあらむ
■深夜われ眠れぬままに起き出でて街をさまよふ獲物もとめて
■直立す步行すされど腎臟がこはれてのちはただぶらぶらす

■ひたすらに願ひもとめていまここに安心あるいはあきらめの時間

■こころとはいづこにあらむ今のところ腦のあたりを假寓となせど
■インフルエンザ豫防接種の説明を聞きつつこれも生へのあがき
■皆がいふ異常氣象のこの豪雨みづから責めを自覺するなく
■獸園にみどりの蛇の部屋ありてたびたび通ひ見てゐしはわれ
■煙草やめいく年を經ついまもなほ白きけむりに隱れたき鬱
■森をゆくわれの巡りに霧たちてはてなはてなと白きなぞなぞ
■生と死の中間あたり透析の機械を見つついまを思へる

■ミニバイクすれちがひざま大聲にぶつけたろかと笑ひつつゆく
■便祕には便祕のくすり不眠には眠れるくすりさて死ぬときは
■一滴のしづくは落ちてたのしげに宙に浮かべり地は迫れども
■人であることもときをり疑へばかがみの中にからつぽの部屋
■この日ごろ命ますますかるくなり空飛ぶこともたぶんできさう
■晝の夢覺めて汗ばむ怖ろしさわれはロボット死のなき永遠
■墓石の大きさ競ひておろかなる彼らの死者はいづこにいこふ

 *安部公房「砂の女」
■とうせきの日日のくらしのくりかへし砂の女の罠のごとくに

■月すでにひとりあそびに飽きはてて滿ちて何する缺けて何する
■ドアや窓開けたるままに彼は逝く地球のすべて受け容れたれば
■隣家にも窓ありされどその視界とことん無視して新築の家
■ぼんやりと明日を思へるとりあへず明日といふ名のけふと同じ日
■まだ生きてゐるよと高き屋上にわれをり遠くはたははためく

■生まれたる以上は死ぬることわりに突然死とはあるいは至
■この坂は老いの坂道ころんでも失ふものなど何にもなくて
■アパートが傾くなどと怖ろしきニュースを見つつ分度器さがす
■魚の頭切つて捨てたる氣樂さに人の死もまたのんびりゆかう
■廢されて四角き石となりはてし墓石に人の名ひたすらをかし
■あと十分あと五分あと一分減りゆく(透析)時間はわが生にして

■人死んでゆくを見送るさびしさは何よりもまづ行方を知らず


日野樹男歌集(2)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(2) 


■曼珠沙華むらがり咲けるその中の一花を選ぶ愛とはかくや
■さういへば雀はいづこに消えたるやわが住む街の空のさびしさ
■蟲一匹眞晝の部屋を這ひよぎり遲遲たりまさに王のごとくに
■草生ひて花枯れてなほわれはゆく透析のみの餘生といへど
■總理官邸前のデモ隊テレビにて見てゐてわれも原發反對
■透析の穿刺の順番まちながらほんの數分管なきねむり

■眠るとはかくこんとんに分け入りて己をさがす旅のごとくに
■ぬばたまの夜の日時計ひそやかに人の眠りを時にかへゆく
■生きてあるこの一瞬をとどめたく買ひにき瞬間接著劑を
■テレビにて地震ありしと見たるゆゑ遲れてすこし搖れておくかな
■机あり椅子ありそこにわがこころ肉のふくろに鎖されてあり
■ほんたうはたたみが嫌ひされどわが人生遍歷安アパートに盡く

■ちぢみゆく老いの身のみが希望なり人口論の闇のかなたに

■慟哭といふをなさむとわが生にむりやり立てし波風いくつ
■雜沓にふと立ち止まり見廻せば人は背をもつひとりにひとつ
■みなもとといへるは小さき泉にて大河につづく淨なる水
■街をはるか離れてわれの仕へゐるこの大樹こそ世界の中心
■ものおもふ姿勢もいつか型どほり六十年は人を石化す
■疲れたる電氣水母の一本の觸手がさがすコンセントかな

■透析にゆかむと今朝のわがうれひ生きて何する何のいのちと
■甲狀腺蝶のごときがひそみゐるのんどに熱き酒のおごりを
■主語なしに原爆の非を石に彫り怒りを知らぬこの國びとは
■被害者がゐて加害者がゐるほかに第三者といふわがゐる立場
■降りつづく雨のひと粒ひと粒に地球は映りこはれて消えむ
■天井も壁のひとつか眠りたきわれのゆく手に聳えてゐたり
■役割の中に生きゆくもろ人にあたへられたる假面の重さ

■子も孫もをらねばいつそこちらからおれおれなどと電話のあそび

■眠るのに顏など要らぬ闇の中假面は朝まで壁に掛けおく
■一脚の椅子にすがたをかへてより待ちつづけゐる君とその脚
■咲きほこる薔薇の花びらひとひらも創れぬわれは憎みて剪りぬ
■放射能もともとありしものなれどかく恐ろしきは人の慾望
■手を銃に擊てば落ちくる鳥もあらむ人の生きゆく惡のあかしに
■おほぜいの他人とともに闇にゐる映畫とはある意味不氣味

■みみふたつほほもふたつと日本語の何とたのしき複數あそび

■ハングルにちちんぷいぷい國學はヒフミヨイムナ古代の奇蹟
■車てふ醜きけものに身を託し彼らはいゆく屁などひりつつ
■人類が亡びてのちのこの地球不在は椅子のかたちにきはまる
■晩年がかくまで酷と思はざりしと愚癡をいひつつ管につながる
■遠き日の宰相たちの子や孫のままごと遊びのまつりごとかな
■人生を昭和と平成に分かたれて元號法とは何たる惡法

■そんなことどうでもいいよの一言を言ひたし言へばたぶんそこまで
■クレアチニンリンにカリウムナトリウムいろはにほへと片假名嫌ひ

■幼年の彼らかならずとしてみづから世界を創れるさなか
■地球より重きいのちがかくまでも地球にえて何と七十億
■ニュース讀むウェブにボタンこの先は有料なりと金には無緣
■あたまあし胸よ腹よと肉體に名を付けいつか切り刻むため
■兩眼の視力のちがひはなはだしわれは結局何も見てゐず
■原爆を落とせし國の政治家が笑顏で語る核なき世界

■土すでに雨を含みてやはらかくすべりたきなり流れたきなり
■ささやかに色をにじませ冬の虹弧線はさびし地にはとどかず
■鮟鱇の身を煮てわが身やしなへば少し似てくるこの顏いかに
■感情といへるをさぐるつもりなどなけれど蟲のまなこのぞきて
■寒き日の土鳩病むあり怪我もあり片脚の君いのち惜しめと
■鷄卵の中にかならず黃身があるほどの確信としての愛か

■方舟を造れとたれかの聲を聞きそれよりはやも百年の無爲

■冬の日は靜かにわれを見降ろしてもはや地球にかかはらぬかに
■黃泉よりも常世こひしとたづねゆく海のかなたに國境さわぎ
■あかねさす晝の日なかに透析の機械を見つつよこたふわれは
■混沌を捕らへてはむと大いなる槽をつくれど外に出られず
■ものなべて壞れてゆけることわりに腦また壞れて樂しき老後
■CGと知れども人がおほかみに變はりゆくさま納得しをり
■道の端たがひにつなぐ架けはしの川を越えゆく人の慾望

■子供二人夫婦と小さき犬一匹君のしあはせ額にをさまる

■月曜のかぐやはいづこ訪ねても月は曠野と知れるさびしさ
■火曜にはかよふ戀路の道なかば火は明らかにわれより速し
■水曜の戀のうはさはたちまちに水とながれてこほりの假面
■木曜の木乃伊をさがす旅果てて木靴のなかに老いてゆく足
■金曜は白きからすがつどひきて金の成る樹のこずゑに憩ふ
■土曜にはどうぞ私を捨てないで土にもまがふ戀もあるとや
■日曜の日も落ち月の出ぬ夜には日めくりめくり紙の月折る

■虛數とはわれのことなりとりあへず生きてはをれどわれはいづこに

■宇宙などいつはりごとにほかならず鳥に壁なす堅き空
■冬の星映してくらき海原の底ひに宇宙しづみてあるらし
■種に始まり種に終はれる花ばなの種の違ひの去年と今年
■臟器みなたとへに語る腎臟は下水處理場こはれて無殘

■われに問ふ懷疑の果てに命をも捨てむとしたる人をわらふや
■空へしづみて消ゆる鳥を見てそれより恐怖かぎりもあらず
■實るなき鬱の果實はわがうちに胎兒のごとく腐りゆくなり
■公園に鳥と人とがつどひきて空と地表へ憎みつつ別る
■人に媚賣りつつ生くる方法を犬を見ながら考へてをり

 *古代道明寺五重塔心礎
■五重塔かつてありしと塔心礎役目終へたるしづけさの中

■肉體と精をそも分かつべきや生きてさびしきひとつのいのち
■湯豆腐の豆腐にかへて厚揚げをはふはふはふと舌によろこぶ
■深夜われ祕めごとなせり寢室に井戸掘りすすむ脱走のために
■冬天を墜ちつつあるを見てあればわれなり何とつばさなくして
■きぐるみのごとき人體數穴を縫ひ殘したるのいたづら
■道具使ふチンパンジーの手の中の木や石たのしそこにとどまれ

■鋭利なる刃物でわれを切り刻まばどこかでこつんと硬き心に
■不意の雨冷たく肩に受けながら透析がへりのわれに影なく
■てぶくろの片手が地面に落ちてあり苦しきほどに何かを求め
■生きもののいきがとだえてものとなるそのありさまが時のありやう
■かまくらはかまなすやねとくらきむろ朝どのも凍えてゐたり

■生きてゐるはずのいのちがかさかさとかわきゆくなり冬のいちにち

■晝寒き冬のひかりのただ中に塵に歸すべきこの身惜しまむ
■臍の穴覗けど見えぬはらわたのわたつみほどの縺れかなしも
■くつくつと鍋に煮らるるここちしてわが身ひと串いくらに賣れむ
■そのものがそのものとしてそこにあるさういふものとしてのわたしよ


日野樹男歌集(3)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(3)


■日曜の人らつどへる街なかにぽつかり空きしはたれの處刑場
■幼な日にいたく怖れし隣家の牛いま美しくまぼろしとして
■眞四角の部屋靜謐にこころまで四角にならねば生きてはゆけぬ
■全身をめぐる血液管にとり虛空を走らす愉しからずや
■いつよりか枯野をあゆむ人となり終はらぬ夢に涙ぐみつつ
■ひさびさに白鳥陵に來てみれば破れ羽ををしき冬蝶見たり

■いちにちを水のごとくに流れきて夜のよどみに汚水のなげき

■萬卷の書を藏したる圖書の落丁誤植が語る世界史
■永遠に水めぐりゆくこの星に機械で水を拔きとるわれは
■雜草の仲間となりてのちのことわれも見えざる花を咲かせつ
■一日の三百六十五倍といふもののこの一年の何たる短さ
■十二月まだ暗きより起きいでてたのしきふりして透析に行く
■吠えられて犬がますます嫌ひなりそれでも夜は遠吠え眞似て

■生に倦み時を殺してわがあれど時の屍臭をいかにせよとや
■進化していまに至れるその時間飛ばざることの選擇はなぜ
■こぼたれて人の住みたる家が消ゆ後に殘るはいくつかの穴
■かなしみて丘に登れば樹とならむもろ手を空に差し伸べながら
■墓原に墓のみありて人よりも長きいのちの石ならびをり
■群の空をたやすく灰色にかへて少年嘘をつきはじむ

■郵便をこよなく愛するわれなればふるさと戀しと額に切手

■母戀しと嵐の海に旅立てるわれを見送るあれが母なのか
■わが歸る部屋には誰もをらぬこと確かめたくてノックしてみる
■いとなみのひとつに地下を掘りすすむ人は故を目指しはしない
■秩序立てて夢を語れば消えてゆく野望といふ名のきまぼろし
■生きてあることの無殘を語るべくカメラのレンズ己に向けつ
■ひたすらにわれを演ずる何者か鏡の中よりわれを見てをり
■さまざまに夢のつづきを思ひつつ朝の珈琲苦きを好む

