投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

日野樹男歌集(1)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(1) 


■眠らねばならぬ眠れば明日がくる明日など要らぬただ眠りたし

■よく見れば手にも皺などえきたりこの手のペンで探る韻律
■魚には脚なきことのしあはせをグルコサミンなど飮みて思へる
■コーヒーはカリウム多しと脅されてネット檢索コーヒー飮みつつ
■生きものと生まれし不幸壞れゆく速さよわれはすでにぼろぼろ
■掌をかざしわれの額に何ごとか念をおくりし彼女らのその後
■禁煙のつづく理由は自販機の誘惑絶てるタスポの不所持

■マグリット君の描きし空中に浮かべる樹にも根のある渇き
■わが肉に棲める生きもの億兆とききてそれより長者の氣分
■影はわが師のごとくありき服身をかざらずに地に近くして
■家族主義その閉塞を直擊しおれおれなどと詐欺師の電話
■われよりもわれに似てゐる猿を見に猿山がよひ早もいくとせ
■食したる鰺の干物の美味なればわれも干物をめざす晩年
■腦内の電氣信號いそがしくとはいへこのごろ停電多し

■はらわたがかくももつれてゐることにわけなどなくて春の夕暮れ
■酒に醉ふたのしきわれがもうひとり決してわれのやらざることを
■くたびれてあゆめるわれの靴の下あまたのいのち春へと沸きたつ
■鍵かけて部屋を閉ぢたるわがおもひこころ空虛をたれにも見せぬ

■ある日樹がちからに目覺め宇宙へと伸びゆくすがたわれはひれ伏す

■とは何古代の假説されど今も證明できぬ彼らの不在
■五七五さらに七七短歌よと數行しるしてけふの安眠
■もちものに名前を書ける幼さの家に表札たのしき家族
■宇宙人繭をつくれる地下室にわが拔け出でし裂けたる繭が

■表現の自由をおもふつまるところ決して權威を認めぬしくみを
■穴あればかならず覗き見るやまひ井戸の底にてすごせし春
■蟲たちがわれを見てゐる複雜を氣取るほかなきあはれなる肉を
■彼は彼われはわれなりそれぞれの腦をつなげるなにものもなし
■まちかどの赤きポストが違法とはその法こそがまちがひならずや

■戰爭がとつても好きなアメリカの同盟國なり皇國ばんざい
■戰爭はいやだいやだといひながらアメリカ依存の僞善を笑ふ
■日本人平和を語り米軍のやりたい放題見て見ぬふりを
■天皇が逝きたるかの日NHK育テレビの「心の旅路」
■天皇が父天皇を敬語もて語れるニュースNHKにて
■東京に明治宮などといふ奇妙なをまつる宮あり
■中韓の見たるこの國皇國のあやしきすがたわが眼に同じ

■ドイツ人豆腐が好きと新聞に記事讀むわれも湯豆腐晩酌
■新聞にゆゑなく人を殺したる人の名ありてわれに似てゐる
■あをぞらのを無色と思ひ見よ白き雲ゆく華麗なる白
■せきいびき飽くなき駄辯それぞれにこれも個性と透析ぐらし
■熱帶魚そのおそろしき閉塞を君は泳げる學べよわれも

■俳句や短歌表現行爲のかなづかひどうでもいいよそのとき次第
■本來は日日の日本語散文をいかに書くかを決めてのかなづかひ

■古びたる大き皿なりいく千の屍肉をのせてわれをやしなふ
■わが記憶のみに保たれゐる死者よわが死をもちて完全なる死へ
■たけくらべたれとくらべむ四つ足の猫と老いたる四つ足志願
■思考せり何をいかにといふよりもいづれは死ぬる頭のあそび
■ひとりぐらし長くなりきてさびしくて同居者募集人間以外

