投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

2011年04月29日(金)

2011年04月29日 | 映畫

●主人公は僕だつた(STRANGER THAN FICTION)/2006、米/マーク・フォースター監督/ウィル・フェレル、マギー・ギレンホール、エマ・トンプソン、ダスティン・ホフマン、クイーン・ラティファ
◎NHKBSの錄畫。この映畫の主人公はハロルド・クリック。しかし彼は同時に小説家カレン・アイフルが10年ぶりに手掛ける作品の主人公でもあつた。子供向けのアニメだつたらかうした話の場合ふたつの世界が別次元に存在し、たまたまその境界が破れて兩者に關係が生じたりするわけだが、しかしこれはあくまでも大人のための寓話。小説家と全く同じ世界にその虛構の主人公も生きてゐるのだ。實話としてはそんなことは絶對に有り得ないから當然まともな大人ならこの物語に疑問を持つ。だが映畫をしばらく觀てゐると、さうした疑問は一旦忘れて最後まで付き合つてみようかといふ氣になるのは間違ひない。脚本段階でのアイデアを實にうまく映像化してゐる。喜劇であるはずだが、妙に考へさせられる作品だ。ハロルドは國税廳の檢査官で眞面目なだけが取柄の退屈極まりない人物。女性たちからは笑ひ物にされる孤獨な日日を送つてゐた。その孤獨さが持つて生まれた生眞面目な性格をさらに極端化させ、毎朝同じ時間に起き同じ回數齒ブラシを動かし同じ步數でバス停に著き同じ時間のバスに乘り込むといふ徹底ぶりだつた。戀人がゐないだけではなく男の友達も同僚のデイヴひとりといふ寂しい彼の人生にある日突然奇妙な女性の聲が聞こえるやうになる。そばにゐる人たちには何も聞こえないのでどうやら彼の頭の中に直接屆く聲らしい。それはまるで小説の「地の文章」のやうにハロルドについて語り、彼の人生について何でも知つてゐるかのやうに的確に描寫していく。さう、彼が次に何をするのか、その結果何が起き彼がどうなつていくのか、そしてやがて彼がどのやうな場面で死ぬのか、彼のこれからの人生のすべてもその聲によつて語られるらしいのだ。一般的に小説家はその作品の登場人物には「」に等しい存在といへる。「作者」が「彼」や「彼女」を思ひのままに弄ぶやり方は「」以上に殘酷な存在に見えるかもしれない。それを特に強く感じるのは三人稱で書かれた地の文においてだが、ハロルドに聞こえるのはまさにさういふ種類の「文章」だつた。その文章が彼のさまざまな行動や心理を「描寫」し「分析」するたびに、たとへば齒ブラシを動かす回數についての指摘などに彼は思はず周圍を見廻し、その聲に反應するやうになる。當然彼の規則正しい生活に異變が生じ、街頭で見知らぬ人にいま聞こえた言葉の意味を確認したり、結果としてバスに乘り遲れたりすることになる。ハロルドは心理カウンセリングを受ける。どうもこの脚本家は過去のカウンセリング體驗で嫌なことがあつたらしく、この作品ではカウンセラーはとことん無能扱ひされてゐる。ハロルドは次に大學の文學授を訪ねる。最初は相手にされなかつたが、彼が自分に聞こえる聲を「文章」として讀み上げてみせると授の態度が一變した。どうやら授の硏究テーマに關係があるらしい。その見解によれば「悲劇」は死に至り「喜劇」は結婚に續くのだとか。そこで悲劇の主人公として死んだりしないためにまづは試しに自分を嫌つてゐる相手との喜劇的戀愛に挑戰することを勸められる。ハロルドには恰好の相手がゐた。税金の一部未納が發覺してゐるケイキ屋のアナで、その店を訪れて調査を開始した彼にアナはわざと未整理なままにした傳票類を持ち出し嫌がらせをしたりする。しかし眞面目なハロルドに心惹かれたアナが折れて來て、脱税は意圖的なもので軍事費の使ひ方に納得いかないのでその分を拂ひたくないのだと話す。彼のために特別に造つたクッキーまで出してくれる彼女にハロルドは本氣で戀心を抱くやうになるが、自信のなさからあと一步が踏み込めない。授の次の助言は、ハロルドの存在とその聞こえて來る「聲」のどちらが彼の「人生」といふ物語を主導してゐるのか、それを確かめるために「何もするな」といふことだつた。主人公であるハロルドの行動が作家の發想を引つ張つてゐる可能性もあるから確かめたいといふ。彼が仕事を休み部屋に閉ぢ籠つてしまふと聲は聞こえなくなつたが、代はりにビル解體用の重機が彼の部屋の壁をぶち破つて飛び込んで來た。たとへ何もしなくてもハロルドには毎日24時間があり、小説の描寫がすべてではないのは分かつた。ただしやや飽きて來たらしい授からはこの後はもう自分の好きなことをやればいいと突き離される。ハロルドは子供のころには音樂家に憧れてゐた。ギタリストになりたかつたことを思ひ出した彼は樂器店に行き氣に入つた中古のギターを手に入れ早速練習を始める。上手いはずはない、しかし何しろ眞面目でひたむきだつた。ある夜、ハロルドはなぜか「花」ならぬ小麥粉の「フラワー」を持つてアナを訪ねる。アナはそんな「誤植」のやうな奇妙な訪問を受け入れお茶に誘つてくれた。