■さういへば耳よなんぢは何とまあをかしな穴よ腦を覗ける
■赤き輪ゴムひとつねぢれば無限大もとに戾せば眞赤なゼロよ
■いくつもの圓を描けどたのしまず人は死ぬまで生きゆくものを
■積み上げて倒れさうなるダンボール不安は箱の中身なれども
■進化樹の枝の尖端それぞれに勝ち殘りたるものの孤獨を

■剝製の鳥に見られて見かへせばつばさひろげて死を飛ぶ君よ

■月の夜のこころよわりの散策にいつしか影にしたがふわれか
■秋れの空といのちをとりかへてわれは眞き無爲のよろこび
■平等であるはずもなくやすやすと死にゆく子らを如何に悼まむ
■わが夢の朽ちゆく途上に生といふこの重苦しき時の長さよ
■家系譜のいづこにあれどわが名より血は密やかに零れゆくなり
■心にも傷あるなりと比喩はよしされど傷さへ受けぬ空虛も

■ぶらんこが無人のままに搖れてをりすでにたれかを異界へ送り
■鳥が飛ぶその飛ぶさきに何かあるかならず何かなくてはならぬ
■地にあるはかならず空のいづこよりか墜ちたるあかしもはや戾れず
■高きより見下ろしをれば人てふは頭蓋を運ぶ手と足なりき
■オルゴールまはせば同じ子守唄六十年後は老いて眠れる

■六十億七十億とかぞへきて八十億はわが死後やれやれ
■七十億へといともたやすく人類はえてその他の動物は今

■道あればかならず道をよぎる猫いづこへゆくや猫の生きゆく
■鏡中にとりのこされてわが死後の部屋を見てゐる寂しきをとこ
■たとへあと百年生きてみたとしてこのゆふやけがわたしのすべて
■泉よりわき出できたるその水を飮むとはすなはち汚水にかへす
■風強き中をひまはり搖れながら自尊の花の高みをゆづらず
■濁流はなにゆゑ人を魅するかと濁流に身を乘り出して思ふ

■未來とは過去の鏡像かがみより向かうはただのまつくらやみと

■腦内にひらめき消えし何事かすでに覺えず知りたし知りたし
■這ふ蟲に翅あることのともしくてわれまた這ひつつ翅探しをり
■わらわらと蟲這ひ出でし石の下さぞや棲みよきところなるらむ
■妄想癖いまも消えざるかなしさはもはや晩年死後を夢見る
■野にあまた獸のかばね散らばりて喰ひたらひをり蟲の惑星
■補蟲網ふりふり步むあの世まで地獄に落ちても蟲たちがゐる
■この星の主はあるいは地中なる土龍ならずや地上の暑さ

■三發目その原爆が恐ろしとただアメリカにひれ伏す國あり
■開戰の理由はつねにあとづけでまづ戰爭のあるのが歷史
■戰爭はアニメの中につねにあり繪とはいへども人は死にゆく
■戰爭は草のつるぎに草の實の彈うちあひて日の暮るるまで
■戰場にありたる命をながらへて父よ苦しき日常なりけむ

 *江戸川亂步「屋根裏の散步者」
■まくら邊に目覺時計のありしゆゑ自殺にあらずと探偵いはく
■目覺時計かけしがゆゑに自殺にはあらずてふ説われは否定す
 *安部公房「魔法のチョーク」
■壁に描きし食べ物のみに生きつげばやがて繪となる愉しき未來
 *アントン・チェーホフ「犬を連れた奧さん」
■ゆふぐれとなればかならず犬を抱き通る女に戀などはせぬ

■要するに腐るといふは蟲たちの食事中なり邪魔だて無用
■わがまなこひかりてあらむごきぶりと一瞬なれど鬪ふ姿勢
■やどかりの流轉の生をそのままにわがたましひも次の棲家へ
■誕生も死もそれぞれに驛の名と思へばたのし命の電車
■君とゐて日ごと無口になりゆきし理由をいまも考へてをり

 *稲城址
■もののべの守屋がやかた稲城の址とつたへて石文のあり

■天よりの水を雨とはたのしくて雨よふれふれ一緒に天も
■血と葉補色にあれば反轉し血まみれの森みどりの血管
■東歐に季節はめぐり本來の社會主義とは優しさならむに
■北朝鮮の行軍のさま見てあれば鍋に煎らるる豆のごとしと
■おろかしき凹凸ありて人體の美醜を言へる日日のわづらひ
■腕時計もはや無用とおもひしが透析中は時の囚人

■影よ汝が腹に腎臟なきゆゑに幸く生きよとわれより分かつ

■つひに羽化できざるままに腐りゆくさなぎの中のあらゆる翅よ
■いつぴきの犬に家族がえたりと華やぐ男になりたくはなし
■いちにちをふりかへりみて單純に透析のみに終はるさびしさ
■山彦のわれ呼ぶこゑの消えゆけば呼ばるるわれも消えてゆかねば
■才能と努力のはなし聞き飽きて鷄卵論爭に戾りつるかな

■死ぬまぎは遺す言葉を選びゐて死にそこねたる英雄はをらぬか
■ここまでと決めたる量の食事なり命をつなぐ他に意味なく
■くりかへす日日の雜事にかまけつつ輪廻轉生などももしやと
■透析を終へてふらふら歸るなり歸るといふはあきらめに似て
■朝の電車人は會社に學校にいそぐ中にてわれは透析に
■一室は棺と化して孤獨死の老人の闇閉ぢ込めてあり

■薔薇といふ漢字を覺えほこらかに板に薔薇咲かせしも遠く

■百匹を喰らへば二百眼の球がついてくるなりちりめんじやこは
■わが友の蝶がへてくれしこと進化はいづれ蝶にいたると
■春の闇ふくよかなれば子をはらむをんなを思ふ種なきわれも
■菜の花のあつけらかんと黃色くてこの明るさはわれを狂はす
■戰爭が大好きなどとその少年銃をかつげばが喰へると


日野樹男歌集(4)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(4)


■かくまでも愛しきものか赤き血がわが身を出でてまた戾り來る
■河原にて橋の往き來を見てをればわが關はらぬ世のいそがしさ
■血壓がどんどん下がる八十を切つて大變あのあたりの患者
■不愉快と顏にも書いておくべきか野球のはなし體もなし
■一時的に聲をなくせしかの日日をわが春と後に呼びおく
■磔刑をみづから望むをんなえ首に十字架イエスは見えず
■散骨と稱して風に灰をまくその灰吹かれて誰が口中に

■かみさまに感謝するとかいふまへにわれは食事を絶對殘さず
■もしかして二日醉ひにや透析のベッドにありてわれ搖れてをり
■酒よりも煙草をやめむと決めたれど透析しつつ戀しきけむり
■ことさらに光あびせて夜櫻や花とはあるいは恥部かもしれず
■黃砂來と窓を閉め切り見るテレビシルクロウドの砂塵を映す
■古新聞讀みて目とめし小學生自殺せしとよ生きて今何歳

■まづ手足性器を捨ててさて次はあたまと胴のどちらが邪魔に
■ふつくらと春の日ふくみ光りゐる雲を見てをり無緣のものと
■消えてゆく記憶のつくる空白を間と呼ぶならば間拔けて老後
■わが影を盗みに來たる何ものか誰何のこゑに夜と名のりて
■無敵なる生きものヒトは永遠に殖しつつ餓ゑてゆくのか

■魏の人の耳が拾ひしわやわれやわれわれかくてわの國倭國

■さんぱつにゆかうと思ふとりあへず角はかくして人の顏して
■醉眼のわれを呼ぶこゑ眠りへと誘ふかすでに死者としてゆくか
■進化などそろそろやめむこの星をなまけものへと託してさらば
■頸を切り後遺症にてひだり眉なかば禿げたることありむかし
■ローマ字と數字に埋まる腕時計唯一漢字の曜日の具體

■腦内の闇をはらふにわれは今もランプをともすたとへば詩歌

■かろやかに冬の日浴みてわがをるはやまひのはての命の翳か
■とぼとぼと夢にわがゆくまちなみは窓多くして扉なかりき
■心電圖とりてたのしき山や谷草木なけれどわれはあゆめる
■鷄卵を割りては喰らふ日常にわれをりいのちたふとしなどと

■眠りより覺めて思ふは眠りつつ死にたる人のつひのしあはせ
■靈柩車ゆくは火葬場日ごと日ごと腎臟などをこんがり燒きに
■醉ふほどにゼロてふやさしき數の中わが棲む街のありと思ほゆ
■惱みきてわが立つ街の十字路はこころ四方に引き裂く痛み
■夢を見るわれを夢見むそのわれをさらに夢見てひと世は果てむ

 *1・17
■かの日かの巨大地震に搖られつつ思ひしことはつひにわが事

■見えぬゆゑ何もなき闇見えぬゆゑあらゆるものの溢れゐる闇
■この日ごろわれ透きとほりゆくものを影はしとたれか指さす
■ひとり言つぶやく女を避けとほる人の流れにわれもまたをり
■首を吊り風に搖らるるわが姿いとふならねどけふも生きをり
■あまりにも具體的なる話ゆゑ小説みたいとお世辭をいへり
■おもしろき話なるらし本人が笑つてゐるゆゑわれも笑はむ
■コノ世界破滅ハ近シスグ逃ゲヨ公衆便所に赤き矢印

■願はくは無一物にて逝きたしともの捨てをれど本のみえゆく
■書を捨つる基準を問へば讀まぬまま積み置く本をまづは賣れよと
■絨毯を買ふたのしみはこの中のどれかがきつと飛べる一枚
■光る鍵道に拾ひぬいづこにかわれを待ちゐむドアの親しさ
■生きるもよし死んでもよしと思ひ決めさてとりあへず今宵は酒を

■おくゆきやはばやたかさといふよりもただひろびろとありたし心は

■鏡にはかならずわれがゐるゆゑに値札を付けて賣つてしまへり
■戰爭をたのしむための第一課まづはやめよう考へることを
■草や樹や蟲やけものを驅逐して建てたる家に無菌の子供

■地球儀を見つつ七十億の人そこに棲みゐる無殘を思へり
■少女へとかへるたくらみをんならが顏に塗りゐる色つきの土
■飛行機が墜ちたるニュースのその前に飛びゐることの何と恐ろし
■智慧の實をこばまばさびし樂園にアダムはひとりとはのいのちを
■透析を理由にすればたいていのわがままがきく嫌はれながらも

■死は漢語ゆくはあの世を信じ得ずわれはなくなることに決めおく

■今といふこのかたまりが解けてゆく時とは解くといにしへ人は
■刀子てふ今ならナイフのごときもの人を脅すにどすと呼ぶとや
■戸やとびら何かひらひらするやうでどこへもゆくなと鍵かけておく
■ほといふは帆も穗も頬頬もまほろばもふつくらゆたにやさしきところ

■窓はまた異界のものが部屋うちを覗く穴なりときに眼があふ
■寢室のあかりを消せばわが影も消えてこの身を解き放つ闇
■なゐふるとかがみ一枚落ちて割る覗けばわれも碎けてをりぬ
■死にゆくと人は言へどもゆくといふそのゆく先にあてなどなくて
■自轉車と書いてをかしやおのづからころがりゆくは人の在りやう
■渦卷の流れにとらはれ沈むごみ渦をのがれて流れゆくごみ
■城山と名のみ殘して戰國の城すでになく古墳は眠る

■むかしむかし不定時法のいまごろは暮六つなりてふやさしき時間

■維新とや王政復古はこの國を千年むかしへタイムスリップ
■歷史とはうしろすがたの時たちの見えぬ顏など探せるあそび
■雨の日の暗き部屋なりわが腦もかくやとあわてて明りをともす
■字に書けば弱きさかなのいわし喰ふ骨がりがりと丸ごと喰らふ
■鼻に穴耳にも穴のあいてをりわが腦球は出はひり自由

■孕むてふその文字かくもいたいたし子は確實に母を切り裂く
■わが死後はひつぎも要らず墓もなしただ美しき灰となりたし
■靴音がわれより先にいづこへか消えてしまへり靴など買はむ
■分身の術を學びて明日よりはそのうち一人を透析がかりに
■貝殼を殘すに似たり石に名を彫りてならべる墓原むなし

