投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

2012年04月28日(土)

2012年04月28日 | 映畫

●ダルジール警視(DALZIEL AND PASCOE) 15-62/1998-04、英、TV//ウォーレン・クラーク、コリン・ブキャナン、デイヴィッド・ロイル
◎AXNミステリーの錄畫。最初の7話だけの繰り返し放送だつた「ダルジール警視」も「新作」が放送されるやうになつた。去年と今年それぞれ12話づつで、これまでのところ合はせて62回31話。前後篇まとめての放送なので記憶力に問題のある私でも安心してストーリーを追へる。人前で股間を搔いたり鼻をほじくるダルジールの下品さはやや目立たなくなつたが、歳をとり體調の惡化に不安を覺えて惡あがきを始めますます嫌はれ者になつてゐる。何しろ口が惡く部下や周圍の人間を思ひやる氣持が少なくとも表向きには全くない人物なので、本人が轉がり落ち始めると皆に叩かれる。深夜に不眠症で寢つけず醫師から禁止されてゐる酒におぼれてソファーにもたれ込んでゐる姿は、孤獨を繪に描けばかうなるといふ見本。それでも事件が起これば、聞こえのいい事務仕事をあてがつて現場から外さうとする四方八方からの壓力を撥ねかへし、やはり刑事として步きまはる。そしてその難事件はダルジールの手によつて見事に解決されるわけだから皆からはさらに疎まれることに。ただしこの作品、主人公はこのやうな喜劇的人物ではあるが、刑事ドラマとして一級品であることは間違ひない。毎回趣向を凝らした物語の展開や社會的な擴がり、それに登場人物の人間像の奧行きの深さも素らしい。最近は日本のドラマを觀る機會が減つてしまつたが、イギリスのかういふ作品を觀たあとではあのアニメのやうな薄つぺらな人間が安直な臺詞で漫才を繰り返してゐるだけの「ドラマ」はとても耐へられるものではない。かうした複雜な事件を描けないのは日本にはイギリスのやうな深刻な社會的對立がないからだなどといふ聲がどこかから聞こえて來さうだが、本當にそれで濟む話なのだらうか。むかし私はNHKが大好きでチャンネルはいつもNHKに合はせてあつた。今も一應はNHKに合はせてあるものの、テレビの電源を入れると映るのはなぜか藝人の大きな顏ばかりで民放と全く變はらずもうあほらしくて仕方ない。育テレビもいつの間にやらイーテレとかになつて世も末。なぜ日本ではNHKまでがかういふ輕さと薄さばかりを追ひ求めるのだらうか。今年の大河ドラマ「平盛」は舞臺が朝廷といふつまらなさが基本にあるとはいへ、映像の素らしさや登場人物の扱ひなども十分に見應へがあるので是非最後まで愉しみたいと思つてゐる。しかし、このドラマは始まつてすぐにどこかの政治家から畫面が汚いといふ批判があつたらしい。さらに三分の一ほどが終はつた今改めて視聽率の低さが新聞にまで取りあげられるやうになつてきてゐる。あの政治家も要するに「お茶の間」代表なのだから、日本の平均的テレビ視聽者はNHKのかうした新しい試みのドラマに對して拒否反應を示してゐるといふことなのだらう。恐らく來年はまたあの紙芝居のやうな映像にもどるのだと思ふ。單なる平均値に過ぎない「お茶の間」などといふ幻を追ひ驅けて、辿り著くのが子供騙しの紙芝居だといふのでは一生懸命お勉強をして入局したNHKの職員も哀れなものだ。何にしても日本の地上波テレビでは「ダルジール警視」のやうな刑事ドラマは絶對に觀られないのだから、個人的にはあの新型インフルエンザ騷ぎのとき衝動的にケイブルテレビに加入して本當によかつたと思ひ返してゐる。そのケイブルテレビ、知人にも勸めてみたとき、どんな放送なのか觀たいといふのでDVDに錄畫したのを數枚提供した。その中にこの「ダルジール警視」の一篇があつたのだが下品過ぎるとダルジールを名指しでこき下ろされてしまつた。妙に悔しい。確かに刑事ドラマの主人公が畫面で股間をもぞもぞ搔いてゐる姿は上品とはいへないが、輕薄なだけの上品さなどよりはよほどまともだと言ひたい。このドラマは2007年まで續いたらしくあと十數話殘つてゐる。たぶん來年まで待たされるのだらうが、それこそ首を長くして待ちたいと思つてゐる。


2012年04月17日(火)

