投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

日野樹男歌集(7)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(7)


■何者か闇にゐるゆゑ名をつけむ名をつけたれば消ゆるものなり
■わが内をたしかに巡る血のほかに血より冷たき名もなき何か
■モノクロの映畫の中でうまさうに煙草を吸へる彼はすでに亡し
■歸りきて燈ともす部屋よ何者かその直前に逃げうせたらむ
■海に向き海よ戀しと立つ像の步みやめたる理由やいかに
■人體も管にてあれば測るべし口より尻の穴までの距離

■死にゆく日無一物にてありたしと一日ひとつ物捨つるなり
■逃亡はかくて頭上に揚げひばり記憶の空をのぼりつづけて
■眼前の花は枯れしに花といふ言葉かをりて詩論となせり
■卷貝が卷きてねぢれて遺したる殼の内なるちひさき闇よ
■昆蟲と鳥とが統ぶるこの星の飛べざるゆゑに耕すわれら

 *3・11
■てふてふよ君らの翅を貸したまへ波を越すべきわれらの祈りに

■ぶらんこを去りて殘せる搖れすこしこころの迷ひ風にあづけて
■石置けばつくえがことりと音をたて石とつくえの出合ふゆふぐれ
■刹那てふ言葉せつなきわがいのち宇宙の時に浮かぶたまゆら
■想像せよはるか異星に棲む人の星戀ふる眼をわが太陽を

■自然死のひとつと思ふ引力に身をゆだねたる君の墜死を
■人間をあやつる絲を見てしまひわれ立ちつくす冬の斜陽に
■牡といふ漢字の中の土の字は性器を寫すと知りてさびしむ
■剪りとりてその死を宣告せし花を甕に活けむとをみなら集へる
■見るほどに靈長類てふ名稱は樹にこそ似合へさにはあらずや
■人類のほろびは近し樹よ草よいましばらくは步むな語るな

 *「富士山=伏水の山」語源説
■富士やまの名をとめゆけば伏水なる山とこそいへ水豐かなり

■鳥ならばいかに鳴かむかさまざまに試せどつひに沈默を選ぶ
■冬あかね頬を染めつつわがをればそのかりそめの命のほてり
■冬の夜のしんかんたれど命あるわれの身ぬちに水の音する
■透析室のとぼしき明りに讀む本は若きウェルテル惱みも若し
■ブーメランのごとき遊びかもてあそぶ言葉が深夜われに襲ひ來

■告げぬゆゑ終はらぬ戀のおもひでに色鉛筆は削らずいまも
■求めむと伸ばせしままにちぎれたる手があり地上に手袋として
■猫は眼のみのこして闇に消ゆそれより闇の息づきたしか
■鷄卵をいのちをまるごと喰らふべしかく言ふ人をわれは怖れき
■仕留めたる獲物はボスが眞つ先に内臟喰らふとテレビに見たり

■議事堂に賢者つどひて議をなすと虛しきことを人は夢見き

■透析の針の太さは爪楊枝ほどと聞けども見ることはせず
■寒雷を聞きつつをるは透析の二本の管の迷路のはざま
■なはとびのなはに似てゐる透析の管を握りて跳べざるわれは
■廻轉を血流に變へ透析の機械がもつと生きよとうながす

■等身の少年像ありわがあはれ人より人の像のなつかし
■いま死なばわが身のめぐり罪のごと指紋掌紋おびただしきに
■そのこころ貧しきゆゑの幸ひも求むるものを過たざればこそ
■それは母少年われの愛したる木馬をにくみ灰に變へしは
■まだ暗きうちより起きて本日の豫定はひとつ透析あるのみ
■遠景は誰がゆゑかくもなつかしやうしろの正面しんからくらやみ
■そして誰もゐなくなつたりする前にまづはひとりで死んだまねなど

■消しゴムで消せばなるほど消えてゆく人生なんてほんの落書き

■冬の野に蝶の懺悔を聞きにゆく蜜におぼれし季節の罪を
■降りつづく銀杏落葉をかきよせてひかりの墓にわが名を記せよ
■財をなす僧とは何者捨てに捨て捨てきつてのち信はあらむに
■あれもこれも腹立つことの多きなかどうして勝手に先に死にゆく