■それ時は崩壞なればわが時計0:00と虛無をうそぶく

■人體のかくやはらかき在りやうは壞れて腐る途中のすがた
■いにしへはきんきらきんの佛像が何を恥ぢてか闇にずむ
■飛行船ごみのごときかきものひとつ捨てたりあれはわれなり
■深夜ふいに鏡中のわれ立ちあがりいづこへか行き歸り來たらず
■たれか咳たれかのいびきそれよりも世間話にわが歌壞るる

■嵐の日夜の濁流に身を投げていのち終はらむなどと秋思ふ
■たばこなど吸ひて憩ひしあのころはき肺もて君と語れり
■方形はほろびやすきかまだ明かき部屋の隅には闇のさきがけ
■もう少しまともなところに住みたしとごきぶり相手に酒の愚癡など
■塵として風に吹かれて死にゆけるかのインヴェイダーに憧れやまず
■日本てふこの簡明な國のさま海にうかびて波とたはむる

■いのちなり時計の針と透析の機械が廻りまはりつづけて
■樹の上にたれか呼びゐる樹の上はふるさとなりきわれら人類
■咲く花の咲くてふことのいとなみを人にたとへむ噓をつくことと
■わがノウトいつごろよりかはたはたと羽ばたくことを覺えて眞白
■野に人の氣配のなきはすでにしてプラスティックの地球のさ

■腎臟がこはれ冷えゆくはらわたに熱砂のふくろ詰めてけふあす


日野樹男歌集(5)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(5)


■石の上に三年ほども長居して石の仲間となるも良きかな
■いくつかの石を比べてそのひとつ投げてわが手に兇器の重さ
■炎晝にわが身がありて影のあるあるいは影あるゆゑにわれ在るか
■いづみてふ地を突きやぶり湧ききたるみづほど人にらなるはなし
■生きゆくにいかなる擬態をなすべきやせめて人眞似だけは止めたく
■あを空をひとつの壁とおもふとき雲のゆきすぐ虜囚のごとく
■けふもまた重たき影を持ちかへり闇のかけらを夏の名殘りに

■われもまた愛國者たりその愛に世襲の王は含まぬなれど

■野に眠り目覺めに見ゆるあをぞらをきひつぎと思ふかなしみ
■浦島の龜にならひてかぶとむし買ひて放てばひとなつの幸
■絶望はまだまだ生きてゆく人がときどき選ぶひとつのあそび
■四つ足の二つを手にかへいま椅子に坐りてをるはさびしきわたし

■鏡中の眼鼻をすこしいぢくつて昆蟲の仲間に入れてもらへり
■わがいのちゆくへ不明のこのまひる影なき身もて影をさがしに
■粒なしてひかりはあるといふならばわが身を打てよ生きてある今
■ライオンの交尾をテレビに見てゐしがげに生殖は祕めごとたるべし
■すがた見の前にたたずむわれひとりその老人をまだうべなへず
■鳥病めば地に落ち魚は水に浮くわれは歌など書きて血を濾す

■ガソリンを賣りゐる店に燈はともりゆふやけ赤く慘事はまだか

■目へといひ尻へといふもみな彼ら四つ脚族のいのちのかたち
■かがみにはわれに似てゐてみぎひだり逆轉したる不機嫌な顏
■われ生きてこころのこりはこの影を地に刻みこむつひにかなはず
■ごきぶりやねずみやくもの繩張りにわれは四角く間借りしてをり

■この星の遠心力に耐へきれず眠る夜ごとにきつと浮かびて
■たいくつは廻轉木馬の廻轉を螺旋にかへて空ゆくほどに
■眞球にあらざる地球のこのゆがみ地球儀の噓けふは窓邊に
■この大地磐石なれどわが指にすこし掘られて身じろぐ氣配

■日の丸のただうつくしくはためくは君とぼくとが誓ふあをぞら

■膽嚢に石をいくつか持つことを空を飛べざる理由と記せり
■にんげんの足のみ靴と名をかへて靴屋の店に飾られてをり
■肉體をたとへばくるりとうらがへし内なる空確かめおかむ
■なきがらのかくも空なるその胸のあたりにかつてわれは棲みけり
■一脚の椅子がこはれてゆく日日をしづかにわが身あづけ見てをり
■われに父母父母にも父母ありいにしへは億兆超えて父母のいましき
■おはやうと言つてはみてもそのあとの他人の生に興味なきわれ

■死の恐怖さまざま言へど單純に何か痛さうそんな氣がして
■頑張つてくださいなどと言はれても機械まかせの透析暮らし
■どんぱちのどんとぱちとのあひまにも人は生まれて生きゆく戰爭
■眠りゆくわれはやすらふ者ならず夢に逢ふ人顏なきままに

■天體を浮かべてゐたる大いなるちからよわれは深く息して

 *江戸川亂步「人間椅子」
■戀ゆゑに椅子にひそみて棲むといふ小説ならずわが生にして
■捨てられて人間椅子のゆくすゑは人たるべきや椅子たるべきや
 *江戸川亂步「鏡地獄」
■球形のかがみの部屋をつくりゐるかれはわれなり發病以前の
 *江戸川亂步「芋蟲」
■もしわれに手足なければころころところがるあそび命せつなく

■圓を描き圓の内なるみづからをさびしと思ふ少年とコンパス
■風を受け石は立ちをり墓として人の名などは朽ちゆくものを
■死は一瞬の消滅なれど人は生きて死を思ふゆゑ死もまたつづく
■わが影のちつともわれに似てをらずつきあひかたを變へてみようか
■遠く見るをんながをとこを打つさまも聲とどかねば睦みあふごとし
■壁にわがかばねをひそと塗りこめて祕密めかして消えゆくさらば
■そびえたつ塔などあらばわが憂ひ救はれむかと探せど見えず
■巨大なる高架道路の貫きてふるさとまとめて石と化したり

■穴あればかならず蟲の巢食ふゆゑ耳鳴りやまずけふも生きゆく

■といふ假説そのまま宗は傳へてつひににであへず
■イエスなき十字架金にひかりゐて誰が磔刑の時を待つらむ
■先立ちて坂登りゆく君の背につばさを見たる日もありかつて
■風に飛ぶ種のゆくへを思ひつつ花咲くころに追ひつくあゆみ
■角を曲がるたびにそろそろ首をのべ次をうかがふ如きやまひなり
■死ぬ前にひとつ試しに飛んでみる飛べば飛べさうなけふの空
■轉居前あれほど身近にありし死が遠くなりゆく何たる不覺

■死んでのち腹など割いて見せたきはこころらに水のごときを
■陽や雲や飛行船などゆく空のうつくしきものは射程の外に
■淚ふと落つるゆくへをたづぬればU字管にてとどまるけはひ
■地球儀のかたちにつくるばくだんの時限裝置は日本のあたり

■窓といふ文字に心のあるほどにわれを見てゐる無數の窓が
■道の邊に花は咲くなりその花の名は知らねどもよろこびの花
■椅子に殘る尻のかたちの曖昧に去りにし人のうしろすがたも
■岩つばめならねば高き塔の家飛べざる子らがつぎつぎに落つ

■飛行船來たりて宙に浮かびゐるわが死はつひに待たれゐるかに

■腦について書かれし書物ひもとけどわが腦何やら納得できぬらし
■ひならし鳥やけものに人のまねさせてよろこぶ人にはならぬ
■たましひも吐息も口より出でゆきて殘るは蟲の棲みなすむくろ
■ある日ふとぷかりと浮かび出できたる腐爛屍體のごとき記憶や
■孤獨死の後のことなりわが部屋に指紋さへなきさびしさなりき
■人が鳥でありしむかしのうるはしき空よ地上は黃泉にかはらず

■寶籤買はねばあたらぬ紙切れを買つてあたらぬ北風の中
■古時計わづかに狂へるその癖をおのが時間と思ひ暮らせり
■たまごうむ鷄もたまごを喰ふ人も同じきさまに生きて死にゆく
■とくとくと處世のすべを説きしよりかの童顏の師を憎みき
■空を飛ぶ夢にはつねに結末がありて落ちゆく目覺めの中へ
■窓をとぢ窓の外なる風を見る見えざるものを見るはさびしき

■ちちははは天國なりてふ幼年に訊けばま白きあの雲の邊に
■噓多き日記なれどもその中のわれはわれより生き生きとあり
■この夜のわれの怒りを記憶せるかがみよ汝をいつか碎かむ
■さかしげに未來社會を語りゐる人らかならず數字を愛す

■冬の夜にひとつあかりを燈しゐるさびしきさまをいのちと思ふ

■ねぢれつつ乘りし電車の人臭く奴隷市場へ急ぐしづけさ
■卷尺ではかるたくらみにんげんの存在理由を數字に換へて
■凡凡とわが在ることをうべなへばこころざわめく何のいのちと
■考へてなほかんがへてかんがへて結論として無爲をうべなふ
■我といふこの一片もいづこにか宇宙の嵌め繪に置く位置あらむ

■いつの日かともに化石とならむため爬蟲の友と骨までからむ

■この冬はねぢにならうと約束しまはるまはるよ地球もわれも
■鏡中のわれとはこのごろ疎遠にて見知らぬふうに髭など剃りぬ
■生きゆくはさびしきことと膽嚢にいくつかの石育てつつをり
■地下街にゐて氣付かざり雪は降りつもらぬままにすでにやみきと

■死んでみて六十年でたいくつし次はしばらく生きてみるかな
■生きてみて六十年でたいくつし次はしばらく死んでみるかな


日野樹男歌集(6)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(6)


■深夜まで人の姿のままにゐて疲れはてたり鏡にむかふ

■枯野より出できて道を訊く人に枯野の道を指して示しつ
■傍觀といへるさびしき姿勢にて波立つ冬の海を見てをり
■ポストへと投函したる手紙には赤き切手と捨てたる昨日

■ぼくたちは宇宙船から落ちてきてすでに地球を愛するまでに

■言葉に人に寡默を強ひる定型のわれいとほしむこの簡明を
■飛んでみて空のひろさを怖れきと人の進化の祕めたる一章
■ひと住むと柱建てゆき壁をなし窓ととびらをつくり鍵さす
■遠く見て風あるところゆるやかに旗ははためくいのち惜しめと
■耐へがたきときあり不意に身の内に冷たき風が吹きつのるなり
■ことごとく臟器を人に與へたるのちのわが身よ死はかろやかに

■透析室の楕圓の時計の長径の端の數字のとどかぬ時間
■美しき花でありしが剪られきてつくり笑ひのごとく飾らる
■かの日かのぶらんこ遊び幼な日に空を飛びしは記憶の彼方
■それぞれの時計に時のあるごとくわが體内のこはれし時間
■ミステリのどんでん返しのやうなこと決してなくて透析の日日

■在りといふ動詞と對に無しといふ形容詞あり在るはつかのま

■人がを創りしゆゑにかくまでもなるものは愚かなるかな
■落下する人を思へり落ちてゆくそのありさまを生と呼ぶべく
■人類のあとを繼ぎたる生きものは如何なる椅子に憩へる未來
■いちにちの終はりかならず人は眠り夜毎に學ぶ死のやすらぎを
■ひとつふたつ卵を割ればたはやすく鎭まる怒りけふも生きむとす
■眼のみわれ鳥となりをりふるさとの航空寫眞にあの道あの川
■あといくつ眠れば終はる夢ならむ夜毎にわれは壞れゆくなり

■ひと昔前にはここでたばこなど吹かしてゐたり秋の川澄む
■からつぽになるまで生きむこの身には秋水凛と充たせよ今宵
■翼なきやまひに氣付きしかの日より空は眞きペンキの壁に
■方舟は不意に來たりぬわれに問ふ選ばれたると信ずるや否や
■なぎさへと寄せくる芥見てあれば人の造りしもののみにくさ

■人のするよきことのみを樹もなさむ腦といふもの樹はもたぬゆゑ

■停電時手廻しも可と聞きてより透析機械に奇妙な親愛
■止まるには止まる理由が必要な綺麗な時計がこちらを見てゐる
■はらわたに砂を詰めたるこのからだ重きときあり街も砂の色
■少しづつ死んでゆく日のけふにゐてビール飮み干す惡事のごとく

■眞夜にゐてけものくさきはわれひとり命さびしむ放屁などして
■わが不在この肉體を空にしてときどき天よりわれを見てをり
■ドアがあり窓があるゆゑときをりは空へ飛び立つ眞似などしたり
■別れたる妻を思へるなしとせず麥の字ほどの懷かしさとして

