■生も死もひとつながりにメビウスの環をたどりつつ今宵の眠りは
◎地上波で毎回直接觀てゐた。病氣を切つ掛けに大河ドラマを觀るやうになつたのだが、正直なところ1年間もだらだらと續くドラマに「ドラマ」など期待できるはずもなく、特に後半は毎年退屈なのを我慢しながらの視聽だつた。去年などは戰爭で人殺しをしながら愛がどうしたかうしたといふ話にうんざりして、それでも一旦觀ることに決めた以上は仕方なく音聲を消して繪だけ眺めながらゲイムで遊んでゐたのを思ひ出す。しかし今年は違つた。龍馬好きといふこともあるが毎回毎回話の展開が面白くて最後まで一度も缺かさずにテレビの前に釘付けになつて全部觀た。龍馬の子供時代から暗殺の兇刃に斃れるまでを叮嚀に追つてゐて、よく知られてゐる話だし短くても波亂萬丈の人生はそのままで十分に興味深いものなので、主要なところでは架空の人物などを登場させたりはしてゐなかつたと思ふ。岩崎彌太郎の視點から描いてゐるとはいつても、明治になつてからの彌太郎が新聞記者の取材に應じてゐる場面が何度かありナレイションがその彌太郎の「聲」だといふだけで、龍馬自身は自由に飛び廻つてゐる。埃や煙や逆光を多用した臨場感立體感のある映像は龍馬の人生にはよく合つてゐた。これまでの大河ドラマのやうな平板な映像だつたらと想像するとその效果は絶大なものだつたはず。ぼろぼろの著物を著て埃まみれになつて走り廻つてゐる龍馬の姿に幕末の激動の時代が身近に感じられた。「明治維新」といふのは革命扱ひされることもあるらしいがそれは無理。日本史の詳細な年表に當たれば政治面で現在の首相に相當する地位のところに將軍やら關白やらの人物名が竝ぶが、しかしその上位に途絶えることなく天皇の名前がある。古く實際に權力を持つてゐた時代が終はり武士が擡頭して以後も名前だけの存在とはいへ天皇位は廢されたことがない。殘念ながらこの國には革命はなかつたのだ。龍馬たちが倒さうとした「幕府」といふのも言葉本來の意味では布幕を張り巡らしただけの假の移動式司令部。「將軍」も大伴弟麻呂や坂上田村麻呂以來の稱號をそのまま使ひ續けてゐた。江戸幕府では天守閣のある壯大な城を構へてゐたとはいへ、情けないことに建前はあくまでも朝廷に任命された征夷大將軍が遠征途上で「幕府」を設營してゐるといふだけのことだつた。あれだけの強大な權力に對して「大政奉還」などといふ奇妙な理屈を突き付けることができた根據だが、結果として「王政復古」が實現してしまひ、何と千年近く昔の權力が一氣に表舞臺に返り咲くことになつた。強慾な白人たちが虎視眈眈とこの國を狙つてゐたため幕府に代はる新しい權力を早急に確立する必要があつたとはいへ、そのままでまともに機能するわけがない。近代國家を目指してゐたはずの新政府がやがてその天皇の權威付けのために萬世一系云云といふ話的記述を憲法に盛り込むことになり、日本は古代的價値觀に縛られた宗國家に變貌する。武士政權がそれなりに現實主義に根差した權力であつただけに明らかに退化といふべきだらう。維新に繫がる幕末動亂の時代の初期に尊王を揭げて活動した志士たちの的據り所となつたのは一部の國學で、今風の言葉でなら「道原理主義」とでもいふべき思想だつた。徹底的に漢臭を排して佛以前の古代日本を理想と考へた。漢臭を否定する以上なほのこと洋臭など認められるはずがない。尊王に加へて攘夷が行動理念になつたわけだが中國の阿片戰爭に危機を感じた現實派によつて攘夷は一旦封印されてしまふ。古代の大和王朝は軍事的政治的統一だけでなく話的にも統一に成功してゐて、有力部族の家系話を織り上げその中心に天皇家の家系話を組み込むことにより的にも日本を統一することができた。そのことで天皇は軍事的政治的にだけではなく宗的存在にもなつてゐたから、道原理主義による古代復興はそのまま天皇を「現人」として押し立て熱狂的な信仰に繫がつていく。