■壁の内あるいは壁の外なりやわがゐるところかならず壁あり
■卵生のきみのしあはせ翼もつきみのよろこびわれは知らなく
■人はみなかならず地球の裏側を持てり餓ゑゆく人のゐる場所
■去りゆくにひとこゑ高くのこしつつからすはを選びし強さ
■ぜんあくの善をえらびて六十年何もおこらずたいくつしごく

■崩落の快樂やすべてこはれゆくわれは生涯何もつくらず

■明らかに空虛といへるひと部屋にわれをり猫と蜜柑と炬燵
■二階部屋階下にたれか棲みゐると思へば痒し足のうらがは
■凍るものたとへば水のこほりゆくそのありさまに假死など思ふ
■人を愛するすべなど知らず愛さるるほどには愚か者でもあらず
■二四八倍倍ゲイムのたのしさにわが先祖たち總人口以上
■朝食にフリーズドライの味噌汁が一椀附きて寒き冬の日

■幼らは時もたざればこの今をただ永遠とたはむれゐたり
■樂の音が耳にとどけどわが腦は雜音なりといひてゆづらず
■地球にはヒトてふ無敵の生きものが殖しをり共喰ひしつつ
■死は一瞬われは消えゆくわが見たる世界もすべて消えてさよなら
■少年のかの日廻せし小さき獨樂まはりつづけてそろそろおしまひ

■旅客機が擊墜されてばらばらと死者が降るなり歷史はつづく
■ジプシーをロマと呼びかへかはらずに差別をなせる寂しき定住
■痒いかゆいどこもかしこもわが皮膚の裡には蟲が棲みてやあらむ
■深夜われ眠れぬままに起き出でて街をさまよふ獲物もとめて
■直立す步行すされど腎臟がこはれてのちはただぶらぶらす

■ひたすらに願ひもとめていまここに安心あるいはあきらめの時間

■こころとはいづこにあらむ今のところ腦のあたりを假寓となせど
■インフルエンザ豫防接種の説明を聞きつつこれも生へのあがき
■皆がいふ異常氣象のこの豪雨みづから責めを自覺するなく
■獸園にみどりの蛇の部屋ありてたびたび通ひ見てゐしはわれ
■煙草やめいく年を經ついまもなほ白きけむりに隱れたき鬱
■森をゆくわれの巡りに霧たちてはてなはてなと白きなぞなぞ
■生と死の中間あたり透析の機械を見つついまを思へる

■ミニバイクすれちがひざま大聲にぶつけたろかと笑ひつつゆく
■便祕には便祕のくすり不眠には眠れるくすりさて死ぬときは
■一滴のしづくは落ちてたのしげに宙に浮かべり地は迫れども
■人であることもときをり疑へばかがみの中にからつぽの部屋
■この日ごろ命ますますかるくなり空飛ぶこともたぶんできさう
■晝の夢覺めて汗ばむ怖ろしさわれはロボット死のなき永遠
■墓石の大きさ競ひておろかなる彼らの死者はいづこにいこふ

 *安部公房「砂の女」
■とうせきの日日のくらしのくりかへし砂の女の罠のごとくに

■月すでにひとりあそびに飽きはてて滿ちて何する缺けて何する
■ドアや窓開けたるままに彼は逝く地球のすべて受け容れたれば
■隣家にも窓ありされどその視界とことん無視して新築の家
■ぼんやりと明日を思へるとりあへず明日といふ名のけふと同じ日
■まだ生きてゐるよと高き屋上にわれをり遠くはたははためく

■生まれたる以上は死ぬることわりに突然死とはあるいは至
■この坂は老いの坂道ころんでも失ふものなど何にもなくて
■アパートが傾くなどと怖ろしきニュースを見つつ分度器さがす
■魚の頭切つて捨てたる氣樂さに人の死もまたのんびりゆかう
■廢されて四角き石となりはてし墓石に人の名ひたすらをかし
■あと十分あと五分あと一分減りゆく(透析)時間はわが生にして

■人死んでゆくを見送るさびしさは何よりもまづ行方を知らず