■その他といふ分類のうれしさにその他らしく生きゐるこのごろ

■樹に樹液人に血液それぞれに病めば涸れゆくことわりなりき
■見えざれど樹の根の深く地中へと伸びゆくちから闇を求めて
■やはらかき肉に秩序をあたへゐる骨ありわが身に異物のごとく
■自殺とはいへど多くは人の世のあやしき罠に落ちたる彼ら
■かくれんぼ最も上手に隱れたるといふ名の子は置き去りに
■こころみに林檎に赤きペンキ塗り君に贈らむ愛のごとくに

■異議ありと聲あげざれば少年の時朽ちやすくはやも晩夏光
■見えぬ背に羽もがれたる傷跡のありと信じてすでに逝く夏
■自轉車に乘りてわがゆくあらがふは風にはあらず老いゆく時間
■いちにちを終へたる胸の混沌に整理つけむと焦りて眠れず
■愛犬の賢さをいふその人のそばに尻尾を振るのみの犬

■井戸涸れてひとつの穴となりてより人らつどひて墜ちゆくあそび

■蟲たちの晩餐たれよ土葬にて食物聯鎖の環は閉ぢむとす
■一鉢の土に芽生えて枯れゆけりわれは見たりき汝が一生を
■リモコンののボタンつれづれに押してみるなり何か變はれと

■君は守宮われは守宮にあらねども夜は壁など這ひてたのしき
■愚かさに絶望はせず賢者にも希望は託さず話讀み繼ぐ
■人を殺すたくらみありて手の平の蟻の命を見つめてゐたり
■きつねよりうさぎに移るつかのまの影繪の中の人の手の指
■きらきらとまなこ光らす老人になりたきものと朝日を拜す

 *60歳に
■ほろびゆく種族はつひにわれを殘しこの莊嚴の夕陽に祈る

■われは飛ぶ白く冷たき月へ向けイカロスの愚をくりかへすなく
■恐龍の末裔ならむといふときの鳥のまなこの愛しくもあるか
■もはやたれも歌はずなりし革命歌たとへば鸚鵡につたへておかむ
■わが立つは空地と呼ばれむき出しの土に草むす天然の場所
■ゆきゆけば古木にこぶの顏ありて森の歷史を語らずや君

■山の上にたれかおらびて新たしき呼ぶらしき夏は來にけり

■蝶道を見付けてある日わが飛ぶは人界よりの逃亡初日
■ビッグバンすでに屆かぬ彼方へとわがふるさとの赤き星かな
■むかしわれタイムマシンが故障してこの地に來たり早も百年
■身を堅くよろへるものら甲蟲のそのやさしさを病みて知りそむ
■生きゆくも死にゆくこともさびしくて宙ぶらりんの晝の月かな
■ロボットがある日かがみを覗き見て考へてゐる人との違ひを

■花のやうに少年苑に笑へりき過ぎゆく時のつばさのかげに

■夕燒けにたれを戀ふとはなけれども少年われは戀しかりしを
■燃え盡きて殘れるものに眞實があるなりゆゑに灰こそがわれ
■薔薇咲くと步みよりたるわが目にはすでに亡びし薔薇の殘影
■朝燒けの幸せさうなあの色を胸の奧まで一杯にしておく
■蟻は蜂より進化せしとや翅を捨て地上を步く蟲の選擇

■日曜は蝶を處刑の日と決めて花のかんざし野をゆくわれは
■ささやかに土地は區切られ家といふ罠のごときを組み立てゐたり
■腕ふたつそれぞれ五指をもちながらなすこともなく垂らしゐるのみ
■不眠症かこつこの身はつひの日も眠れぬままに死ぬのかも知れず
■時計にもいろいろありてわが好むときどきとまるやさしき時計

■透きとほるやまひはつひにわれにおよび飛行船など見つつ淚す

■人がみな鳥となりたるいきさつを語る書物を書架より選ぶ
■比較せよ椅子なき人と人の死後椅子が耐へゆく孤獨の時を
■眠りより目覺めにつづくかすかなるためらひ淡き性の夢かも
■アンテナに電波はとどく遠き地の人は飢ゑつつ殺しあひつつ
■顏なでて鼻やはらかき突起なすこの顏なでて生きてゆくかな

■海に陽をしづめてけふも夜といふかくも親しき衣をまとふ
■かたくなにひとつとびらたたきゐし夢より覺めてなほも苦しき
■うしなひし言葉の數だけ鳥がゐる地球の空の春のゆふぐれ
■さういへば空を飛ぶてふ選擇もありけむものを進化の過程に
■いつの日か芽吹くちからを種として胸の奧なる小さき箱に

■味見して鹽などすこし足してのち頭蓋は閉ぢむけふも狂はず

 *透析室にて
■左手で書きたる文字の讀めざれば管刺す右手で歌書きとめつ


日野樹男歌集(7)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(7)


■何者か闇にゐるゆゑ名をつけむ名をつけたれば消ゆるものなり
■わが内をたしかに巡る血のほかに血より冷たき名もなき何か
■モノクロの映畫の中でうまさうに煙草を吸へる彼はすでに亡し
■歸りきて燈ともす部屋よ何者かその直前に逃げうせたらむ
■海に向き海よ戀しと立つ像の步みやめたる理由やいかに
■人體も管にてあれば測るべし口より尻の穴までの距離

■死にゆく日無一物にてありたしと一日ひとつ物捨つるなり
■逃亡はかくて頭上に揚げひばり記憶の空をのぼりつづけて
■眼前の花は枯れしに花といふ言葉かをりて詩論となせり
■卷貝が卷きてねぢれて遺したる殼の内なるちひさき闇よ
■昆蟲と鳥とが統ぶるこの星の飛べざるゆゑに耕すわれら

 *3・11
■てふてふよ君らの翅を貸したまへ波を越すべきわれらの祈りに

■ぶらんこを去りて殘せる搖れすこしこころの迷ひ風にあづけて
■石置けばつくえがことりと音をたて石とつくえの出合ふゆふぐれ
■刹那てふ言葉せつなきわがいのち宇宙の時に浮かぶたまゆら
■想像せよはるか異星に棲む人の星戀ふる眼をわが太陽を

■自然死のひとつと思ふ引力に身をゆだねたる君の墜死を
■人間をあやつる絲を見てしまひわれ立ちつくす冬の斜陽に
■牡といふ漢字の中の土の字は性器を寫すと知りてさびしむ
■剪りとりてその死を宣告せし花を甕に活けむとをみなら集へる
■見るほどに靈長類てふ名稱は樹にこそ似合へさにはあらずや
■人類のほろびは近し樹よ草よいましばらくは步むな語るな

 *「富士山=伏水の山」語源説
■富士やまの名をとめゆけば伏水なる山とこそいへ水豐かなり

■鳥ならばいかに鳴かむかさまざまに試せどつひに沈默を選ぶ
■冬あかね頬を染めつつわがをればそのかりそめの命のほてり
■冬の夜のしんかんたれど命あるわれの身ぬちに水の音する
■透析室のとぼしき明りに讀む本は若きウェルテル惱みも若し
■ブーメランのごとき遊びかもてあそぶ言葉が深夜われに襲ひ來

■告げぬゆゑ終はらぬ戀のおもひでに色鉛筆は削らずいまも
■求めむと伸ばせしままにちぎれたる手があり地上に手袋として
■猫は眼のみのこして闇に消ゆそれより闇の息づきたしか
■鷄卵をいのちをまるごと喰らふべしかく言ふ人をわれは怖れき
■仕留めたる獲物はボスが眞つ先に内臟喰らふとテレビに見たり

■議事堂に賢者つどひて議をなすと虛しきことを人は夢見き

■透析の針の太さは爪楊枝ほどと聞けども見ることはせず
■寒雷を聞きつつをるは透析の二本の管の迷路のはざま
■なはとびのなはに似てゐる透析の管を握りて跳べざるわれは
■廻轉を血流に變へ透析の機械がもつと生きよとうながす

■等身の少年像ありわがあはれ人より人の像のなつかし
■いま死なばわが身のめぐり罪のごと指紋掌紋おびただしきに
■そのこころ貧しきゆゑの幸ひも求むるものを過たざればこそ
■それは母少年われの愛したる木馬をにくみ灰に變へしは
■まだ暗きうちより起きて本日の豫定はひとつ透析あるのみ
■遠景は誰がゆゑかくもなつかしやうしろの正面しんからくらやみ
■そして誰もゐなくなつたりする前にまづはひとりで死んだまねなど

■消しゴムで消せばなるほど消えてゆく人生なんてほんの落書き

■冬の野に蝶の懺悔を聞きにゆく蜜におぼれし季節の罪を
■降りつづく銀杏落葉をかきよせてひかりの墓にわが名を記せよ
■財をなす僧とは何者捨てに捨て捨てきつてのち信はあらむに
■あれもこれも腹立つことの多きなかどうして勝手に先に死にゆく

■猫の眼で見たる世界として記すけふの日記を怒りに結ぶ
■ひと日わが部屋の内にて苦しめば激しく窓を打ちたたく雨
■わが死後も彼らは生きて生きゆかむわれに關はることにあらねど
■そしていま曠野へむかふ馬車ひとつ我の屍を乘せてゆくらむ
■人生を旅にたとへてさびしかり旅の終はりのすでに見えゐて
■讀みかへす日記にこころひるみたり己あざむく己に逢ひて

■S字なす背骨を白き莖として咲かざる花かわが腦髓は
■カタカナデツヅルイチニチ一日の終はり終はらぬ讀點のまま
■ニュートンの林檎に確率論の罠旅客機いつか墜つるために飛ぶ
■生も死もひとつながりにメビウスの環をたどりつつ今宵の眠りは
■冬の日のまぼろしに立つ塔ありてたれか登れる淋しきたれか

■食べ終へてごちそうさまなど言ひながら茶碗の底に誰もゐない夜

■風は樹に樹は鳥たちにひそかなる智慧の言葉を囁きつたふ
■古本の歌集に一首えんぴつの傍線ありき人を戀ふる歌
■モノクロの寫眞の中に笑みゐるは色うしなひし遠きちちはは
■ひらひらと女の舌のひるがへり唇より出づる言の朽葉よ

■その人はいつでも霧に隱れゐて霧を濃くする戀のあそびや
■深き深き井戸を覗きし少年の怖れをいまにけふを生きつつ
■すでにして汝死にたりといふせりふたれかが耳に囁きつづく
■奴隷船目的地まで生きたるは五人に一人と傳へてあはれ

■月夜にはあなたもきのこになれますと誘ふ手紙がきのこ村から

■かくまでも怒り激しき歸路ながら雨をいとひて傘はさすかな
■釘打てば釘の音する打たれつつすがた消しゆく釘の音する
■湖底へとわづか傾くみちしるべたれか步みて沈みゆきけむ
■動物園にもつとも多き動物は人間なりてふなぞなぞさびし
■孤獨死ののちのことなり蟲たちの饗宴月の明るき夜に

■二本しか脚がなきゆゑいづこにもたどりつけざる旅の途上に

■天にある眞澄の月のかがみにはわが映らねど身をただしつつ
■誰をといふ思ひなけれど三日月の鋭きこと人を殺むるに足る
■おひさまのうしろすがたねあの夕陽遠きはつこひ君のさよなら
■へうたんと定められたる生ならば何はともあれくびれてみせむ
■秋草のあれもこれもと折りとれば野は虐殺のうはさに充ちて
■轢死せる猫はわづかに厚みもち生きたるあかしそれのみにして

■手を銃に螢光燈を擊ちてみむ想像力は硝子を碎くや
■ベストセラー書店に積まれ人の性血液型に分かちてわらふ
■ラジオより人のこゑするこゑのみの人はやさしき人と思へり
■字書引けば囚から國へと竝びゐる因囮困固と苦しき文字よ
■笑ふ鳥話す鳥ゐてにんげんもときにはいつしよに空をとばうか

■人と人がつながることの幻想にいくつかの突起持てどさびしき

■森の樹をひたすら伐るはつひの日に殘る一樹を惜しまむためか
■生きものに序列をあたへ頂點におのれをおきたる人間われも
■にんげんに發見されて名付けられあはれこれより絶滅に向かふ
■わが在るは血をさかのぼる何者か人を殺して生き繼ぎしゆゑ
■たかだかに卵子と子の結合と蟲食ひだらけの家系圖いはく

