投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

日野樹男歌集(9)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(9)


■ゆく春のこころ殘りの夕暮れに卑彌呼も見きや影のふたかみ

■空豆に似たるかたちの臟器病むみどり失せゆく病なるべし
■十年後生きてやあらむ週三日千五百回餘の透析を經て
■足元にまつはる子猫を何とせう目をあはさずに目をあはさずに
■複葉機見上げてあればほのぼのと春をさかりの生きもののごと
■つひに誰も讀まざる書さへ藏しあり圖書の春いよよたけゆく

■飛びながら死にゆく鳥を思ひ見む幸論のごとき空
■穴ひとつ掘りつつ思ふわが屍土葬ののちの地球の重さを
■灰となるよろこびたれも語らざるゆゑに選びし鳥葬あはれ
■ひとつとせひとつ數へて死んだ子にふたつ降り積む雪の深さよ

 *シャントは「第二の心臟」とも
■四つめの心臟だよと聽診器あてて聽こゆる暗渠の濁流

■たんぽぽはここに花咲く必然を探しはしない決してしない
■誰そ彼の彼より見たる我もまたこのゆふぐれをさまよふひとり
■われ思ふされどわれなく壞れゆくけふにつづくはきのふの記憶
■非常口の常に走つてゐる君よたまには休めと言ひて甲斐なし

 *「日本語はあいから始まる言葉です」
■日本語は愛に始まる何のなんのむかしいろはの色なつかしき

■世界地圖壁に貼りしは一本の針の穴にてふるさと消すため
■古りふりて目鼻缺きたる石佛に笑みなほ殘るありがたきかな
■旅ごころここに極まる如月の邪馬臺國は地圖になき國
■覺めかねていまひとたびの夢に入る午前五時ごろ病を知らず

 *パレスチナのために
■人命に輕重ありとイスラエルもはや捨つべしアンネの日記は

■血は赤きひとつながりの紐としてこの身を縛し虜囚となせり
■掌に一顆乘せたる蜜柑ほがらかに幸とはつひにかくのごときか
■おのづから枯葉の色に染まりつつ歸る道なり透析終へて
■冷えびえと寒たまご掌にたたずめば朝の厨に生をためらふ
■刃物もて人を殺めし人の顏テレビに見たり透析室にて
■赤きもの火事場へいそぐ消防車透析つづく管の迷宮

 *硝子窓に大きく「人工透析」の文字
■ベッドにて人の一字を眺めをり工透析とあとは讀まずに
■よく見れば人といふ字は女なり透析四時間よそごとなれど
■人工の工の一字が線路ならすでに地の果てけふも眺むる

■つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

■終電車見送りなほも何か待つ無人の驛にしほさゐ聽きて
■寄せる波いくつ數へむためらひてわれは命を惜しみつつあり
■われひとり涙に濡れてあるときに那智海岸は雨降りゐたり
■びしよ濡れのわれに聞こゆる警察のテレビは少年の自殺を報ず
■死ねざりしわがもちかへる那智灣の水はわづかに耳より出でつ
■何もかも捨てたきものを海に來て思ひ出ひとつまた持ち歸る
■頸を切り死ねざりしかど傷痕はときに痛みぬ生きてあるゆゑ
■必然と思ひいどみし自死なれどつひに遂げざるままに老いむか
■必敗の人生なりきみづからを殺す夢さへつひにかなはず
■死ぬる意思なきゆゑ死ねぬと言はれつつわれもうべなふ弱き心を
■空想のうちに建てたる王國の王は斃れきかくて老いむか

■山頂を目指すならねど山道は高きへ向かふ高きへゆかむ
■登り來て山より高く飛ぶ鳥をわれはともしと思ひ見るかな
■雲取の雲の中にてわれ思ふ雲となるにはこころ硬きを
■さまよへば熊野山中わが仰ぐ星つぶつぶと大きかりけり
■この山にわれひとりかも霧の夜の熊野雲取さまよふままに
■ふと迷ふこころのありて熊野道逸れてそれより道に迷ひぬ
■不覺にも人を戀しと思ひつつ夜の林道を急ぐわれかも
■わが急ぐ林道白く月に照り山を下りれば生きねばならぬ
■この山の雲のあたりにわが屍隱さむときてつひに死ねざり
■うぐひすも鳴きてはわれに語りくる生きよと聞くは心のこゑか
■一日を水飮み暮らすとわが言へば那智の山水うましと警官ら

