投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

日野樹男歌集(10)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(10)


■三色のボールペンなりしにのみが殘りて描く一色の繪

■寒き夏鸚鵡一羽の失踪をさぐりに來たる探偵うつくし
■八月の都心にわれはけものめき爪はひづめに怒りを角に
■眼を閉ぢてひとすぢの道思ふとき行方たちまち崖なす闇に
■蟲落ちて水面小さく波立つをわれは見たりき誰にも告げず
■夏あらし千切れ飛ぶ雲それぞれに帆なき船なり船なき帆なり
■いにしへの變身譚は美しき樹となりかはる喜びを言はず
■われは墮ちてゆきたきものを昇降機地表に開く失意のとびら
■いつはりの戀の懺悔をアリバイにこよひ檸檬を盗みてきたり
■おそるべき葡萄一房皿の上に人の病みたる臟器のかたち

■紙を折りなほ折りかさね形なす飛べざるものを鶴と名付けつ
■眠りゆくわれにかはりて身の裡に何か目覺めて夜を生きむとす
■木椅子ふるび今生戀の成らぬまま死なば屍はかくもあらむか
■繭ごもる蟲みなやさし人の繭ひとはいつしかつくらずなりぬ
■わが生と薔薇一輪をはかりみてつりあへよかしの天秤
■われをのみ拒む聖域あるごとく野に一本の杭は立ちをり

■外つ國にかたむき立てる塔ありとたづねてゆけりかたむくをとこ
■散るさくらひとひら夢にまぎれきて今宵よしなく身ごもるをみな

■毒藥の色こそよけれ空のをしぼりてそのひとしづく
■祕めやかに壁より壁へ瓦斯管はわれのめぐりを瓦斯に充たしつ
■人の世に繩はむすばれ輪をなして人の絶望待ちゐるかたち

■愛を知らず愛を語りき言葉とはかくもたやすく人をあやつる
■戀ひこひて昔アリスのほとの奧ふしぎの國のありと迷ひき
■をみなみな罠もつごとくうつくしくおそろしかりき少年時代
■濁點はわれの頭上にからす二羽いかなる聲で明日を語れと
■この國のむかしばなしに鬼がゐてあるいは鬼の末裔われは
■醉ひどれて魂つかのま翼もちやがて堕ちゆくわが身のうちに
■くろぐろと葬へいざなふ矢印の風に吹かれて天を指すあり
■江戸川亂步「鏡地獄」になけれども父に肖し貌映すかがみよ
■鏡にもつひに映らぬ花あらば自愛の果てのわれと思へよ

■山ならばわれ火を吐かむ川ならば氾濫なさでいかで生くべき

■狩人よわれを擊つべし明日よりは獸にかはる今日のこの身を
■花嫁よ手まりつきつつ病院へ死兒の數などかぞへにゆかむ
■電腦よさあ眠りなさい汝もまた夢見ることを知らねばならぬ

■人眠るその人體のおろかしさ見つつやさしくなりゆくわれか

■受してわれ卵割をかさねたる今にいたるも裂けゆく痛み
■屈葬のむかしやさしき甕棺は死者をつつみて子宮のかたち
■人語虛し眠れば夢のうつろひにさまよふ友ら默して語らず
■遠き日の母とは昏き海なりきわれに消えざる溺死の記憶
■逝く日にはいづこにあらむ十二月十三月へとひとり步めば
■脊柱は蛇のごときか冷えびえと冬あかつきに目覺めてゐたり
■鏡割れその斷片のそれぞれに映るわが身はただ捨つるのみ
■千一夜果つれど癒えぬ憂ひありシャハラザードよなほも語らね

■書を讀めば人のこゑきく心地してわが親しきはなべて死者なり

■まふたつに割かるるまでは林檎にも人の頭蓋の内のくらやみ
■ひとつぶの葡萄を食めばすべらかに人は管なす命のかたち
■地平線少しかたむけ撮る寫眞ふるさといづこ坂をころげて
■かくれんぼ隱れおほせし少年の智慧にさびしき冬のゆふやけ
■獸園へゆきてかへらぬ人のゐて獸はつねにたれかに似たり
■うしなひし戀の重さを掌ではかり等しき林檎探してゐたり
■少年ひとり銃を欲りては葡萄樹に火藥の匂ふ果實を得たり
■かつて魚でありし記憶かもんもんと夢の湖底に手も足もなく

■サーカスの果てて虛空に殘されしぶらんこ乘りの戀はさびしや
■あなかなしマリオネットの絲の數一本えて首吊る芝居
■シシュポスの裔か落暉に手を伸べて人は悲しみ丘にたたずむ
■太陽系第三惑星地球てふこの星われの故にあらず