維新政府の指導的立場にゐた現實派の政治家にとつては天皇の宗的側面を強調することは脆弱な政權の權威を補強するための手段でしかなかつたかも知れないが、生粹の原理主義者たちにとつては天皇は文字通りのであり信仰の對象だつた。そして一旦封印されてゐた攘夷がやがて息を吹き返し現實的判斷を一切無視した世界戰爭へとこの國を追ひ込んでいく。宗的權威を背景とした軍事力が動き出してしまへばもう命懸けでもない限り誰にも制止や反抗はできない。維新前までは將軍や藩の殿樣の權威には服從してゐても天皇の權威には無緣だつたはずの庶民が天皇の名のもとに戰場に狩り出されていく。そんな時代がこの明治維新によつて用意されてしまつてゐた。維新の成功の結果として日本の獨立が守られたことは確かだから、その後の歷史は獨立の代償として受け入れねばならないことだつたのかも知れない。もちろん最大の惡は大航海時代以來地球規模で武裝強盗を續けてゐた餓狼のやうな歐米列強の存在で、明治維新もその後の新政府の方針もすべてその魔の手から國家を守るためだつたのだから、植民地になることなく今日まで獨立を保つて來てゐる以上はこれでよかつたとするしかないのだらう。ただ、萬學に疎い私は日本史の細部についても分からないことだらけなのだが、特に不思議なのは幕末時點での天皇の宗的立場で、小説やテレビドラマ的知識だけではよく理解できないでゐる。日本の古代史の誰でもが知つてゐる話に聖太子が蘇我氏と組んで物部氏を討つた事件があり、何度も繰り返へされた血腥い皇位繼承爭ひのひとつだがそれに對佛政策も絡んでゐたといふ。つまり蘇我氏側が親佛派で物部氏が反佛派。聖太子や蘇我氏の直系の子孫はその後滅びてゐるが佛受容の流れはこのとき確定してをり、日本社會は大きく佛へと舵を切つた。後の源氏物語などでも古くからの道的儀式や習慣は義務的消極的に受け止められ、それに反して佛的な行事には積極性が感じられるやうに描かれてゐる。武士が主役に躍り出たことによつてその後の貴族社會の樣子は私のやうな歷史の素人が讀む讀物類からは姿を消し、それから千年を隔てて突然原理主義的動きの受け皿として天皇が再度大きな存在となる。だがそれまでの千年間の佛信仰は一體どうなつてしまつたのだらうか。いはゆる本地垂迹説的な佛習合狀態を朝廷はどう受け止めてゐたのか。明治になつてからの佛分離政策で一應筋は通してゐるのだが、幕末時點で龍馬たち志士にとつて天皇がどう見えてゐたのかやはり私にはよく分からない。とはいへどんな場合でも變化は樂しいもので、特に物語的興味で歷史を見るときには權力構造が大きく變はる時代が最も面白い。その後に何があつたにしても幕末から維新にかけての激動の時代は、もしそのとき生きてゐたならばと考へるとあの混亂は私の性格ではちよつと困るが、振り返つて眺めるだけなら刺戟的で興味が盡きない。とにかく「龍馬傳」は私が觀た大河ドラマでは一番面白かつた。終はつてしまつて寂しくて仕方がない。來年の大河ドラマはどうやら誰かの娘の生涯を描くらしい。私が關心を持てるのは自分の力で何かをした人物だけで、誰かの配偶者や子供、それに何とか家の何代目などはどうでもいいと思つてゐる。來年はもう大河ドラマを觀ないことになるかも知れない。
●廢市/1984/大林宣彦監督/山下規介、小林聰美、峰岸徹、根岸季衣、入江若葉、尾美としのり、入江たか子、林成年
◎日本映畫專門チャンネルの錄畫。私の記憶の中ではこの映畫はモノクロのはずだつたのだが、今回觀始めてすぐに主人公が回想の中で「廢市」へ向かふために乘り込んだ電車がややくすんだ橙色で、カラー映畫だつたのだといふそのことにまづ驚いてしまつた。たぶん「泥の河」あたりと重なつてしまつてゐたらしい。主人公の江口は新聞記事で或る町が大きな火災に遭つたことを知る。卒業論文を書くために大學時代の最後の夏休みを親戚の紹介でその町の舊家貝原家に滯在したことがあつた。火事の記事を切つ掛けに忘れかけてゐたその遠いひと夏の思ひ出が鮮やかに蘇る。