■登校の少女とともにバスを待つ死にゆく旅の途上にありて
■樹の言葉鳥の言葉と聞き分けて人語捨てむか峠を越えて
■森に入り森を拔けてもなほひとりわれを求めて誰にも遇はず
■飛びたつはわが魂の鳩一羽群れにはぐれてゆくへはいづこ
■いのちとはものの壞るる一過程壞れこはれてわれはいづこに
■小暗きは小暗きままに陽のさせばそれも幸とし熊野道ゆく
■やすらへば舟見峠の霧はれてはるかに見ゆる人の棲む街
■峠より人の棲みなす街といふ小さきものをはるかに見たり
■はるかなる勝浦灣を見下ろして生を語りき山の老人は
■霧らひつつ杉のそびゆる熊野道たどれば時を旅するわれか
■いにしへは蟻の如しと熊野道いまわれひとりはぐれし蟻か

■死を選ぶつもりの旅にありながら不圖も世相を面白しと見つ
■當人が現はれうはさ話から差別語ひとつ消えてしづまる
■白髮の浮浪者あたりはばからずキセルの奧義傳へてゐたり
■年金の話に花の咲くあたり見れば老いたる浮浪者ふたり
■遁世も金がかかると史書にいふ西行兼好資産家なりき
■かくれんぼかくれつづけてゐるごとき小さき墓に享年五歳
■若者らしやがみ輪をなし話しゐるむかし語りの小學時代
■古本の不快のきはみ十頁目コレガハンニンハイゴクローサン
■生きてゐる著せ替へ人形子供らを元著せ替へ人形が連れ步く
■人生を勝負にたとへ長生きを勝ちと決めゐる老いたる阿呆
■醉漢を見ればいとへる酒なれどわが飮む酒はいのちのいづみ

■旅へ旅へ人をいざなふポスターも死出の旅路は用意なしとか
■新幹線の驛にて見たるポスターの「ひとりの便利はみんなの迷惑」
■すぐしやがむすぐに寢轉ぶすぐ眠る男ら疲れて深夜の驛に
■驅けよりて少女を抱く少年のドラマティックな夜に拍手を
■大いなるごきぶり不意に飛びたちて深夜の驛にときめきゐたり
■飛行機が人を鳥にし自動車はけものにかへむ夜のけものたち
■人もまた動物なれば破滅へとただひたすらに殖しつつ
■遠く見る菜の花ばたけ黃に燃えてわが發狂をうべなふごとし
■逃亡は傷ましきかな振り向けばタイムマシンのごときゆふやけ
■見つめつつ見つめられつつ鏡中のわれを他人とつひにうべなふ
■さやうなら聲にはださぬ訣別は風に木の葉の戰ぐざわめき

■二十年わが住みきたる土地すべて巨大地震の被災地なりき
■地震後もわれは日ごとに搖れてをり弱き心にわれは搖れてをり
■地震毒ガスわがゐぬところ大量に人は死にゆくわれを殘して
■サリンてふ美しき名を毒ガスに與へし人のこころのありか
■ゆきゆかば鐡路の果てにあるものかわれを捨つべき夢の墓場は
■頸を切り幻覺のみを夜もすがら見てゐしわれを憐れむなかれ
■己が頸刃物で切りしかの時をふしぎと夢に見ることもなし
■生きはぐれ死にそびれたる海の町行く末白き風のまにまに
■時計時計時をきざめよ過ぎゆけるけふの痛みを音に殘して

■たまきはる命をいとふ他は言はずわれを生かせる命をいとふ
■それぞれのエゴを足し算せし結果人類てふは怪獸なりき
■とはいへど人類マイナス1としてわれを消すとも何か變はらむ
■目的は人を創るにあらざりきのゲイムはまたふりだしに