2012年04月17日 | 映畫

●CSI:科學搜査班(CSI:CRIME SCENE INVESTIGATION) 1-206/2000-09、米、TV//ウィリアム・ピーターセン、ジョージャ・フォックス、ゲイリー・ドゥーダン、マーグ・ヘルゲンバーガー、ジョージ・イーズ、ウォレス・ランガム、エリック・スマンダ、ポール・ギルフォイル、ロバート・デイヴィッド・ホール、デイヴィッド・バーマン、ローレンス・フィッシュバーン
◎AXNの錄畫。ラスヴェガスの鑑識搜査班の活躍を描く人氣ドラマでさらに續くらしいが、第9シーズンが終はつたところでとりあへずひと區切り。ウォリックが殉職し、サラが去り、そしてグリッソムも辭職してサラの後を追ふ。馴染みの顏はまだ殘つてゐるものの、この3人が消えればドラマの雰圍氣は全く違つたものになるだらう。第9シーズンの途中でグリッソムが去り際にCSIに誘つたレイモンド・ラングストンが、醫學博士號を持つ大學授といふ立場を捨てて全くの新人として入局する。初めての犯罪現場で指紋の採取に失敗し獨り遲くまでその技術の習得に取り組んでゐたりしたが、もともと犯罪搜査に關心を持つてゐた上に穩やかな性格もあつてたちまち組織に融け込み、皆から「授」と呼ばれながら本格的な活動を始めた。グリッソムの後をキャサリンで番組を繋ぐのはたしかに無理があつたので、それなりに納得のできる展開だといへる。昆蟲おたくグリッソムの率ゐる個性豐かで魅力的だつた鑑識班の話とはまた別の作品としてこれからも愉しみにしたい。しかし、この延延と續くドラマを一體いつ頃から觀てゐるのか、實のところ自分でももうよく分からなくなつてしまつてゐる。人氣ドラマだといふのは隨分以前から聞いて知つてはゐたものの、「人氣」ランキング上位のドラマの連續放送の最初のところを覗いてガッカリしたことが何度もあつて「人氣」なるものをあまり信用してゐなかつた。私の場合は續きものは頭の中で話が繋がつてくれないので、たまに挑戰はしてみるが基本的にはもうほとんど諦めてゐる。この「CSI」は一應一話完結といふことでケイブルに加入して比較的早い段階で途中の回なのを承知で觀たこともあつたのだが、今思ふと不運なことにそれは吹替版だつた。字幕や吹替といふのは元の作品に對して「解釋」を加へることで、この「CSI」の吹替はどう考へても過剩解釋、つまり色を付け過ぎてゐる。まさにガッカリもので、あの噂の「人氣」ドラマがこれなのかと笑つてしまつた。まあ、その後きちんと字幕版で觀て考へを改め、さらに第1話からの連續放送で完全に嵌り込みAXNでの最新の第9シーズンまで全話を觀た。200話を超えてゐてもう最初の方はどんな話だつたか記憶のかけらもないが、面白さに夢中になつて觀續けてゐたことだけは覺えてゐる。1時間枠で實質45分程度のドラマなのに複數の犯罪事件を扱つてゐることが多く、普通なら話が混亂して譯の分からないものになりさうなのにさすがは映像大國アメリカだけに編輯技術は見事。話を詰め込むのは鑑識搜査の忙しさを表現するためだらうが、同時にこのダイジェスト版的な話の運び方で45分をだれることなく繋いで刺戟的で飽きの來ないドラマ作りに成功してゐる。舞臺のラスヴェガスは續くCSIシリーズのマイアミやニューヨーク同樣の犯罪多發都市らしい。ドラマだから現實を極端に誇張してゐるのは間違ひないが、しかしここまで派手な犯罪を描くのは現實にもそれなりに凄まじい犯罪があり、特に銃器がらみのものは日本にゐては想像も出來ないやうな深刻さがあるのだと思へる。アメリカの犯罪ドラマを觀てゐると銃さへなければここで人が死ぬことはないだらうにと思ふ場面がよくあり、それが決してドラマだけの話でないところがこの國の異常さ。イギリスやフランスのドラマの中でさへこのアメリカの銃社會を馬鹿にして笑つてゐるやうな臺詞が出て來るから、日本人には完全に別世界の話。さうはいつてもこれはアメリカ國内でアメリカ人同士が殺し合つてゐるだけだから、現實の社會で地球の反對側にまで飛んで行つて他國人を爆彈で殺し續けてゐる「アメリカ軍」や「アメリカ合州國」に對する腹立たしさとはとりあへず一線を劃しておける。私がこのドラマに夢中になつてしまつたのは、犯罪搜査それも鑑識活動が大變に緻密で論理的な世界であり、觀てゐて頭できちんと理解でき從つて氣分的に樂だから。その點で一應の出來でさへあればそれ以上の部分、たとへば物語的な「感動」や映像表現の藝術性などはあれば儲けものなくても構はないといつた程度。嫌ひなのは、犯罪搜査のはずがいつの間にか化物の話になつてゐたり超常現象が出て來たりするもので、さういふのにぶつかると腹が立つて仕方がない。もちろんひとつの完結した表現作品として化物やら宇宙人やら超常現象やらがうまく取り入れられてゐるのならそれはそれで認められるのだが、子供騙しの中途半端なものは避けたい。この「CSI」では科學搜査を前面に出してゐる以上、たとへ空から屍體が降つて來たとしても最後には合理的で現實的な解決に至る。少なくともその方向で話を繋いで行くので、どんな異常な犯罪でもその搜査過程をのんびり愉しめるのだ。私がミステリーを好きなのはさういふ事情だから、この1時間枠で簡單に觀られる大量の面白い鑑識ドラマとの出合ひは現在の不自由な透析生活の中では何よりの贈り物だつた。「鑑識」といへば、このドラマの「CSI」といふ組織、觀始めてしばらくの間はアメリカにはかういふ特別なものが實際にあるのだらうとばかり思つてゐた。しかしその内にこんなに高度な鑑識技術を持つた専門家が犯人の追跡・逮捕や取り調べなどの刑事仕事をやつてゐては組織として非效率過ぎるのではないかと氣付いて、あくまでもドラマとしての面白い假構なのだと理解できた。いろいろ調べてみても具體的な情報は見當たらなかつたので實際のところはどうなのか確信は持てないが、日本の鑑識ドラマでも刑事の眞似ごとをさせるのが普通だから、「CSI」も要するにそれを派手にやつてゐるだけなのだらう。よく考へれば現實的ではないのだが、しかしドラマとしてはその噓の世界を實にうまく表現してゐると思ふ。