■海を見に來たる男とすでに見て歸る女の出遇ひか戀は
■地球儀に蟻を這はせてとなる己が遊びを不意に畏れつ
■かつて森かつて渚と古地圖にて見ればわが立つ海の底かな
■ハモニカのドレミファソラシどの音にも光は生まれ虹のたつ朝

■物理的現實なれどこのからだ一定の重さのありて邪魔なり
 


日野樹男歌集(8)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(8)


■原爆をまづ日本が造りきてふ歷史のもしもを八月に思ふ
■冗談の樹を植ゑむかな頭の中の空地ばかりの白き腦球
■人の子のふるさといづこ見よはるか時のかなたの海にちちはは
■愛憎を別つすべなきいらだちにひまはり日日に長けてゆくかな

■髭剃れば髭の音する爪切れば爪の音する生きてあればこそ
■おもしろき海の世界を見てきたる魚の目玉も燒かれて皿に
■むかし今はペットとたはむれて人は生きゆくさびしきけもの
■それぞれの人のいのちのいただきに腦といふ名の夢の墓あり
■われを追ふ誰かがをりぬわれもまた誰かを追へり夢とはいへど

■蟲たちの飛ぶも這へるも集ひきてわが死をなげく眞晝まどろみ

■今日よりも明日をと願ふひたごころいつしか失せて何の安穩
■みづうみの女に噓をつきとほし金の斧得て歸るゆふやけ
■地球よりやさしき星を探さむとわが望遠鏡に虹のレンズを
■鬪病といふは癒ゆる日あることを希みていふなり鬪病はせず
■もの言はぬ金魚にあればその口の形に言葉讀みてなぐさむ
■四時間を長しと思ふ透析を終へて歸れど無爲のよるひる

■被害者にも加害者にもなる犯罪の決して選べぬ偶然の夏

■うつくしき君の眼をみて眼球の球なることにこだはりゐたり
■夜に居てものを思へばよしもなく地球の裏側てふを憎めり
■わが庭に無數の死者のねむりゐて薔薇の香りはことさら強し
■弱き蜘蛛弱きがゆゑの武器なれど毒を嫌はれ殺されてをり
■春の鳥來たれよわれはすでにして籠の内にて亡びゆくもの
■塔の上なほ登りたしわれもまたバベルの塔を夢見るひとり

 *酒に
■ほどけゆく思ひしづかに見つめつつ肉體などは無用と觀ず

■醉へばふと腦髓のみが宙にありふわふわしをりふわふわが愉し
■球といふつかみどころのなきものに他人が見ゆるいかなるやまひ
■人の手にとどかばあんな虹などにあこがれはせぬ手を伸ばしみる
■もはや樹に登らぬなれど樹の上にたれか待ちゐむごときゆふぐれ
■花を活けてやがて枯れゆく花のさま花を殺すといふべきならずや
■「この星にかつて棲みける二足獸」たとへばわれの骨のゆくすゑ

■目に見ゆる世界がすべてうつくしと噓を言ひつつ今日も暮れゆく

■眼球をときには空に放り投げ小石のごときわれを見たきもの
■階段をある日轉げて落つるてふ劇的なる死を想像だけはする
■「菜の花や月は東に日は西に」地球はとつくに壞れて見えず
■猫の眼の高さのあたりゆるやかに猫の時間の流れてあるらし
■不意に右へ曲がりたくなり曲がるなりなすべき仕事あるかのごとく

 *透析除水
■二リットルの水拔き終へて體重はぴつたり二キロのマイナスをかし

■人生は一度きりとのことわりに生きゆくことは博打ならずや
■さいころを百度ころがし百度みな同じ目ならばあるいは地獄
■ぶらんこを漕がず去りにしかの日まで少年われに空を飛ぶ夢
■賣られゐる花屋の花のひとつひとつ色鮮やかに人に媚びゐる
■飛ぶすべを覺えてこよひ飛ぶわれに重力のごと都市のかなしみ
■わが夢の中にのみ棲むけものゐて夜ごと夜ごとにわれを喰らへり

■擬人化はをさなきあそび人類もをさなきころにを創れり

■いのちといふ具體的なる現實を抽象するは智なりや愚なりや
■一といふ漢字を創りし人の顏想像してみむ愉快なるべし
■戰國の世ならばかくも生きむとて假定法にて語るさびしさ
■ものごころつきたるころのものごころいかなるものかもはや覺えず
■幕は下り死者たちがいまよみがへる殺人者とも會釋かはして

■ふりだしにもどるしあはせすごろくの駒なら生きむふたたびの命

■兩の掌を皿とし受けむ陽だまりに陽こそ天與の糧と思へば
■ありとやしろ祀れる人びとへの挨拶としてわれもまた拜す
■心象にいや降りしきる雪なれどこのさびしさは何ごとならむ
■雪の夜に鸚鵡が語る話にはにかたどり鸚鵡を創りきと

■こはれゆく家族のすがたとどめむとひたすら椅子を買ひ足す女、と
■こはれゆく家族をなげきかなしみて椅子にすがたを變へたる男

■突き詰めてわが安穩は世の中のある部分より目を逸らすがゆゑ
■身にいくつ傷あるならむ今となれば自傷の痕も分かたずなりぬ
■つばさと手いづれが明日を摑むらむ鳥ははばたき人は樹を伐る
■こころみにわが身に串を突き刺して鍋に煮てみむいくらに賣れむ
■鮮やかにシステム手帳のシステムの中を生きゆく人のともしき
■わが步みあんたんとして野にあれば花うしなひし冬の蝶來る
■野球ならば試合終了四時間の透析何に勝たうとするや

 *逃亡二年半
■素顏にて犯せし罪を整形の後の口より語るあはれや

■かぎりなき思ひはつひに何ならむこの身盡きたる後の思ひは
■しづかなる冬のひと日の記憶には遠くはためく旗を見しのみ
■人を死に仕ふるしもべと呼ぶなかれ冬あたたかき日差しの中に
■少年のかの日ひたすら冬野ゆきこころ傷みき今もわすれず
■林檎樹のいまだ小さき林檎ひとつ標的として不意にかがやく
■ほろびたる世界のごとしいなづまが曝きて隱す夜の斷片

■花葬てふやさしき葬を知らざるや野にあるわれは草の實食みつ

■組織みな人を機械に變へゆくと醉ひし機械の語る夜かな
■群れをなす群れをいとへるその二種に人を分かてどいづれも寂し
■自轉車を漕ぎつづけゐるロボットが君にふる保身の術とは

■アルテミス貴女は都市を憎みつつ都市に降らせる銀の月光
■まづ月がありきとうたふ外つ國の話にわれは親しみゐたり
■木偶われをあやつる絲よ縺れてはつひにたどれぬ心のありか
■いにしへのはやりやまひの離魂病この身かりそめ魂もかりそめ
■何者か夜ごと來りてわが腦を繪本讀むかに見てかなしめり
■深夜ひとり淚ながせりあやふきは心のかたち歪むな耐へよ

■曼珠沙華咲くも咲かぬもなぎたふしわれのみ赤き花でありたし
■曼珠沙華たどればつづく道の果てふるさとありと思ふくれなゐ
■くだけたる赤き頭蓋をささげもち敗兵たりし曼珠沙華の列

■理科室の人體模型の腎臟を盗みて今朝の目覺めかなしも

■近頃の時計は止まらずなりしゆゑたまにはこちらで止まつてみせむ
■スウィッチのごときがあらば生くることたやすからずや今日はお休み

■矢印はひたすら人を逃亡へさそふたくらみけふもふえゆく
■金の針銀の絲もて地平線縫ひとぢゆくは誰がための奇蹟
■その翅を枯葉に似せたる蝶の畫を見てゐて不意に耐へがたき夏
■カナリアに羽あり籠に飛べぬことわが透析の日日に似てをり
■わが吐ける息のゆくへを知りたくて煙草を吹かすさびしさならむ

■辭書を讀む日課いつしか放棄して日日に消えゆく言葉言葉言葉
■かつて辭書にみどりの髮そのままに髮なりとありしを忘れず
■死語といふ言葉の中にやすやすとあまたの言葉捨てゆくあはれ

■珠なれば壞れやすきはたんぽぽの絮と地球と同じことわり
■すきとほる水もかすかに色づくをただすきとほる命の色は
■沈默は罪のごときか言葉とはなりえぬ思ひ重くよどむも
■人生は自由落下と遺書を書きいまだに生きゐる人のをかしさ
■棘などを護身のすべと信じゐる愚かな薔薇を摘み呆けたり
■虹の弧の見えぬ半ばを尋ねむと地下ゆく電車の切符を買へり


日野樹男歌集(9)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(9)


■ゆく春のこころ殘りの夕暮れに卑彌呼も見きや影のふたかみ

■空豆に似たるかたちの臟器病むみどり失せゆく病なるべし
■十年後生きてやあらむ週三日千五百回餘の透析を經て
■足元にまつはる子猫を何とせう目をあはさずに目をあはさずに
■複葉機見上げてあればほのぼのと春をさかりの生きもののごと
■つひに誰も讀まざる書さへ藏しあり圖書の春いよよたけゆく

■飛びながら死にゆく鳥を思ひ見む幸論のごとき空
■穴ひとつ掘りつつ思ふわが屍土葬ののちの地球の重さを
■灰となるよろこびたれも語らざるゆゑに選びし鳥葬あはれ
■ひとつとせひとつ數へて死んだ子にふたつ降り積む雪の深さよ

 *シャントは「第二の心臟」とも
■四つめの心臟だよと聽診器あてて聽こゆる暗渠の濁流

■たんぽぽはここに花咲く必然を探しはしない決してしない
■誰そ彼の彼より見たる我もまたこのゆふぐれをさまよふひとり
■われ思ふされどわれなく壞れゆくけふにつづくはきのふの記憶
■非常口の常に走つてゐる君よたまには休めと言ひて甲斐なし

 *「日本語はあいから始まる言葉です」
■日本語は愛に始まる何のなんのむかしいろはの色なつかしき

■世界地圖壁に貼りしは一本の針の穴にてふるさと消すため
■古りふりて目鼻缺きたる石佛に笑みなほ殘るありがたきかな
■旅ごころここに極まる如月の邪馬臺國は地圖になき國
■覺めかねていまひとたびの夢に入る午前五時ごろ病を知らず

 *パレスチナのために
■人命に輕重ありとイスラエルもはや捨つべしアンネの日記は

■血は赤きひとつながりの紐としてこの身を縛し虜囚となせり
■掌に一顆乘せたる蜜柑ほがらかに幸とはつひにかくのごときか
■おのづから枯葉の色に染まりつつ歸る道なり透析終へて
■冷えびえと寒たまご掌にたたずめば朝の厨に生をためらふ
■刃物もて人を殺めし人の顏テレビに見たり透析室にて
■赤きもの火事場へいそぐ消防車透析つづく管の迷宮

 *硝子窓に大きく「人工透析」の文字
■ベッドにて人の一字を眺めをり工透析とあとは讀まずに
■よく見れば人といふ字は女なり透析四時間よそごとなれど
■人工の工の一字が線路ならすでに地の果てけふも眺むる

■つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

■終電車見送りなほも何か待つ無人の驛にしほさゐ聽きて
■寄せる波いくつ數へむためらひてわれは命を惜しみつつあり
■われひとり涙に濡れてあるときに那智海岸は雨降りゐたり
■びしよ濡れのわれに聞こゆる警察のテレビは少年の自殺を報ず
■死ねざりしわがもちかへる那智灣の水はわづかに耳より出でつ
■何もかも捨てたきものを海に來て思ひ出ひとつまた持ち歸る
■頸を切り死ねざりしかど傷痕はときに痛みぬ生きてあるゆゑ
■必然と思ひいどみし自死なれどつひに遂げざるままに老いむか
■必敗の人生なりきみづからを殺す夢さへつひにかなはず
■死ぬる意思なきゆゑ死ねぬと言はれつつわれもうべなふ弱き心を
■空想のうちに建てたる王國の王は斃れきかくて老いむか