町を貫く運河から網の目のやうに掘割が伸びてゐて舟が何よりの交通手段といふその町は、どこにゐても水音が聞こえるもののまるで生きものが死に絶えたやうな靜かなところ。貝原家は若い安子が切り盛りしてゐて祖母には紹介されたのだが、ゐるはずの姉夫婦にはなぜか會はせて貰へない。江口は早速論文に取り掛かる。快活な安子はときどき江口を連れ出し、住み込みで貝原家の手傳ひをしてゐる學生三郎の操る小舟で町を案内してくれすぐに親しくなつた。やがて江口にも少しづつその舊家の内情が見えて來る。安子の祖父の代には大いに榮えた貝原家も父の代に産を傾けてしまひ、現在は姉郁代の夫で養子の直之が惡戰苦鬪して建て直しを圖つてゐた。しかしその直之は生活面では家を出て秀といふ女性の元に轉がり込んでしまつてゐる。郁代は郁代で懇意の寺に身を寄せてゐて家にはゐない。それがこの貝原家に穴の開いたやうな淋しさをもたらしてゐる原因だつた。江口は直之とは折からの法事の席で言葉を交はすことができたものの、郁代はそんな機會にも頑なに歸つて來ない。ある日、墓參りに出掛ける安子に同行してやつと郁代にも會へたが、町の風情そのままのあまりにも古風なその心の在りやうに驚く。それからしばらくしてその町の昔の榮華を偲ばせるやうな華やかな夏祭りの夜、とても田舍芝居とは思へない見事な舞臺を務めてゐた直之に秀の家で酒を酌み交はしながらゆつくり話を聞く機會が得られた。實は家を出たのは郁代の方が先で、養子の直之は居場所がなくなつて秀の元へ走つたのだといふ。そして今でも郁代を愛してゐるのだとも繰り返す。7月の終はりにそんなことがあつてさらに1箇月、論文に集中したため何とか完成に近づき貝原家での滯在も殘り少なくなつた頃、突然の悲劇が起きる。直之が秀と心中してしまつたのだ。經緯が分からず戸惑ふばかりの江口だつたが、葬儀の席での安子と郁代の言ひ爭ひと直之の遺書から本當の事情がやつと理解出來た。始まりは郁代で、結婚した直之にまだ學生の安子がなついてしまひそのあまりの仲の良さに氣を利かせ過ぎて自ら身を引いていつたのだつた。安子と共に家に殘された直之は居たたまれずに家庭的で母親のやうな秀の元に居付く。一旦逆方向に廻り出した齒車は少しづつふたりを追ひ詰め遂に直之の死に繫がつてしまつた。そもそもこの町全體が流れの止まつた淀みの中で互ひへの氣遣ひといふ文化だけを異常に發達させて來てゐた。たぶん運河を利用した舟運で物流據點として榮えてゐたのだらうがそれも今は衰へ、しかし不如意はあつてもそれは貧しさとは別のもので町も貝原家も基本的な富の蓄積はある。人が集まれば誰かが三味線を持ち出し謠の途切れることもない。だが芝居といひ音曲といひ俳諧といひ、趣味道樂はすべて江戸文化の名殘りで新しいことは誰もやらない。熟し切つてあとは腐るのを待つだけの果實の匂ひ。この町ではかつての隆盛から衰退へと向かふ崩壞感覺がすべてを支配してゐた。その町の雰圍氣をさらに濃縮したやうな郁代の構造では愛情表現とはまづ自分が身を引くことなのだつた。直之もまた郁代を愛するがゆゑに安子のゐる家にはとどまれずにただ居心地がいいといふだけで秀にり、秀は秀で決して愛されてはゐないのを知りながら直之を無條件に受け入れる。どこにも誰にも惡意は存在しないのだが、その先讀みの氣遣ひや心配りが結果としてお互ひを雁字搦めにしてしまひ草臥れ果てた直之が死を選び、まるで直之の影のやうな秀も一緒に死んでいく。悲劇といふにはあまりにも退嬰的な結末を見屆け、しかしそれでも論文だけはしつかり完成させ江口は安子と三郎に見送られて歸りの電車に乘る。電車が走り始めたそのとき、それまでほとんど口も開かなかつた大人しい三郎が車窓の江口に走り寄つて、この町では誰も好きな相手に思ひを傳へられないのだと叫ぶ。江口はそこで初めて安子が自分に思ひを寄せてゐてくれたことに氣付く。そしてそれ以上の驚きをもつて三郎がひたすら安子を愛し續けてゐるのだといふことにも思ひ至る。映畫の中で三郎は寡默に舟を操りながらただジッと安子を見詰めてゐた。