投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

日野樹男歌集(6)

2016年02月15日 | 歌集

日野樹男歌集(6)


■深夜まで人の姿のままにゐて疲れはてたり鏡にむかふ

■枯野より出できて道を訊く人に枯野の道を指して示しつ
■傍觀といへるさびしき姿勢にて波立つ冬の海を見てをり
■ポストへと投函したる手紙には赤き切手と捨てたる昨日

■ぼくたちは宇宙船から落ちてきてすでに地球を愛するまでに

■言葉に人に寡默を強ひる定型のわれいとほしむこの簡明を
■飛んでみて空のひろさを怖れきと人の進化の祕めたる一章
■ひと住むと柱建てゆき壁をなし窓ととびらをつくり鍵さす
■遠く見て風あるところゆるやかに旗ははためくいのち惜しめと
■耐へがたきときあり不意に身の内に冷たき風が吹きつのるなり
■ことごとく臟器を人に與へたるのちのわが身よ死はかろやかに

■透析室の楕圓の時計の長径の端の數字のとどかぬ時間
■美しき花でありしが剪られきてつくり笑ひのごとく飾らる
■かの日かのぶらんこ遊び幼な日に空を飛びしは記憶の彼方
■それぞれの時計に時のあるごとくわが體内のこはれし時間
■ミステリのどんでん返しのやうなこと決してなくて透析の日日

■在りといふ動詞と對に無しといふ形容詞あり在るはつかのま

■人がを創りしゆゑにかくまでもなるものは愚かなるかな
■落下する人を思へり落ちてゆくそのありさまを生と呼ぶべく
■人類のあとを繼ぎたる生きものは如何なる椅子に憩へる未來
■いちにちの終はりかならず人は眠り夜毎に學ぶ死のやすらぎを
■ひとつふたつ卵を割ればたはやすく鎭まる怒りけふも生きむとす
■眼のみわれ鳥となりをりふるさとの航空寫眞にあの道あの川
■あといくつ眠れば終はる夢ならむ夜毎にわれは壞れゆくなり

■ひと昔前にはここでたばこなど吹かしてゐたり秋の川澄む
■からつぽになるまで生きむこの身には秋水凛と充たせよ今宵
■翼なきやまひに氣付きしかの日より空は眞きペンキの壁に
■方舟は不意に來たりぬわれに問ふ選ばれたると信ずるや否や
■なぎさへと寄せくる芥見てあれば人の造りしもののみにくさ

■人のするよきことのみを樹もなさむ腦といふもの樹はもたぬゆゑ

■停電時手廻しも可と聞きてより透析機械に奇妙な親愛
■止まるには止まる理由が必要な綺麗な時計がこちらを見てゐる
■はらわたに砂を詰めたるこのからだ重きときあり街も砂の色
■少しづつ死んでゆく日のけふにゐてビール飮み干す惡事のごとく

■眞夜にゐてけものくさきはわれひとり命さびしむ放屁などして
■わが不在この肉體を空にしてときどき天よりわれを見てをり
■ドアがあり窓があるゆゑときをりは空へ飛び立つ眞似などしたり
■別れたる妻を思へるなしとせず麥の字ほどの懷かしさとして

■その他といふ分類のうれしさにその他らしく生きゐるこのごろ

■樹に樹液人に血液それぞれに病めば涸れゆくことわりなりき
■見えざれど樹の根の深く地中へと伸びゆくちから闇を求めて
■やはらかき肉に秩序をあたへゐる骨ありわが身に異物のごとく
■自殺とはいへど多くは人の世のあやしき罠に落ちたる彼ら
■かくれんぼ最も上手に隱れたるといふ名の子は置き去りに
■こころみに林檎に赤きペンキ塗り君に贈らむ愛のごとくに

■異議ありと聲あげざれば少年の時朽ちやすくはやも晩夏光
■見えぬ背に羽もがれたる傷跡のありと信じてすでに逝く夏
■自轉車に乘りてわがゆくあらがふは風にはあらず老いゆく時間
■いちにちを終へたる胸の混沌に整理つけむと焦りて眠れず
■愛犬の賢さをいふその人のそばに尻尾を振るのみの犬