■山頂を目指すならねど山道は高きへ向かふ高きへゆかむ
■登り來て山より高く飛ぶ鳥をわれはともしと思ひ見るかな
■雲取の雲の中にてわれ思ふ雲となるにはこころ硬きを
■さまよへば熊野山中わが仰ぐ星つぶつぶと大きかりけり
■この山にわれひとりかも霧の夜の熊野雲取さまよふままに
■ふと迷ふこころのありて熊野道逸れてそれより道に迷ひぬ
■不覺にも人を戀しと思ひつつ夜の林道を急ぐわれかも
■わが急ぐ林道白く月に照り山を下りれば生きねばならぬ
■この山の雲のあたりにわが屍隱さむときてつひに死ねざり
■うぐひすも鳴きてはわれに語りくる生きよと聞くは心のこゑか
■一日を水飮み暮らすとわが言へば那智の山水うましと警官ら

■登校の少女とともにバスを待つ死にゆく旅の途上にありて
■樹の言葉鳥の言葉と聞き分けて人語捨てむか峠を越えて
■森に入り森を拔けてもなほひとりわれを求めて誰にも遇はず
■飛びたつはわが魂の鳩一羽群れにはぐれてゆくへはいづこ
■いのちとはものの壞るる一過程壞れこはれてわれはいづこに
■小暗きは小暗きままに陽のさせばそれも幸とし熊野道ゆく
■やすらへば舟見峠の霧はれてはるかに見ゆる人の棲む街
■峠より人の棲みなす街といふ小さきものをはるかに見たり
■はるかなる勝浦灣を見下ろして生を語りき山の老人は
■霧らひつつ杉のそびゆる熊野道たどれば時を旅するわれか
■いにしへは蟻の如しと熊野道いまわれひとりはぐれし蟻か

■死を選ぶつもりの旅にありながら不圖も世相を面白しと見つ
■當人が現はれうはさ話から差別語ひとつ消えてしづまる
■白髮の浮浪者あたりはばからずキセルの奧義傳へてゐたり
■年金の話に花の咲くあたり見れば老いたる浮浪者ふたり
■遁世も金がかかると史書にいふ西行兼好資産家なりき
■かくれんぼかくれつづけてゐるごとき小さき墓に享年五歳
■若者らしやがみ輪をなし話しゐるむかし語りの小學時代
■古本の不快のきはみ十頁目コレガハンニンハイゴクローサン
■生きてゐる著せ替へ人形子供らを元著せ替へ人形が連れ步く
■人生を勝負にたとへ長生きを勝ちと決めゐる老いたる阿呆
■醉漢を見ればいとへる酒なれどわが飮む酒はいのちのいづみ

■旅へ旅へ人をいざなふポスターも死出の旅路は用意なしとか
■新幹線の驛にて見たるポスターの「ひとりの便利はみんなの迷惑」
■すぐしやがむすぐに寢轉ぶすぐ眠る男ら疲れて深夜の驛に
■驅けよりて少女を抱く少年のドラマティックな夜に拍手を
■大いなるごきぶり不意に飛びたちて深夜の驛にときめきゐたり
■飛行機が人を鳥にし自動車はけものにかへむ夜のけものたち
■人もまた動物なれば破滅へとただひたすらに殖しつつ
■遠く見る菜の花ばたけ黃に燃えてわが發狂をうべなふごとし
■逃亡は傷ましきかな振り向けばタイムマシンのごときゆふやけ
■見つめつつ見つめられつつ鏡中のわれを他人とつひにうべなふ
■さやうなら聲にはださぬ訣別は風に木の葉の戰ぐざわめき

■二十年わが住みきたる土地すべて巨大地震の被災地なりき
■地震後もわれは日ごとに搖れてをり弱き心にわれは搖れてをり
■地震毒ガスわがゐぬところ大量に人は死にゆくわれを殘して
■サリンてふ美しき名を毒ガスに與へし人のこころのありか
■ゆきゆかば鐡路の果てにあるものかわれを捨つべき夢の墓場は
■頸を切り幻覺のみを夜もすがら見てゐしわれを憐れむなかれ
■己が頸刃物で切りしかの時をふしぎと夢に見ることもなし
■生きはぐれ死にそびれたる海の町行く末白き風のまにまに
■時計時計時をきざめよ過ぎゆけるけふの痛みを音に殘して

■たまきはる命をいとふ他は言はずわれを生かせる命をいとふ
■それぞれのエゴを足し算せし結果人類てふは怪獸なりき
■とはいへど人類マイナス1としてわれを消すとも何か變はらむ
■目的は人を創るにあらざりきのゲイムはまたふりだしに


日野樹男歌集(10)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(10)


■三色のボールペンなりしにのみが殘りて描く一色の繪

■寒き夏鸚鵡一羽の失踪をさぐりに來たる探偵うつくし
■八月の都心にわれはけものめき爪はひづめに怒りを角に
■眼を閉ぢてひとすぢの道思ふとき行方たちまち崖なす闇に
■蟲落ちて水面小さく波立つをわれは見たりき誰にも告げず
■夏あらし千切れ飛ぶ雲それぞれに帆なき船なり船なき帆なり
■いにしへの變身譚は美しき樹となりかはる喜びを言はず
■われは墮ちてゆきたきものを昇降機地表に開く失意のとびら
■いつはりの戀の懺悔をアリバイにこよひ檸檬を盗みてきたり
■おそるべき葡萄一房皿の上に人の病みたる臟器のかたち

■紙を折りなほ折りかさね形なす飛べざるものを鶴と名付けつ
■眠りゆくわれにかはりて身の裡に何か目覺めて夜を生きむとす
■木椅子ふるび今生戀の成らぬまま死なば屍はかくもあらむか
■繭ごもる蟲みなやさし人の繭ひとはいつしかつくらずなりぬ
■わが生と薔薇一輪をはかりみてつりあへよかしの天秤
■われをのみ拒む聖域あるごとく野に一本の杭は立ちをり

■外つ國にかたむき立てる塔ありとたづねてゆけりかたむくをとこ
■散るさくらひとひら夢にまぎれきて今宵よしなく身ごもるをみな

■毒藥の色こそよけれ空のをしぼりてそのひとしづく
■祕めやかに壁より壁へ瓦斯管はわれのめぐりを瓦斯に充たしつ
■人の世に繩はむすばれ輪をなして人の絶望待ちゐるかたち

■愛を知らず愛を語りき言葉とはかくもたやすく人をあやつる
■戀ひこひて昔アリスのほとの奧ふしぎの國のありと迷ひき
■をみなみな罠もつごとくうつくしくおそろしかりき少年時代
■濁點はわれの頭上にからす二羽いかなる聲で明日を語れと
■この國のむかしばなしに鬼がゐてあるいは鬼の末裔われは
■醉ひどれて魂つかのま翼もちやがて堕ちゆくわが身のうちに
■くろぐろと葬へいざなふ矢印の風に吹かれて天を指すあり
■江戸川亂步「鏡地獄」になけれども父に肖し貌映すかがみよ
■鏡にもつひに映らぬ花あらば自愛の果てのわれと思へよ

■山ならばわれ火を吐かむ川ならば氾濫なさでいかで生くべき

■狩人よわれを擊つべし明日よりは獸にかはる今日のこの身を
■花嫁よ手まりつきつつ病院へ死兒の數などかぞへにゆかむ
■電腦よさあ眠りなさい汝もまた夢見ることを知らねばならぬ

■人眠るその人體のおろかしさ見つつやさしくなりゆくわれか

■受してわれ卵割をかさねたる今にいたるも裂けゆく痛み
■屈葬のむかしやさしき甕棺は死者をつつみて子宮のかたち
■人語虛し眠れば夢のうつろひにさまよふ友ら默して語らず
■遠き日の母とは昏き海なりきわれに消えざる溺死の記憶
■逝く日にはいづこにあらむ十二月十三月へとひとり步めば
■脊柱は蛇のごときか冷えびえと冬あかつきに目覺めてゐたり
■鏡割れその斷片のそれぞれに映るわが身はただ捨つるのみ
■千一夜果つれど癒えぬ憂ひありシャハラザードよなほも語らね

■書を讀めば人のこゑきく心地してわが親しきはなべて死者なり

■まふたつに割かるるまでは林檎にも人の頭蓋の内のくらやみ
■ひとつぶの葡萄を食めばすべらかに人は管なす命のかたち
■地平線少しかたむけ撮る寫眞ふるさといづこ坂をころげて
■かくれんぼ隱れおほせし少年の智慧にさびしき冬のゆふやけ
■獸園へゆきてかへらぬ人のゐて獸はつねにたれかに似たり
■うしなひし戀の重さを掌ではかり等しき林檎探してゐたり
■少年ひとり銃を欲りては葡萄樹に火藥の匂ふ果實を得たり
■かつて魚でありし記憶かもんもんと夢の湖底に手も足もなく

■サーカスの果てて虛空に殘されしぶらんこ乘りの戀はさびしや
■あなかなしマリオネットの絲の數一本えて首吊る芝居
■シシュポスの裔か落暉に手を伸べて人は悲しみ丘にたたずむ
■太陽系第三惑星地球てふこの星われの故にあらず

■きらきらと金魚一匹ふ夏は金魚殺しの汚名に果てむ

■いちご味かすかに殘るガムをもてマリアの像を孕ませてけり
■月蝕の慘を思へりかりかりとむしばむものらわれの身ぬちに
■眼球の乾きゆく日日かわきつつ見る夢ならむわれのひと世も
■杞の人の憂ひまさしく天空はいまし搖れつつひび裂けくだく
■一に一掛けて變らぬ一のまま父とはならぬわがいのちかな
■千の手をもたば充たせる千の慾いかになすべき二つわが腕
■讀み疲れ眼鏡はづせばばうばうと活字は蟲の國のたくらみ
■かしこしとふ人のいふ犬のその從順さをわれ憎みてやまず
■眞赤なる噓吐く舌もくちびるも處世のすべはなべて濡れゐつ

■母の名はエノラゲイなり太字にて歷史に殘るその名のあはれ
■特攻の若き兵士を父となしわが生まれざる日日を思へり
■哀し兵士ら完全武裝をなすほどにいよよ似たるは昆蟲の群れ

■ふるさとの大樹に登り消えしゆゑわれを鴉とみな思ひけむ
■陽に透きて空蟬うつろ望は背なに受けたる傷のごときか
■幼な日のわが哀しみをとんぼの眼百に刻みて見つめゐたりき
■羊水の海に夏來るあさぼらけ泳ぎ知らざるいもうと失せぬ
■野球帽かぶりてわれの八月は消えたるままの魔球のゆくへ
■たらちねの母の慈愛をたとふれば蝶をつらぬく赤き待ち針

■わが假面肉と化したりあたらしき素顏で選ぶ明日の假面を

■時計屋の時計それぞれみづからの時を信じて人に關はらず
■日時計に月かげさせば時はいま時にあらざる夜のあやかし
■砂時計つのる思ひのさらさらに時のかたちは崩れてやまず
■時に名を付けつつ時計は刻刻と人の未來をむしばみゆけり

■泳ぐ魚に手足が生えて直立す進化といふは滑稽ものがたり
■創世の日日は去りにきわれらみな自動機械の如きからくり
■胎内にありしむかしに夢見たるわれはつばさの大いなる鳥
■ますぐなる莖のいただき金色にたんぽぽ登る蟻に幸あれ
■夢一夜旅人たらむと重き荷を背負へどつひに旅は始まらず
■眠らむとたましひ假に花として赤きインクの壺に插しおく

■けふひと日つひに默して夕燒けに啼くべき鳥の聲さへもたず

 *太宰治「走れメロス」
■西方はただ夕燒けてゆくままにわれは何者走らぬメロス
 *オスカー・ワイルド「サロメ」
■戀しきは踊るサロメよ汝がためにわれに無用の首ひとつあり
 *フランツ・カフカ「變身」
■ザムザ病癒えつつあれどわが腦に蟲の時代の漠たる記憶

■革命は古りし玩具のごとくあり手を汚しつつぜんまい捲くも
■東京タワー手折るゴジラの勇姿さへ革命の日への幻想なりき
■君老いて何思ふらむ若き日の月光假面は正義の味方

