投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

日野樹男歌集(8)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(8)


■原爆をまづ日本が造りきてふ歷史のもしもを八月に思ふ
■冗談の樹を植ゑむかな頭の中の空地ばかりの白き腦球
■人の子のふるさといづこ見よはるか時のかなたの海にちちはは
■愛憎を別つすべなきいらだちにひまはり日日に長けてゆくかな

■髭剃れば髭の音する爪切れば爪の音する生きてあればこそ
■おもしろき海の世界を見てきたる魚の目玉も燒かれて皿に
■むかし今はペットとたはむれて人は生きゆくさびしきけもの
■それぞれの人のいのちのいただきに腦といふ名の夢の墓あり
■われを追ふ誰かがをりぬわれもまた誰かを追へり夢とはいへど

■蟲たちの飛ぶも這へるも集ひきてわが死をなげく眞晝まどろみ

■今日よりも明日をと願ふひたごころいつしか失せて何の安穩
■みづうみの女に噓をつきとほし金の斧得て歸るゆふやけ
■地球よりやさしき星を探さむとわが望遠鏡に虹のレンズを
■鬪病といふは癒ゆる日あることを希みていふなり鬪病はせず
■もの言はぬ金魚にあればその口の形に言葉讀みてなぐさむ
■四時間を長しと思ふ透析を終へて歸れど無爲のよるひる

■被害者にも加害者にもなる犯罪の決して選べぬ偶然の夏

■うつくしき君の眼をみて眼球の球なることにこだはりゐたり
■夜に居てものを思へばよしもなく地球の裏側てふを憎めり
■わが庭に無數の死者のねむりゐて薔薇の香りはことさら強し
■弱き蜘蛛弱きがゆゑの武器なれど毒を嫌はれ殺されてをり
■春の鳥來たれよわれはすでにして籠の内にて亡びゆくもの
■塔の上なほ登りたしわれもまたバベルの塔を夢見るひとり

 *酒に
■ほどけゆく思ひしづかに見つめつつ肉體などは無用と觀ず

■醉へばふと腦髓のみが宙にありふわふわしをりふわふわが愉し
■球といふつかみどころのなきものに他人が見ゆるいかなるやまひ
■人の手にとどかばあんな虹などにあこがれはせぬ手を伸ばしみる
■もはや樹に登らぬなれど樹の上にたれか待ちゐむごときゆふぐれ
■花を活けてやがて枯れゆく花のさま花を殺すといふべきならずや
■「この星にかつて棲みける二足獸」たとへばわれの骨のゆくすゑ

■目に見ゆる世界がすべてうつくしと噓を言ひつつ今日も暮れゆく

■眼球をときには空に放り投げ小石のごときわれを見たきもの
■階段をある日轉げて落つるてふ劇的なる死を想像だけはする
■「菜の花や月は東に日は西に」地球はとつくに壞れて見えず
■猫の眼の高さのあたりゆるやかに猫の時間の流れてあるらし
■不意に右へ曲がりたくなり曲がるなりなすべき仕事あるかのごとく

 *透析除水
■二リットルの水拔き終へて體重はぴつたり二キロのマイナスをかし

■人生は一度きりとのことわりに生きゆくことは博打ならずや
■さいころを百度ころがし百度みな同じ目ならばあるいは地獄
■ぶらんこを漕がず去りにしかの日まで少年われに空を飛ぶ夢
■賣られゐる花屋の花のひとつひとつ色鮮やかに人に媚びゐる
■飛ぶすべを覺えてこよひ飛ぶわれに重力のごと都市のかなしみ
■わが夢の中にのみ棲むけものゐて夜ごと夜ごとにわれを喰らへり

■擬人化はをさなきあそび人類もをさなきころにを創れり

■いのちといふ具體的なる現實を抽象するは智なりや愚なりや
■一といふ漢字を創りし人の顏想像してみむ愉快なるべし
■戰國の世ならばかくも生きむとて假定法にて語るさびしさ
■ものごころつきたるころのものごころいかなるものかもはや覺えず
■幕は下り死者たちがいまよみがへる殺人者とも會釋かはして