■井戸涸れてひとつの穴となりてより人らつどひて墜ちゆくあそび

■蟲たちの晩餐たれよ土葬にて食物聯鎖の環は閉ぢむとす
■一鉢の土に芽生えて枯れゆけりわれは見たりき汝が一生を
■リモコンののボタンつれづれに押してみるなり何か變はれと

■君は守宮われは守宮にあらねども夜は壁など這ひてたのしき
■愚かさに絶望はせず賢者にも希望は託さず話讀み繼ぐ
■人を殺すたくらみありて手の平の蟻の命を見つめてゐたり
■きつねよりうさぎに移るつかのまの影繪の中の人の手の指
■きらきらとまなこ光らす老人になりたきものと朝日を拜す

 *60歳に
■ほろびゆく種族はつひにわれを殘しこの莊嚴の夕陽に祈る

■われは飛ぶ白く冷たき月へ向けイカロスの愚をくりかへすなく
■恐龍の末裔ならむといふときの鳥のまなこの愛しくもあるか
■もはやたれも歌はずなりし革命歌たとへば鸚鵡につたへておかむ
■わが立つは空地と呼ばれむき出しの土に草むす天然の場所
■ゆきゆけば古木にこぶの顏ありて森の歷史を語らずや君

■山の上にたれかおらびて新たしき呼ぶらしき夏は來にけり

■蝶道を見付けてある日わが飛ぶは人界よりの逃亡初日
■ビッグバンすでに屆かぬ彼方へとわがふるさとの赤き星かな
■むかしわれタイムマシンが故障してこの地に來たり早も百年
■身を堅くよろへるものら甲蟲のそのやさしさを病みて知りそむ
■生きゆくも死にゆくこともさびしくて宙ぶらりんの晝の月かな
■ロボットがある日かがみを覗き見て考へてゐる人との違ひを

■花のやうに少年苑に笑へりき過ぎゆく時のつばさのかげに

■夕燒けにたれを戀ふとはなけれども少年われは戀しかりしを
■燃え盡きて殘れるものに眞實があるなりゆゑに灰こそがわれ
■薔薇咲くと步みよりたるわが目にはすでに亡びし薔薇の殘影
■朝燒けの幸せさうなあの色を胸の奧まで一杯にしておく
■蟻は蜂より進化せしとや翅を捨て地上を步く蟲の選擇

■日曜は蝶を處刑の日と決めて花のかんざし野をゆくわれは
■ささやかに土地は區切られ家といふ罠のごときを組み立てゐたり
■腕ふたつそれぞれ五指をもちながらなすこともなく垂らしゐるのみ
■不眠症かこつこの身はつひの日も眠れぬままに死ぬのかも知れず
■時計にもいろいろありてわが好むときどきとまるやさしき時計

■透きとほるやまひはつひにわれにおよび飛行船など見つつ淚す

■人がみな鳥となりたるいきさつを語る書物を書架より選ぶ
■比較せよ椅子なき人と人の死後椅子が耐へゆく孤獨の時を
■眠りより目覺めにつづくかすかなるためらひ淡き性の夢かも
■アンテナに電波はとどく遠き地の人は飢ゑつつ殺しあひつつ
■顏なでて鼻やはらかき突起なすこの顏なでて生きてゆくかな

■海に陽をしづめてけふも夜といふかくも親しき衣をまとふ
■かたくなにひとつとびらたたきゐし夢より覺めてなほも苦しき
■うしなひし言葉の數だけ鳥がゐる地球の空の春のゆふぐれ
■さういへば空を飛ぶてふ選擇もありけむものを進化の過程に
■いつの日か芽吹くちからを種として胸の奧なる小さき箱に

■味見して鹽などすこし足してのち頭蓋は閉ぢむけふも狂はず

 *透析室にて
■左手で書きたる文字の讀めざれば管刺す右手で歌書きとめつ