投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

2015年06月28日(日)

2015年06月28日 | 記錄

◎透析室での俳句や短歌作りは止めた。
◎隣のベッドがうるさくてどうにもならない。もちろんずつと喋つてゐるわけではない。ただ、現在の隣人は若くて元氣、それに話題豐富で話好きな人氣者なのだ。私のやうな老人患者とは全く口を利かないが、看護師と話をするのは大好きらしい。暇な看護師や助手を相手にこまめに話の種を蒔き續けたのが效果的だつたやうで、仕事をさぼつて話し込みに來る怠け者がえた。それぞれがほんの時たまとはいつても、相手はひとりふたりではない。私が五七五と指折り數へて俳句や短歌を作つてゐるときも、眼をしよぼつかせて本を讀んでゐるときも、あるいは氣持ちよくすやすやと寢てゐるときも、一切お構ひなし。女たちの甲高い話し聲や笑ひ聲ですべて中斷。趣味の水泳絡みの筋肉ばなしや、彼が無料でソフトを配つてゐるテレビドラマ絡みの藝能ばなしなど、何が面白いのか他の患者の迷惑も考へずに熱心に長長と話し込んでゐる。話し終へると滿足してどこかへ消えるが、そのうちまた別のがやつて來る。すぐ隣のベッドの出來事だから私にはどこにも逃げ場がない。何しろ2本も太い管を刺されて透析中なのだ。氣色惡くて私の腦はもうぼろぼろ。仕事中にこんなところでさぼつてゐてもいいのかと不審に思ふが、もしかしたらあの女たちはこの傍迷惑な無駄話も患者相手の仕事のつもりなのかも知れない。恥知らずな馬鹿騷ぎが仕事!? WAHAHAHAとローマ字で笑ふしかない。

◎といふことで、私はもうくたくたです。人生の阿呆らしさに心底疲れ果て、今は耳栓をし眼を瞑つてただひたすら透析が終はるのを待つだけ。透析室が地獄であることを改めて思ひ知りました。從つて「投石日記」の定期更新は二度とありません。長い間ありがたうございました。