彼こそがこの負のエネルギーに充ちた「廢市」のそして貝原家の中の最大の犧牲者だつたのだ。郁代や直之や秀がさうであつたやうに安子も決して自分から積極的に江口を訪ねて來ることはないだらうし、三郎も安子に愛を告げることなく「廢市」の淀みの中に心を沈めていくだらう。ただしまだ學生の三郎にはこの町を出るといふ選擇肢もあり、そのときには江口に向かつて叫んだ勇氣を思ひ出すかも知れない。その方向での後日譚の可能性に氣付くとこの作品の本當の主人公は三郎だつたのではないかと思へて來る。きつとさうに違ひないとひとり納得して目を閉ぢると、映畫はまたモノクロの思ひ出に變はつてゐた。
◎チャンネルNECOの錄畫。「運命の序曲」「愛と悲しみの山河」「完結篇」の三部作で合はせて9時間を超す大作。芥川龍之介は「侏儒の言葉」で繪畫の「大作」を「手間賃の問題にすぎない」と切り捨ててゐるが、この映畫についてもそれが言へる。むかし觀たことは確かなのだがどうやら第1部だけで止めてしまつたらしい。第2部の「愛と悲しみの山河」といふ副題は記憶にあるのでたぶんテレビで觀てゐる。第3部は今回が初めてだと思ふ。ただしウィキペディアの記事によると全四部作の豫定が制作費の都合でこんな形に終はつたといふことで、實は「手間賃の」ではなく「手間賃に問題」があつた大作といふことのやうだ。「戰爭」の方はノモンハン事件までで一應まとめてゐるが、「人間」の方は何もかもが中途半端で尻切れとんぼに終はつてゐる。40年前の映畫で、そのさらに40年ほど前の滿州國建國前夜あたりから話が始まる。關東軍の暴走による張作霖爆殺からどんどん泥沼にはまり込んでしまひ、根據のない大言壯語を競ふ以外に能のない參謀集團には大局を見て戰爭を一旦止めるといふ大人の決斷がつひに出來なかつた。現在もこの國では無能な政治家を尻目に「有能」な官僚集團が「自分たちの仕事」を確保するために既成事實化した無意味な事業を延延と續けてゐる。「自分の仕事」を自分で創り出すのは人間として理想の姿だが、民間と違つて官僚の場合はその財源が國民の税金や足りない分は國の借金なのだから恐ろしい。昔の軍事官僚たちも自分たちの仕事は自分たちで創り出してゐたわけで、參謀なら作戰を立てて初めて存在理由が生まれるから必要があらうとなからうと目一杯妄想を膨らませた結果を作戰として立案する。それに何よりもまづ戰爭がなければを食へない職業軍人たちだから、しばらく平和が續くと不安になり自分たちで無理やり戰爭を創り出してしまふ習性があつた。他人の家に突然油をぶちまけて火を付けその火事を口實に消防車ならぬ戰車を出動させるやうな亂暴なことを平氣でやらかす。戰爭で駒として動かされるのは具體的に命のある人間なのだからこれはたまつたものではない。敗戰後この國の憲法では「戰爭放棄」を謳つてゐるが、この惡戲が過ぎた子供による反省の決意表明めいた條文にも大きな效用がある。憲法の規定により「戰爭」をやらないことに決まつてゐる以上、現在の軍事官僚たちはもう昔のやうに必要もない戰爭を始めたり無意味な作戰を亂發したりしなくても存在理由を問はれることがないのだ。演習さへやつてゐれば地位が保てる。兵士の方も模擬演習では實際に死ぬことはないから結果として皆が幸せに暮らせる。ただ、本當に戰爭の必要が出來たときにどうするのかだけがこの國では誰にも分からない。「人間」の方では新興の「伍代財閥」の一族とその周邊の人物が描かれるが、どれもドラマの斷片が撒き散らされるだけでまとまりはない。當主の由介は知性派であり時局に對する分析は的確、少なくとも言葉にだけは大人の風格が漂ふ。軍部が滿州の利權確保を急ぐあまりに中國に手を突ッ込むことには批判的で、その上ソ聯にまで事を仕掛けるのは問題外としてゐる。それと正反對なのがその弟の喬介で、こちらは滿州での事業を一手に取り仕切る膽力自慢の男。自分の手は直接汚さないが子ひのやくざ者を使つて人殺しも平然とやつてのける。