居間で傍にあるギターを見たハロルドは何氣なく練習中の曲を彈き小さな聲で歌ひ出す。その歌を聞いた途端にアナは突然ハロルドがたまらなく愛しくなつてしまつたらしくギターごと抱きしめキスの雨を降らせる。かくしてハロルドの戀愛は成就し、彼は喜劇の主人公となる。しかしそれでもあの作家の聲は相變はらず主人公ハロルドの悲劇的な死に向かつてゐるかのやうに聞こえる。その「作家」について具體的に詳しく知りたくなつたハロルドは授にその「小説」がどんな作家のものかへてほしいとみ、それに應へて授が思ひ付く作家のリストを作り始めたとき、ハロルドはテレビに映つてゐるインタヴュー番組に釘付けになる。彼に聞こえる聲と同じ聲で話してゐる女性作家が畫面の中にゐた。若い頃のカレン・アイフル女史だつた。授に尋ねると、大好きな作家だがもし「聲」が彼女なら間違ひなく殺されるぞと言はれてしまふ。彼女は作品を必ず主人公の「死」でもつて締めくくる現代の悲劇作家なのだ。むかし彼女に手紙を書いたのに無視されてしまつたらしい授は彼女の現在の住居や仕事場を知らなかつた。しかしそこでハロルドは自分の職業を思ひ出す。彼は違法を承知で作家の税務書類を探し當て、その現在の仕事場に驅け付ける。かくして今まさにその作品の結末に向かつて主人公の死を描かうとしてゐる作家の元にその主人公が訪れるといふ珍事が起こる。ハロルドは眞面目な顏で自分はこの先も生きてゐたいので殺さないでほしいとむ。作家はただ呆然とその自分の作品の主人公の姿を眺めてゐた。「主人公」といふのはあくまでも架空の存在であり、だからこそ作品の完成のために死を與へることもできる。しかしかうして生きて目の前に現れた人物を殺してしまへばそれはもう「殺人」ではないのか。折角10年ぶりの小説が完成間近に迫つてゐるのに作家は初めて體驗する苦惱に心を占領されてしまつたのだ。遲筆の作家には契約した出版社から有能な祕書が送り込まれてゐたが、その祕書の提案でハロルドの死に終はる結末の文案を含むすべての原稿をハロルド自身に讀ませてくれることになつた。傑作だつた。彼はその作品の主人公としてなら死んでもいい氣になつた。授もそれを讀むとカレン・アイフルの最高傑作であることの確信を語り、そのまま完成することを期待しもはや現實のハロルドの運命に興味を失くしてしまつたかのやうだつた。ただひとり作家自身だけは苦惱を續け、つひに決斷する。結末を變更し、主人公の死で終はらない作品に書き換へることにしたのだ。その新しい原稿を持つた作家が何と授の元を訪ねて來た。ハロルドのお陰で大好きな作家にやつと存在を認めてもらへた授だつたが、原稿を讀み終へたのち言葉を選びながらも失望を隱さなかつた。もはやあの悲劇作家カレン・アイフルの作品ではなかつた。この映畫での「小説」がどういふ種類のものか、そしてその作家にとつて自分の書く主人公に直接對面するといふことがどういふ意味を持つのか、實のところよく分からない。しかし逆に、自分の運命をどこかの高所から語り續ける作家の存在に氣付いてしまつたハロルドの氣持なら分からないでもない。さすがに聲が聞こえるとまでいふつもりはないが、私も腎臟が壞れてしまつて以後は自分の意思で自分の人生を生きてゐるといふ感じが全くしない。誰かの描いたストーリーの上を流れていくだけに思へるのだ。もつともハロルドと違ふのは、私の場合は見事な悲劇ではなくどう考へても明らかな失敗作であり、この作品の主人公としてなら死んでもいいなどとはとても思へないのが辛いところ。いづれにしても書き改められる新しい小説の中ではハロルドは少しづつ變化に富んだ人生へと步み出していくことになるのだらう。作家は遡つて作品の前半にも手を入れたくなつた。祕書はこれまで擔當した原稿が一度も遲れたことがなかつたのを自慢にしてゐたのだが、ハロルドの存在を巡る作家の苦惱を知つてゐるので出版社に〆切を伸ばしてもらふことを自分で決めた。そしてヘヴィー・スモウカーの作家のためにニコチン・パッチをひと箱置き土産に靜かに去つていつた。結局この映畫は何だつたのかといふと、主人公が作家の存在を知つてその仕事場に訪ねて來たことで改作を餘儀なくされた小説を原作とした作品だつたのだ。もともとのストーリーでは、ハロルドの愛用の腕時計が時間を確かめるときにしか自分を見てくれない主人に腹を立てて止まつてしまひ、傍にゐる人に訊いた間違つた時間に合はせたことが原因でハロルドが死ぬといふ現代悲劇だつた。本來ならいつもぎりぎりの時間にバス停に著いてバスに飛び乘るハロルドが、何と3分も早く著いてその間に傍を通りかかつた子供が自轉車をしくじり走つて來たバスの前に轉んでしまふ。死が差し迫つた自分の運命を知つてゐるはずのハロルドは、しかし決して逃げたりせずにその少年を救ふためにバスの前に飛び出して撥ねられるのだ。この事故で死ぬはずだつたハロルドに新たに與へられた救ひもやはり腕時計で、撥ねられたとき壞れたその時計の部品がハロルドの體内に這入り込み出血を食ひとめ彼の命を救ふことになつた。ハロルド・クリックは定められた死に向かつて敢然と挑戰し自由を勝ち取つた現代英雄譚の主人公となつたのだ。