■きらきらと金魚一匹ふ夏は金魚殺しの汚名に果てむ

■いちご味かすかに殘るガムをもてマリアの像を孕ませてけり
■月蝕の慘を思へりかりかりとむしばむものらわれの身ぬちに
■眼球の乾きゆく日日かわきつつ見る夢ならむわれのひと世も
■杞の人の憂ひまさしく天空はいまし搖れつつひび裂けくだく
■一に一掛けて變らぬ一のまま父とはならぬわがいのちかな
■千の手をもたば充たせる千の慾いかになすべき二つわが腕
■讀み疲れ眼鏡はづせばばうばうと活字は蟲の國のたくらみ
■かしこしとふ人のいふ犬のその從順さをわれ憎みてやまず
■眞赤なる噓吐く舌もくちびるも處世のすべはなべて濡れゐつ

■母の名はエノラゲイなり太字にて歷史に殘るその名のあはれ
■特攻の若き兵士を父となしわが生まれざる日日を思へり
■哀し兵士ら完全武裝をなすほどにいよよ似たるは昆蟲の群れ

■ふるさとの大樹に登り消えしゆゑわれを鴉とみな思ひけむ
■陽に透きて空蟬うつろ望は背なに受けたる傷のごときか
■幼な日のわが哀しみをとんぼの眼百に刻みて見つめゐたりき
■羊水の海に夏來るあさぼらけ泳ぎ知らざるいもうと失せぬ
■野球帽かぶりてわれの八月は消えたるままの魔球のゆくへ
■たらちねの母の慈愛をたとふれば蝶をつらぬく赤き待ち針

■わが假面肉と化したりあたらしき素顏で選ぶ明日の假面を

■時計屋の時計それぞれみづからの時を信じて人に關はらず
■日時計に月かげさせば時はいま時にあらざる夜のあやかし
■砂時計つのる思ひのさらさらに時のかたちは崩れてやまず
■時に名を付けつつ時計は刻刻と人の未來をむしばみゆけり

■泳ぐ魚に手足が生えて直立す進化といふは滑稽ものがたり
■創世の日日は去りにきわれらみな自動機械の如きからくり
■胎内にありしむかしに夢見たるわれはつばさの大いなる鳥
■ますぐなる莖のいただき金色にたんぽぽ登る蟻に幸あれ
■夢一夜旅人たらむと重き荷を背負へどつひに旅は始まらず
■眠らむとたましひ假に花として赤きインクの壺に插しおく

■けふひと日つひに默して夕燒けに啼くべき鳥の聲さへもたず

 *太宰治「走れメロス」
■西方はただ夕燒けてゆくままにわれは何者走らぬメロス
 *オスカー・ワイルド「サロメ」
■戀しきは踊るサロメよ汝がためにわれに無用の首ひとつあり
 *フランツ・カフカ「變身」
■ザムザ病癒えつつあれどわが腦に蟲の時代の漠たる記憶

■革命は古りし玩具のごとくあり手を汚しつつぜんまい捲くも
■東京タワー手折るゴジラの勇姿さへ革命の日への幻想なりき
■君老いて何思ふらむ若き日の月光假面は正義の味方

■いづこより來たりいづこへゆくならむ人の姿に今を生きつつ
■かくてわれ櫻一樹となりおほせ身より散りゆくはなびら無盡

■ひかりあれひかりあれよと暗に涙ながせるのゐたりき
■地球ひとつ形見にのこし逝くとこの夜星なき空に思へり
■否否否ペテロならねばわれはなほ彼を知らずと拒みつづけむ
■地球儀はとほきむかしの思ひ出にく塗りたる地球の墓標
■樹に咲けば花と呼ばるるそのちから我にあたへよ心ひらかむ
■死後に咲く花の種をと買ひもとめ餘命みじかき友に贈らむ
■哀れこのぜんまい仕掛の人間のぜんまい弛びほどけて止みぬ

■遺傳子の螺旋ほどけてわが結ぶいのちのはての蝶結びかな

■ふるびたる寫眞に焰を近づけて父を燒くなり五歳のわれも
■樹に告げて樹の肯へばその日より大樹を父とし仰ぎて見たり
■煙草火を赤くともしてこの闇はわが王國とたれに告ぐべき
■X線に翳もつ蟲のつくりたるひかりの繭は胸のうつろに
■千人を殺むるに足る毒藥をわがために祕す至ならずや
■疑問符を揭げて生れしき芽よわれに似てをりかなしきほどに
■ひらひらと白き蝶ありたはむれに莊子と呼びてともに愉しむ
■裏切りは蜜のごとくに手を汚しゆるさむためか蝶のみ群れ來

■ひとひらの雪の重みに耐へかねて亡びてゆかむ戀も宇宙も

■むかし男千年生きむと思ひけりわれにあらずや千年の疲れ
■人間と生まれしことは夢なれば今朝は枯木の姿に目覺む
■人生の落丁ならむけふの日のこの冬空の深きかなしみは
■わが命まぼろしなりと記すべく薄き日記を買ひきて病みぬ

■若き日の心の問ひにこたへなく白紙のままの冬の空かな