當然金儲けのためには阿片事業なども手掛けるし、對中對ソ強硬派として辯舌を振るひ軍人への働きかけなどの行動にも移す。由介の長男英介はこの喬介に感化されて父親を侮り、最後にはその引退を迫るやうにまでなる。しかし實際には由介も言葉とは裏腹に、獨自の情報網で政界などの動向を探り戰爭を利用して汚い商賣にを出してゐることに變はりはない。長女由紀子が戀愛遍歷の擧句に銀行資本との政略結婚に應じたのも由介の壓力によるもの。この伍代家の當主兄弟の動きが全篇を通して割合叮嚀に描かれてをり、その兄弟の性格や行動の違ひを政府や軍部の對中強硬派と穩健派の對立に照應させることで時代の流れを解説し分かりやすく示す效果を狙つてゐるやうだ。第1部に出て來る喬介の部下ふたり、正義派と惡黨との描き分けも最終的には戰爭利用の汚い商賣に繫がる點で當主兄弟の影のやうなもの。滿州では他に馬賊の頭目や中國共産黨のスパイ、さらに日本人醫師とその友人の中國人資産家一家などの行動が描かれる。第2部では日本軍に家族全員を殺され共産軍に身を投じる朝鮮人徐在林役の地井武男が、戰鬪中に戀人まで殺されて號泣する場面などでこの作品中最も目立つ熱演を見せてゐた。第3部では日本内地の2.26事件など軍部による血腥い事件も描かれるが、それよりも成長した伍代家の次男次女の思想や戀愛問題に時間が割かれてゐる。次男俊介は友人の標耕平に感化され自由主義的な思想を持つやうになり、次女順子もその耕平に思ひを寄せるやうになつて左傾化していく。俊介はなぜか突然兄英介が裏切つて捨てた女性温子との不倫の愛に走るがやがてその算のために滿州に渡る。當然のやうに伍代の會社に身を置いて徴兵猶豫を受けるのだが、それでゐながら統計數字を驅使して日本の戰爭遂行には無理があることを説いた論文を書き、それを手に關東軍の參謀會議に乘り込んで敗戰の必至であることをぶち上げてしまふ。もちろん投獄されるが伍代家の威光で簡單に釋放。結局徴兵猶豫を取り消されて一兵卒としてソ滿國境の守備隊に配屬される。そこでノモンハン事件に遭遇してソ聯軍の凄まじい物量攻擊に身をさらしはからずも自説が正しいことを實際に體驗することになる。新興財閥のぼんぼんに生まれてぎりぎり最後には財力による救濟があることを前提にした左翼ゴッコ反戰ゴッコだつたが、それでもこの本物の戰場體驗でもしかすると何かが變はつたのかも知れない。この俊介の行動と對比させて子澤山の生活苦から長女を女衒に賣る一家の話が出て來る。金力を背景に右でも左でも威勢良く恰好を付けて行動できる人たちの前に立たされたとき、金がないためにや行動まで貧しく慘めに墮ちていき遂にはその自覺さへ失つた人たちの姿はあまりにも悲しい。順子の方は俊介の助けを得て由介に内緒で耕平と結婚してしまふ。耕平が出征する一週間前で、耕平としては考へた末に徴兵拒否ではなく戰場に赴くことを選んだつもりであつた。だが銃劍で捕虜を刺殺することを強要されるなど想像をはるかに超えた嚴しい現實に命令拒否の軍紀違反を犯す。制裁を受け傷だらけで體が動かなくなつたところへ敵襲がありどうやらそのまま進んで捕虜となつたらしいが、しかしこの話は時間切れで續きがなかつた。順子役の吉永小百合が特高に引ッ張られて責め苛まれるはずの場面も見られず。「戰爭と人間」の題名通りに戰爭といふ時代の流れの中でその流れに身を任せたり抵抗したりしながら生きていく人間群像を描いた映畫ではあるが、いくら9時間掛かりとはいへ慾張りすぎてそれぞれの話が斷片的でとりとめがない。たぶん「戰爭」を主役と考へて人間の行動は興味を持續するためだけの添景だと受け取ればもつと素直に觀られる映畫なのだらうが、むかし觀たときどうしても嫌だつたのはその「添景」が俗つぽいメロドラマだつたこと。しかしこれだけ時が經つてから再度觀て、今回はこれもありだらうと納得はしてゐる。軍服を著て鯱鉾張つてゐる「戰爭」に對比させるには裸で絡み合つてゐる「人間」が分かりやすい。