■猫の眼で見たる世界として記すけふの日記を怒りに結ぶ
■ひと日わが部屋の内にて苦しめば激しく窓を打ちたたく雨
■わが死後も彼らは生きて生きゆかむわれに關はることにあらねど
■そしていま曠野へむかふ馬車ひとつ我の屍を乘せてゆくらむ
■人生を旅にたとへてさびしかり旅の終はりのすでに見えゐて
■讀みかへす日記にこころひるみたり己あざむく己に逢ひて

■S字なす背骨を白き莖として咲かざる花かわが腦髓は
■カタカナデツヅルイチニチ一日の終はり終はらぬ讀點のまま
■ニュートンの林檎に確率論の罠旅客機いつか墜つるために飛ぶ
■生も死もひとつながりにメビウスの環をたどりつつ今宵の眠りは
■冬の日のまぼろしに立つ塔ありてたれか登れる淋しきたれか

■食べ終へてごちそうさまなど言ひながら茶碗の底に誰もゐない夜

■風は樹に樹は鳥たちにひそかなる智慧の言葉を囁きつたふ
■古本の歌集に一首えんぴつの傍線ありき人を戀ふる歌
■モノクロの寫眞の中に笑みゐるは色うしなひし遠きちちはは
■ひらひらと女の舌のひるがへり唇より出づる言の朽葉よ

■その人はいつでも霧に隱れゐて霧を濃くする戀のあそびや
■深き深き井戸を覗きし少年の怖れをいまにけふを生きつつ
■すでにして汝死にたりといふせりふたれかが耳に囁きつづく
■奴隷船目的地まで生きたるは五人に一人と傳へてあはれ

■月夜にはあなたもきのこになれますと誘ふ手紙がきのこ村から

■かくまでも怒り激しき歸路ながら雨をいとひて傘はさすかな
■釘打てば釘の音する打たれつつすがた消しゆく釘の音する
■湖底へとわづか傾くみちしるべたれか步みて沈みゆきけむ
■動物園にもつとも多き動物は人間なりてふなぞなぞさびし
■孤獨死ののちのことなり蟲たちの饗宴月の明るき夜に

■二本しか脚がなきゆゑいづこにもたどりつけざる旅の途上に

■天にある眞澄の月のかがみにはわが映らねど身をただしつつ
■誰をといふ思ひなけれど三日月の鋭きこと人を殺むるに足る
■おひさまのうしろすがたねあの夕陽遠きはつこひ君のさよなら
■へうたんと定められたる生ならば何はともあれくびれてみせむ
■秋草のあれもこれもと折りとれば野は虐殺のうはさに充ちて
■轢死せる猫はわづかに厚みもち生きたるあかしそれのみにして

■手を銃に螢光燈を擊ちてみむ想像力は硝子を碎くや
■ベストセラー書店に積まれ人の性血液型に分かちてわらふ
■ラジオより人のこゑするこゑのみの人はやさしき人と思へり
■字書引けば囚から國へと竝びゐる因囮困固と苦しき文字よ
■笑ふ鳥話す鳥ゐてにんげんもときにはいつしよに空をとばうか

■人と人がつながることの幻想にいくつかの突起持てどさびしき

■森の樹をひたすら伐るはつひの日に殘る一樹を惜しまむためか
■生きものに序列をあたへ頂點におのれをおきたる人間われも
■にんげんに發見されて名付けられあはれこれより絶滅に向かふ
■わが在るは血をさかのぼる何者か人を殺して生き繼ぎしゆゑ
■たかだかに卵子と子の結合と蟲食ひだらけの家系圖いはく

■海を見に來たる男とすでに見て歸る女の出遇ひか戀は
■地球儀に蟻を這はせてとなる己が遊びを不意に畏れつ
■かつて森かつて渚と古地圖にて見ればわが立つ海の底かな
■ハモニカのドレミファソラシどの音にも光は生まれ虹のたつ朝

■物理的現實なれどこのからだ一定の重さのありて邪魔なり