2011年04月24日(日)

2011年04月24日 | 記錄

◎地震後1箇月が經つた頃からブログを再開しようといふ氣持が出て來たものの、俳句や短歌を全く創つてゐないし書き散らしたままのメモ帳の整理もしてゐない。そんなことより何よりも、どうも机の前に坐らうといふ氣にならない。日課にしてゐることもあるのでそれだけは最低限やつてはゐるのだが、あとはどうしてもゲイムなどに逃げてしまふ。パソコンを前にして考へごとをするのが嫌なのだらうと思ふ。調子が狂ひはじめたのは地震のニュースの初期の段階でどこかの灣に數百人の屍體が浮かんでゐるといふ情報が流れるやうになつたときだつた。それまでは死者の數も地域別に何人あるいは何十人で、もちろんそれでも大災害ではあつてもこれまでにもあつたことで、ひとりの知人もゐない土地でもあり通り一遍の感情で處理して日常に戾つていけるはずだつた。いくら地震や津波の混亂のさなかとはいへその「數百人の屍體」がいい加減な話ならすぐに取り消しが這入るだらうに實際には何度も繰り返された。假に誰かが撮影してゐたとしてもさういふ映像がテレビで流れることはないので言葉だけが獨り步きしていく。そして一方では眞ッな海水が田畑を侵し何軒もの家屋を流れに浮かべて押し寄せてくる映像があり、その話が決して否定できない現實なのだと思はざるを得ない狀況があつた。私は創り物語は大好きだが現實といふ奴は好きになれない。特に大きな事件はある程度の時間を置いてからでないと受け入れることができない情けない人間なのだ。海に浮かぶ數百人の屍體のイメイジが受け止める場所のないまま私の頭を占領してしまつた。何をどう考へていいのか分からずまとまりのない暗い思ひばかりがこみ上げて來る。その暗いイメイジを抱へて立ち止まつたまま動けない。選擧もあつたし櫻も咲いた。結局何もしないままにひと月半が經つた。私は世の中の動きに對してそれほど誠實な人間ではない。少し前の外國の地震のニュースには全く無關心だつた。理由はあつたが自分勝手な話で人前で語れるやうなことではない。今度の東北の地震に大きな衝擊を受けたのはもしかするとテレビの映像が原因で、文字だけの情報だつたら面白がつて俳句や短歌にして喜んでゐたかもしれない。具體的な數字はまだまだ動きさうながら、信じたくないほどに大きな被害が明らかな今はいい加減な思ひ付きを稚拙な言葉に置き換へる氣はない。佛的な宗觀には距離を置いてゐるのでここしばらく耳にし眼にし續けた種類の言葉を自分も竝べるつもりはないが、被害を受けた人たちの氣持が少しでも明るくなるやうな動きが加速することを願つてゐる。