日本では江戸時代を通して人口がえなかつたと聞いてゐるが、つまり食糧生産が頭打ちで食べる物がなかつたといふことだらう。避妊法が未發達だつたので育てられさうにない子供は小さいうちに親が自分の手で殺してゐた。また假に生き殘つたところで「人間の命」に大した價値はなかつた。ところが明治になると制限付きながらも人權思想が普及していく中で子殺しに抵抗が出てきた。氏素性が定かでない無名の人間でもその存在價値が認められるやうに変はつてきた。現在でもさうだが、避妊法が普及してゐない段階で中途半端に人權思想に觸れてしまふと急激に人口がえる事態になる。食糧産は追ひつかないので貧しさが目に見えて際立ち、やがて飢餓に直面する。維新から敗戰までの日本にはまだ富の分配の不公平といふ問題があつたのかも知れないが、それでも急激な近代化がかういふ社會的な矛盾をもたらし顯在化するのは必然だつた。現在とは違つて歐米列強の植民地主義がまだまだ大手を振つて罷り通つてゐた時代だつたから、近代化すなはち歐米化に一歩踏み出した日本が植民地支配に憧れたのもまた必然。しかしヨーロッパ人のやうに人間の生活してゐる大陸を「新大陸」と稱しその人間を大量虐殺しておいて丸ごと乘ッ取つてしまふやうな野蠻なことは、あるいはひとつの大陸に彼らなりの價値觀で暢氣に暮らしてゐる人たちを狩り集め他の大陸へ輸送して商品として賣り飛ばすやうな殘酷なことは、日本人にはとても出來なかつた。日本人にはもう「新大陸」はなかつたから舊大陸の「滿州」に目を付けた。あの時代なら、そして口先の言葉だけではなく本當に「五族協和」を實現するつもりだつたなら、「滿州國」にも可能性はあつたのだ。視野の狹い軍人が慾を出して暴走し過ぎた。そして日本人全體が他民族の住んでゐる土地に國家を建てるといふことについての謙虛さが足りなかつた。植民地化した半島ですでに日本人の他國での行儀の惡さが露見してしまつてゐた。「新大陸」やアフリカ、それにインドやフィリピンやハワイを思へば「リットン調査團」など笑ひ話にもならないが、しかしそれでも軍事的暴走を抑へた上で調査團をうまく利用し政治的決著に持ち込めば何とかなつたかも知れない。今ではもう許されない發想ながら、當時なら「中國」から手を引き英米をなだめた上で滿州國經營に專心してゐればしばらくの間は日本の人口加は吸收できてゐたし戰爭擴大の悲劇も防げた。すべては過ぎたことで今さらの話ではあるが、たとへばこの映畫の最後のノモンハン事件の段階までに軍人たちはすでに考へられる限りのあらゆる愚行を犯し失敗を重ねて日本といふ國を奈落の底へ追ひ落とさうとしてゐた。ここからさらに英米と對立しブロック經濟に阻まれるかたちで南方へ資源を求めて無謀な「戰爭のための戰爭」に突き進んでいき、結果として膨大な人間の死を招きさらにはアメリカに核兵器の實驗的使用の口實まで與へてしまふ。理想を言へば戰爭など全くやらないに越したことはないのだが、この映畫が描いてゐる時代の中で現實的な手の打ちどころは滿州國建國のあたりで、そこでやめておけば日本の未來も多少は違つたものになつてゐたやうに思へる。歐米列強が最終的には植民地政策を放棄せざるを得なくなつたやうに、時代の趨勢で滿州國も日本の手を離れていくだらう。しかしそれまでに本當に「五族協和」を實現してゐれば、戰後生まれの私たちが感じ續けて來たやうな自國の歷史に對する恥づかしさはなかつた。戰爭が惡いといふ前にやり方が愚劣過ぎたため振り返つてみて情けなくて仕方ないのだ。「戰爭と人間」に話を戻し映畫のその後を豫想すれば、「伍代財閥」はたぶんしばらくは戰爭を利用してぼろ儲けを續けるだらうが、すでに私たちが知つてゐるあの「敗戰」によつて確實に破綻する。そのとき由介がまだ生きてゐたなら、早いうちに喬介に見切りをつけて目先の利に捉はれずに自分の信念を貫いておけばよかつたと後悔することだらう。假に會社の形が少しでも殘つてゐて同族經營を續けるとしたら、喬介の影響下にある英介を退け俊介に希望を託したに違ひない。