■ふりだしにもどるしあはせすごろくの駒なら生きむふたたびの命

■兩の掌を皿とし受けむ陽だまりに陽こそ天與の糧と思へば
■ありとやしろ祀れる人びとへの挨拶としてわれもまた拜す
■心象にいや降りしきる雪なれどこのさびしさは何ごとならむ
■雪の夜に鸚鵡が語る話にはにかたどり鸚鵡を創りきと

■こはれゆく家族のすがたとどめむとひたすら椅子を買ひ足す女、と
■こはれゆく家族をなげきかなしみて椅子にすがたを變へたる男

■突き詰めてわが安穩は世の中のある部分より目を逸らすがゆゑ
■身にいくつ傷あるならむ今となれば自傷の痕も分かたずなりぬ
■つばさと手いづれが明日を摑むらむ鳥ははばたき人は樹を伐る
■こころみにわが身に串を突き刺して鍋に煮てみむいくらに賣れむ
■鮮やかにシステム手帳のシステムの中を生きゆく人のともしき
■わが步みあんたんとして野にあれば花うしなひし冬の蝶來る
■野球ならば試合終了四時間の透析何に勝たうとするや

 *逃亡二年半
■素顏にて犯せし罪を整形の後の口より語るあはれや

■かぎりなき思ひはつひに何ならむこの身盡きたる後の思ひは
■しづかなる冬のひと日の記憶には遠くはためく旗を見しのみ
■人を死に仕ふるしもべと呼ぶなかれ冬あたたかき日差しの中に
■少年のかの日ひたすら冬野ゆきこころ傷みき今もわすれず
■林檎樹のいまだ小さき林檎ひとつ標的として不意にかがやく
■ほろびたる世界のごとしいなづまが曝きて隱す夜の斷片

■花葬てふやさしき葬を知らざるや野にあるわれは草の實食みつ

■組織みな人を機械に變へゆくと醉ひし機械の語る夜かな
■群れをなす群れをいとへるその二種に人を分かてどいづれも寂し
■自轉車を漕ぎつづけゐるロボットが君にふる保身の術とは

■アルテミス貴女は都市を憎みつつ都市に降らせる銀の月光
■まづ月がありきとうたふ外つ國の話にわれは親しみゐたり
■木偶われをあやつる絲よ縺れてはつひにたどれぬ心のありか
■いにしへのはやりやまひの離魂病この身かりそめ魂もかりそめ
■何者か夜ごと來りてわが腦を繪本讀むかに見てかなしめり
■深夜ひとり淚ながせりあやふきは心のかたち歪むな耐へよ

■曼珠沙華咲くも咲かぬもなぎたふしわれのみ赤き花でありたし
■曼珠沙華たどればつづく道の果てふるさとありと思ふくれなゐ
■くだけたる赤き頭蓋をささげもち敗兵たりし曼珠沙華の列

■理科室の人體模型の腎臟を盗みて今朝の目覺めかなしも

■近頃の時計は止まらずなりしゆゑたまにはこちらで止まつてみせむ
■スウィッチのごときがあらば生くることたやすからずや今日はお休み

■矢印はひたすら人を逃亡へさそふたくらみけふもふえゆく
■金の針銀の絲もて地平線縫ひとぢゆくは誰がための奇蹟
■その翅を枯葉に似せたる蝶の畫を見てゐて不意に耐へがたき夏
■カナリアに羽あり籠に飛べぬことわが透析の日日に似てをり
■わが吐ける息のゆくへを知りたくて煙草を吹かすさびしさならむ

■辭書を讀む日課いつしか放棄して日日に消えゆく言葉言葉言葉
■かつて辭書にみどりの髮そのままに髮なりとありしを忘れず
■死語といふ言葉の中にやすやすとあまたの言葉捨てゆくあはれ

■珠なれば壞れやすきはたんぽぽの絮と地球と同じことわり
■すきとほる水もかすかに色づくをただすきとほる命の色は
■沈默は罪のごときか言葉とはなりえぬ思ひ重くよどむも
■人生は自由落下と遺書を書きいまだに生きゐる人のをかしさ
■棘などを護身のすべと信じゐる愚かな薔薇を摘み呆けたり
■虹の弧の見えぬ半ばを尋ねむと地下ゆく電車の切符を買へり