■いづこより來たりいづこへゆくならむ人の姿に今を生きつつ
■かくてわれ櫻一樹となりおほせ身より散りゆくはなびら無盡

■ひかりあれひかりあれよと暗に涙ながせるのゐたりき
■地球ひとつ形見にのこし逝くとこの夜星なき空に思へり
■否否否ペテロならねばわれはなほ彼を知らずと拒みつづけむ
■地球儀はとほきむかしの思ひ出にく塗りたる地球の墓標
■樹に咲けば花と呼ばるるそのちから我にあたへよ心ひらかむ
■死後に咲く花の種をと買ひもとめ餘命みじかき友に贈らむ
■哀れこのぜんまい仕掛の人間のぜんまい弛びほどけて止みぬ

■遺傳子の螺旋ほどけてわが結ぶいのちのはての蝶結びかな

■ふるびたる寫眞に焰を近づけて父を燒くなり五歳のわれも
■樹に告げて樹の肯へばその日より大樹を父とし仰ぎて見たり
■煙草火を赤くともしてこの闇はわが王國とたれに告ぐべき
■X線に翳もつ蟲のつくりたるひかりの繭は胸のうつろに
■千人を殺むるに足る毒藥をわがために祕す至ならずや
■疑問符を揭げて生れしき芽よわれに似てをりかなしきほどに
■ひらひらと白き蝶ありたはむれに莊子と呼びてともに愉しむ
■裏切りは蜜のごとくに手を汚しゆるさむためか蝶のみ群れ來

■ひとひらの雪の重みに耐へかねて亡びてゆかむ戀も宇宙も

■むかし男千年生きむと思ひけりわれにあらずや千年の疲れ
■人間と生まれしことは夢なれば今朝は枯木の姿に目覺む
■人生の落丁ならむけふの日のこの冬空の深きかなしみは
■わが命まぼろしなりと記すべく薄き日記を買ひきて病みぬ

■若き日の心の問ひにこたへなく白紙のままの冬の空かな


日野樹男句集(1)

2016年01月11日 | 句集

日野樹男句集(1) 


■君は新樹明日より他の時を知らず

■しあはせといふこと春泥あるがまま
■野火よ君あかきつばさをほしいまま
■四つ脚のままのしあはせ猫の戀
■花の種まくや咲くまで生きたくて
■エックス線けふ春光として胸に

■わが罪は海市が牢につぐなはむ
■春の虹見てゐるわれもすぐに消え
■たれも胸に逃げ水ほどの遠き影
■春の夢すみよき國を見つけたり
■沈丁の香をむらさきと思ふ闇
■過ぎてゆくうしろ姿の春ばかり

■菜の花の黃の爆發を生きてみる 

■さくら咲くその咲くといふみだらごと
■蝌蚪も人も群れてたのしき地球かな
■うららかや生きものすべて貌をもつ
■春夕燒けわが屍を燒くにやや足りず
■進化してかすみにいたるいま途上
■春宵はよきかないのち捨つるにも

■蛇穴を出でたり日本はまだあるか
■四苦八苦さらに加へて春うれひ
■よりによつて殘る寒さの透析日
■人も土に還らむけふはつちふると
■シクラメンかほりををへと校正す

■人力のタイムマシンかぶらんこは

■梅の花萬葉びとの眼と鼻で
■人生の道づれならば春の雲
■みづと書きみどりを想ふ水の春
■看護師のら拔きことばや春うらら
■春分の右手ひだり手似て非なる
■ふうせんは人間ぎらひ繫ぎおく

■春ゆふべひと日を結ふはやさしき手

■春近しそれそのあたり君のそば
■春を待つまた一年を無駄にして
■思ひ出の竹馬高くなるばかり
■冬すみれ咲いて小ごゑの心地よさ
■てぶくろとすべての人の手の相似
■失くせしは冬三日月の鋭きこころ

■寒雷や地球の裏の蚊の羽音
■煖房と火偏うれしく爪を切る
■生きのびて身の六割を寒の水
■冬茜しんぷるらいふ死ぬ日まで
■ぐつすりと雪のふとんに眠る山
■冬といふかたまりひとつ目の前に

■重力を知る洟水のとまらぬ日
■草枯れて何でこんなに美しく
■この世には長居せぬ身の冬ごもり
■散る枯葉人にたとふることはせず
■生きながら血を拔かれつつ隙間風

■瀧涸れて瀧とは何か思案中

■冬景色として晩年のわが散步
■われも枯れてゆくよ植物性老後
■湯たんぽが遠くへ逃げてゆく惡夢
■かじかんでゐるのは私とこの地球

■あがりなきすごろく今日も透析へ
■ごまめ注意透析患者の迷ひ箸
■初電話自分にかけて不在なり
■はつゆめは透析やめて寢正月
■初寫眞かがみの中に病むわれを
■取り出して腎まで洗ひたき初湯

■冬帽子わが顏そこにあるしるし
■寒林に人あり樹よりもさびしげに
■彼もまた一所懸命冬木立
■まだ生きてゐるよと眞赤冬紅葉
■寒柝のあれはたぬきの老爺かも

■こんなはずではなかつたと老いて冬

■冬はじめまだしばらくは人を信じ
■風花よとほきむかしをつれて來い
■かぞへ日のかぞへてさびし透析日
■冬あかねささやかなれど幸を知る
■手かがみを買ひきて寒き顏映す
■外界に用あるときもマスク越し

■萩に秋ハギにもアキの潛みゐる
■草の實をはこぶさんぽといふ仕事
■さはやかと思ふ死にどきと思ふほど
■ジパングの黃金まばゆき稲を刈る
■秋刀魚買ふ無數の中のその一尾
■毒きのこ毒をたくはへゆく孤獨

■王位捨て旅立つ人に天高し

■晩秋へむかふ列車にひとり乘る
■蔦紅葉がんじがらめに人の家
■長き夜のドラマに連續殺人鬼
■冷やかにわれをり命見つめつつ
■蚯蚓鳴く土がとつても美味しくて
■夜半の秋生きて何することもなく

■帽とつて挨拶かへす木の子かな
■きのこにはなりたしされど二本足
■きのこからきのこへきつと絲でんわ
■つひに進化きのこ逃げゆく二本足

■秋の暮ほもさぴえんす感傷す
■身に沁みて透析患者といふ老後
■いわし雲のぞみをひとつ足し竝べ
■秋思にも切手いちまい貼つておく
■涼新た何書くとなくペンをとる
■無月いな無地球なるを想像す

■醉芙蓉醉はねば生きてゆけぬ日も


日野樹男句集(2)

2016年01月11日 | 句集

日野樹男句集(2)


■身はつひに秋風かよふ管と知る
■コスモスの搖れて選べぬ好きな色
■ふえて困るそれでもけふは敬老日
■秋の燈を消して見つめてゐる自分
■われひとり月もひとつと見つめあふ

■月見てはわが腦球も缺けてゆく
■これもまた秋聲透析機の微音
■病めばこそ秋氣凛乎と身を正す
■星飛んでいまも昂るこころあり
■よひやみとかく美しき闇を言ふ

■われは紙魚にあらずあんなに走れません

■ひまはりを兇器に君をアリバイに
■文法をまなばぬ子らの夏休み
■朱夏無殘老いては劍もペンもなし
■たましひは永遠不滅などと蚊が
■ほたる掌に哲學などをこころみむ

■咲きみちて薔薇は母系を誇りゐる

■永遠の次に長くて夏ひと日
■罰としてわれ炎晝をゆくならむ
■雪溪に死すそれさへももはや夢
■さても暑し腎臟買ひに來たる街
■肉といふ文字のかたちに咲く牡丹
■いづみ湧くここより大河始まりぬ

■あめりかが嫌ひで廣島原爆忌
■てんなうが嫌ひで長崎原爆忌
■廣島忌から長崎忌まで三日

■蛾と一音蝶と二音の夜と晝
■生きゆくは壞るることと冷奴
■人生を要約すればいととんぼ
■禾偏のわれをり麥の秋のなか
■七月のどこへゆくにも登り坂

■甚平を著てまだ生きてゐるふしぎ
■いぼいぼの胡瓜と世間嚙みくだく
■この地球はだしで步くしあはせを
■老いたるは涸れて無用に噴水も

■月おぼろわれもおぼろとして酌めり

■春雨に濡れたる假面をとりかへる
■春塵のひとつあるいはわがいのち
■野火に眼をあたへよ足や手のほかに
■わがいのち輕きを紙のふうせんに
■ゆく春もすぐに忘れて老後かな

■都みなほろびて大きかひやぐら
■陽炎の中なり生と死のあはひ
■手に取らば春の滿月甘き菓子
■水の春みづ拔く機械に繫がれて
■水温むいのちを洗ふならば今

■たがやして土もこころもやはらかく

■いのち買ひいのちを蒔くや種いろいろ
■野遊びもひとり遊びのままに老い
■老いてなほ何か探せる潮干狩り
■接木してけふに繫がる明日やある
■日本のテレビはいつも子供の日

■春の夜の右折うつかり黄泉路へと
■逃げ水と一緒に逃げてここにゐる
■春光はあまねきに髭剃りのこし
■春ひと日その半分を透析に
■明の規則ただしき心電圖
■進化樹の磯巾著とわれの距離

■老い櫻おもふは若き日の過剩

■春の日の透析室は宇宙船
■身の内に春泥ありとおもふ鬱
■き踏みながらも一步死へ一步
■腦初期化STAP細胞春の夢
■うまごやしけふ新しき散步靴

■むつ走るむつ掘るむつが睨みゐる
■やくそくはさくらに花の咲くごとく
■うすらひをまとひて透析室にゐる
■いまここでこのまま死んでも春うらら
■死ぬときはひとりたんぽぽ手に持てど

■なだれたり雪はあるべきところまで

■腎臟のほかは元氣に春一番
■われは肉春一番を受けて立つ

■冬帽のを思想としてかぶる
■冬銀河地球はたれにも見えぬ星
■ふくろふと人とを分かつ要もなし
■雪の果ていのちのはての白き道
■兎うさぎむかしは耳で飛びしとや
■冬はみな袋にしまふ耳手足
■風邪をひいて寢てゐる春のすぐ隣り

■沼涸れてかならず死者の二三人
■つららもて人を殺めしことは夢
■比類なき名手あるいはもがり笛
■猫の眼に猫のすがたの雪をんな
■水の上をあゆむあり鴛鴦の沓
■水ぶくれさらに著ぶくれ透析へ

■くりかへすことなき今を冬北斗

■時間とは何冬眠中の君に訊く
■大寒や死ぬまで見せぬ頭骸骨
■沈默も武器なりきりりと寒日和
■息しろく吐きては何か失へる

■丹頂のちひさき腦も雪の中
■雪折れかもしれず心も折れさうに
■ユートピア否いな冬の蜃氣樓
■目貼りしてほしきは叫びだす心
■鷹つてゐるとつまらぬ嘘を吐く

■枯れてのち氣がつく人は樹の仲間


日野樹男句集(3)

2016年01月11日 | 句集

日野樹男句集(3) 


■ゆく年の他にも還らざるものら
■人もまた枯れてしまへば幸せに
■何のために毒もつ河豚は皿の上
■腎臟の無きはらわたを笑ひ
■歌かるた言葉にならぬ戀ありき

■冬に入る乳房とつばさなきこの身
■人嫌ひこれさいはひと冬ごもり
■風邪の眼に古墳をめぐる白き道
■枯菊や廢帝てふはよき言葉
■逝く人のかたみち切符柿落葉
■獵解禁そろそろ人も狩るべきか

■もしかして死は永遠の日向ぼこ

■病ながくこころの煤はどう拂ふ
■眞四角が好き湯豆腐がさらに好き
■ゆたんぽの冷えて足から老いてゆく
■後悔は風邪にはじまるわが病

■小説の秋にかならず人の逝く
■日本のきのふの空に木守柿
■落ちてゆくその愉しさに黃落す
■芝居ならここで柝の入る紅葉かな
■病めば身にしみて心はこはれもの
■晩年はきつと寒かろ冬仕度

■花野ゆく花より拙きものとして
■佐保姫はをとめ龍田は契るかな
■芳香は檸檬の罠と知りたるや
■露置いてこんないのちも大切に
■わが秋思蜂一匹をもつて消ゆ

■蘆刈や河内平野はかつて湖

■病めば命するどく燈下親しめり
■春のごとしと霧の中をゆく
■朝霧を脱いで車中の人となる
■もう一人の自分をさがす霧の中

■誰か呼ぶその聲さへも秋の聲
■鶺鴒に影あるかぎり影をたたき
■仙人のをらぬへうたんばかりなり
■禁煙のパイプにほしき花たばこ
■秋風の中に身をおく無用者

■月光を絲につむぎて織るは屍衣
■空をつかみそこねて曼珠沙華
■病みて見き癒えてなほ見る百日紅
■花喰つてゐる無花果に騙されて
■十月やくるすは人を刑に處す

■望月のかぐやに捧ぐき地球

■白帝や天に一創許さざる
■鹿と眼があふ人體の無防備に
■戰爭や葡萄は葡萄にしかなれぬ
■人界に背き高きに登るかな

■秋立つと言葉むなしき暑さかな
■葡萄なり星を房へと地の糧に
■眠劑にねむれば夢に蚯蚓鳴く
■二百十日數へそこねて老いゆけり

■虹を探す愚者の仲間にわれもをり

■蛾と爺いいづれが先に家捨てむ
■網戸して人といふ蟲かごに飼ふ
■放屁蟲ひとりぐらしも長くなり
■蟬のこゑ今年も戰後のまま老いて

■冷房に人冷藏庫に死魚が冷え
■帽捨てて禿頭花のごとき夏
■夏帽の數だけ歳をとる戰後
■まつすぐが好きでそれでも心太
■螢もし身ぬちにあらばわが狂氣
■歳重ね生きて理想は丸はだか

■生きてゐることもしばらく夏休み

■ヘリコプター對夏雲のひといくさ
■風死んでわれゐるき無爲として
■誰か火をつけて逃げゆく油照り
■片陰を猫ゆく人もついてゆく
■西日受けつつ信號は赤が長し

■夏至のわが傾きぐあひ地軸ほど
■萬の補色は己が血のすべて
■咲いてゐるつもりわたしも水中花
■はるかなるものを思へりヨット眼に
■香水のたれかの好みわが不快

■どこへでもゆけさう春の闇へ一步

■立ち盡くす老年つくしほどの矜恃
■菫つんであの世へもつてゆくつもり
■卒業す群れをはなれて一人へと
■孤獨死に友ありき蠅生まる

■凍蝶と凍人かよひあふ命
■冬銀河人すむ星は光らずに
■白鳥の動けば雪とちがふ白
■萬象にふるふゆひゆと冬の雨
■言ひさして雪に話頭を轉じたり
■風花や人生途上といふばかり
■いさかひも蜜語も白き息の中

■過去は記憶未來は夢想いまは冬

■元日や血はくれなゐに管の中
■去年今年血は濁流として流る
■一月の電車が運ぶ黒きもの
■寒がらす人に似てゐて嫌はるる
■枯苑に影を連れきて置き忘れ
■人よりもふくら雀のなじみ顏
■冬の海日本の道はここに斷つ

■國盗つて鷹を放たむ夢の中
■マスクしてわが顏面を非公開
■風花や思ひとどかぬ日の午後に
■猛嘴のたかとわしとを分かつ人
■散り紅葉透析歸りの道明かり
■死ぬものか木の葉しぐれの中にゐて
 


日野樹男句集(4)

2016年01月11日 | 句集

日野樹男句集(4)


■アリバイに秋の虹など語りおく

■海よりも大き勇魚にはやるとも
■島ひとつ絡めとつたり勇魚とり

■老年やわれ蟲かごに棲める鬱
■秋燈下詩を讀むをとこに翳うすく
■ひたひたと蔦におほはれゆく老後
■檸檬買ふほどには元氣透析後
■背の高き新妻ぐみの熟るるころ
■胡桃割つてしまへり祕密など要らぬ

■あと少し生きてこの身も鵙の贄

■百舌鳴いて空の殺人事件かな
■臍の緒を切つて六十年後の花野
■紅葉かつ散りぬ人にも老病死
■秋の野にわれをり咲かず裝はず
■霧を身にまとひてゆくは霧の國
■見えぬものみな美しく霧の中

■人體は空なり霧をつめておく

■龍になりそこねて蛇のまま穴へ
■長き長きうしろすがたや秋の蛇
■竹伐つてかぐや戀しとはや千歳
■檸檬まだみどりに人を寄せつけず
■身にしみてわが血の赤し透析の

■林檎置く卓に林檎の影そへて
■林檎ふと人よりかしこさうな顏
■刃を入れて梨に鋼のにほひかな
■稲妻や死んでゆく日もぎざぎざに
■腎臟を花と咲かせて鷄頭花

■秋れの中なり腎を病みてなほ
■秋濕りつつも何かに耐へてをり
■飮みほしてこれも秋水ゆくごとし
■ゆく水もまた來る水も秋の水
■人はみな石となりはて秋の墓

■こはれても地球はひとつ蟲の秋
■いもむしのこれでも急ぐ旅途中
■闇背負ひきてこほろぎは部屋の隅
■うつくしき兇器は空に二日月
■殘暑わが身のおきどころ探しつつ

■かくまでもいのちくるしき草いきれ

■草笛に思ふいのちに聲あるを
■ハンカチで折る折鶴のごとき夏
■わがもてる獸の臭ひハンカチに
■あをりんご君戀しくてきまま
■木苺の母をとりまく木よ艸よ
■夏逝くともの知り顏の犬が鳴く

■白蝶に文字はなけれど夏見舞ひ
■母の手にかなふものなし胡瓜揉み
■けふひと日冷し中華の具のごとし
■人間と出あひ現の證據と呼ばる
■なめくぢの來し方ひかる道として
■蟲干しのついでに無用の腎臟も

■大トマト喰らへりいのち足すごとく

■少年の乳首あつめてぶだう
■その淵のなまづ王位は世襲制
■蝙蝠と一緒に地球をまもる夜
■毛蟲なぜ人に媚びむと進化せぬ
■透析の除水ゆふべの冷酒かな

■黴てゆく部屋のあるじとして老後
■流螢のたとへばの文字として
■收穫のごとしよ老いの草むしり
■實となるに沈思默考なすの花
■玉葱を下さいそれその地球似の

■麥も人も病みてはき穗をかかげ

■櫻桃忌誰でもいいから愛したい
■鋏持てど薔薇に仕ふるわれら人
■相對すねむれぬ男とねむの花

■きりきりと血壓はかる夏立つ日
■夏立つと透析室に風入れて
■寢ころんではだしで步くい空
■麥秋の道うつくしくま直ぐなる
■梅のみどりを今もあをと呼ぶ

■チューリップ咲くや人なら頭蓋裂け

■この村に住みたし桃を咲かせたし
■陽炎はしあはせめがねすべて夢
■からつぽのポケットまでも朧かな
■藤の花むらさきふかき夜の闇
■ゆく春をピエロ素顏の眼で送る

■われ嘗て海市に棲めり幸せなりき

■誰が魂を迎へにしだれざくらかな
■散骨はたとへばさくら散るゆふべ
■人智假に空にあるならおぼろ月
■春愁ひこのまま死んでいいですか
■身の内の闇深ければ春燈し

■陽にあてて地球儀春の星にする
■蟲愛づる姫にも告げよ地蟲出づ
■猫の子は轉がるものを轉がして
■鳥歸るいのちひとつを旅みやげ
■何捨ててきたるかるさや春の雲

■鳥居には扉のなくて二月盡

■流しびな人もいづれはゆくところ
■早春の人待ち顏の樹に出會ふ
■透析の管を手にして春の夢
■一年後三月十一日は雪

■金色の脚ゆつくりと日脚伸ぶ
■おほかみが季題にありし昔かな
■まんぢゆうが恐いそれから熱燗も
■冬終はる無數のいのち終へてのち

■要目貼こころにすき間多きゆゑ


日野樹男句集(5)

2016年01月11日 | 句集

日野樹男句集(5)


■冬服に顏はりつけて朝のバス
■凍蝶となりしは愚者の夢ならむ
■死に至る道ひとすぢに冬野ゆく
■ひいふうと數へて七つ冬さうび

■中肉にして中背も著ぶくれて
■澤庵をふた切れけふの幸として
■葱やその切られて放つ香もみどり
■枯草とおなじ光のなかにゐる
■寒月のごとく笑へりいたましく

■にんげんも餘計なものは枯れておく

■生きてゐるあかしに白き息をはく
■てぶくろの中に老いゆく十指かな
■なかなかに猫は行火に化けてくれず
■短日の釘しつかりと打ちこまれ
■ストウヴにシャントの腕も暖めて
■透析の膜にへだたる去年今年

■元旦のにはかに尖端恐怖症

■ゆく年の地球に七十億の人
■除夜にゐて命はすでに引き算に
■冬至せめてこの美しきバスクリン
■笑ひ滴りよそほひやつと山眠る
■空つぽになる幸せや日向ぼこ

■きつかけは寒雷なれど默祕せり
■小春日のこの日のために猫をふ
■野にあるは在るべきものら寒暮なり
■くしやみして腹の底までがらんどう
■散り敷いて時の形見の落葉かな

■冬の朝デジタル時計のゼロ四角

■半七の十手も腰に冷ゆるかな
■鳥であるよろこびいかに實南天
■どぶろくのこの混沌をうべなへり
■秋惜しむ昨日にかはらぬ今日なれど
■ゆく秋とゆくへ不明のてふてふと

■進化して木の子に至るおもしろさ
■きのこにはあと五人ほどなれさうな

■人が花にかはる途中の菊人形
■古本を値踏みさるるも秋燈下
■愁思繪に描けば目もなく口もなく
■たいくつの極みにうきくさ紅葉かな
■病む人のこころ細道秋の風

■ころがれば檸檬にれもんだけの道

■すでにして死後なりかくも水澄みて
■秋陰三日病みて錆びゆくものとして
■へうたんのくびれて何の憂ひかな
■花野にてひとつの花を見うしなひ
■蒼天と合はせかがみに秋の海

■寂しさにおのれ燃えたつ紅葉かな
■秋水のたとへばいのち澄むごとく
■百舌鳴く日人語にかなしき語彙多し
■石榴裂けよ星のたまごを抱きつつ
■老年や記憶もゆれてコスモスに

■梅もどきにんげんもどき睦みあひ

■蟲賣りが蟲賣りつくし病むのかも
■いなづまや起承轉結轉が好き
■玉碎くべし秋日海に沒すべし
■いざ落ちむどんぐり落ちてどんぐりに

■良夜なり人よあゆめば旅人に
■秋山に人も果實としてぶらり
■在ることの不安は卓に梨の影
■月天心こころまづしきゆゑに生く

■月まつる否かぐやをまつる男かな

■君の手は銀河にとどく十二歳
■死んでゆく彼に九月の暑きこと
■わがやまひ星が飛ばうと流れよと
■生きてをりへつぴり蟲と呼ばれつつ
■球たらむ葡萄たらむとまだき

■辭書的に出あへり蛇と蛇いちご

■わが逝くは草矢の傷とかの人に
■たましひを金魚にかへて賣りにゆく
■トマト喰ふ喜怒哀樂はどれも赤
■ぬばたまの闇を身ぬちに夏瘦せぬ
■夜光蟲光れぬ蟲はどう生きる
■透析は死ぬまでつづく夏の果て

■非非非非非むかでどこかへゆく途中

■蝶なりや蛾なりやわれは人なりや
■かぶと蟲われ眼中になかるべし
■書くほどに象形文字のごとき薔薇
■朝燒けを見とどけ終へて手術待つ
■何もかも汗のごとくに拭ふべし
■うかうかと晝寢にひと世の夢を見き

■飛んだとて飛魚海を拔けられず
■梅雨の底道路に穴があいてゐる
■瀧として水したたりとしても水
■斑猫にへられたる迷ひ道

■泳ぐなり二足步行に飽きはてて

■箱庭やひとり一匹一軒家
■しばらくはこの身も黴と分類す
■はつなつといふ果物のごとき時
■賣られゐる水著透明人間のもの
■思ひ出のうしろの正面木下闇

■かたつむりつねに途上としての今

■蛇穴をわれは地球を出たきころ
■いまだ來ぬ時を未來と春に待つ
■龍の字にかざり多くて朧かな
■暮れ殘る思ひもあれど暮春かな

■葛井寺藤のむらさき藤の白
■千よたび梅は實となる道明寺