投石日記

日野樹男
つながれて機械をめぐる血の流れ生は死の影死は生の影

2010年12月25日(土)

2010年12月25日 | 映畫

●レッドクリフ(赤壁) 1-2/2008-09、中・香・日・韓・臺/呉宇森監督/梁朝偉、金城武、張豐毅、尤勇、張震、林志玲、趙薇、胡軍、巴森扎布、臧金生、中村獅童
◎ムーヴィープラスの錄畫。歷史書である「三國志」を基にした小説「三國志演義」の映畫化。私は「演義」の翻譯本を最初のところだけで投げ出して、結局は吉川英治の「三國志」で讀んだ。それももう隨分むかしの話だから史實や物語の細部とこの映畫がどの程度重なつてゐるのかはよく分からない。映畫で扱つてゐるのは「赤壁の戰ひ」の部分。蜀の劉備が魏の曹操の攻擊に追はれて窮地に陷つたことから軍師諸葛孔明が呉の孫權と組むことを進言し自ら呉に乘り込む。呉軍を率ゐる智將周瑜と信關係を築き同盟が成立、長江沿ひの赤壁に曹操軍を迎へ擊つことになる。80萬の魏軍に對して10萬にも滿たない呉蜀聯合軍がどう戰ふかが話の中心で、周瑜と孔明が智略を競ひ合ふ場面が面白い。特に孔明が現代の氣象豫報士も驚くやうな能力で風向きの變化を正確に讀みとり火攻めを成功させるところは懸かり的な描き方になつてゐる。これより少し後の「魏志倭人傳」で「倭」として出て來る日本では「鬼道」をよくする卑彌呼が活躍してゐたのだから、中國大陸に孔明のやうな氣象を操る怪人物がゐても不思議はないのだらう。それでも映畫では天に祈つたりするのではなくあくまでも雲の觀察により氣象の變化を豫想することになつてゐるから、多少は現實的な人物像として描かうとはしてゐるやうだ。登場人物で最も現實感のあつたのはやはり曹操で、行動や慾望の持ち方なども他のアニメ的な人物像に比べて厚みのある描き方で現代人に近い。作品全體では戰鬪場面はそれなりに見應へはある。CGを多用してゐるらしいのは分かるのだが意外と氣にならなかつた。古代中國の船團同士の戰鬪が中心といふことで珍しさもあつたのだと思ふ。それよりも、實際に人間の俳優が演じてゐるはずの芝居の部分が薄つぺらで人形劇のやうだつたのが奇妙だつた。私は歐米系以外の映畫はあまり好きではなくて滅多に觀ない。吹替へ版の場合、どう見ても日本人とは思へない歐米映畫の登場人物ならそれなりに納得しやすいのだが、見掛け上日本人に似てゐるアジア系の俳優が妙な間合ひで日本語を話してゐるのは受け入れにくい。字幕版の場合も日本人によく似た登場人物が耳慣れない言葉を話してゐることに違和感を感じてしまふらしい。ほとんど言ひ掛かりのやうな後付けの理屈であり、ただ單に面白くないといふだけのことかも知れない。その點この映畫は戰鬪場面の派手さもあつて最後まで付き合へるだけの面白さはあつたやうだ。


2010年12月18日(土)

2010年12月18日 | 映畫
●オペラ座の怪人(THE PHANTOM OF THE OPERA)/2004、米・英/ジョエル・シューマカー監督/ジェラルド・バトラー、エミー・ロッサム、パトリック・ウィルソン、ミランダ・リチャードソン、ミニー・ドライヴァー
◎地上波の錄畫。自他共に認める音癡なので映畫を觀ても音樂は記憶に殘らない。このミュージカル映畫の場合は以前字幕版で觀たときに何といふ分かりやすい音樂かと音癡なりに感激したことがあり、しかも今回は歌も含めた吹替へ版といふことで樂しみにしてゐた。とはいつてもやはり音樂の部分についての感想は、ない。20世紀初頭、廢墟同然に寂れてゐたオペラ座で古びた備品類の競賣が行なはれてゐた。そこに「あの事件」の關係者だつたラウルとメグも參加し猿の玩具の付いたオルゴールを競り合つたりしてゐたが、目玉の大シャンデリアの競賣を切つ掛けに彼らの思ひは一氣に半世紀前の「あの事件」の頃に飛ぶ。當時オペラ座では地下の洞窟に棲む「怪人」がさまざまな要求を突き付けて來て、從はなければ公演を妨碍されるため困り果ててゐた。前の支配人が嫌氣が差して辭め新しい支配人のもとでの次の芝居の稽古中に事故は起きる。我儘放題のプリマドンナのカルロッタが歌ふの歌はないのとごねてゐるところに天井から物が落ちて來て大怪我をしさうになつたのだ。腹を立てたカルロッタが完全に降りてしまひ公演中止の危機に。そこへ踊り子たちの世話役であるジリー夫人がコーラスガールのクリスティーヌを使ふやうに進言する。試しに歌はせてみると見事な歌聲を披露におよび代役起用が卽決定する。有名なヴァイオリニストの娘ながらも幼い頃に兩親に死に別れて苦勞を重ねてきたクリスティーヌだつたが、實はいつ頃からかこのオペラ座に棲む怪人に音樂の指導を受ける關係になつてゐた。その聲だけの謎の音樂師を亡き父が寄こした音樂の天使だと信じながら美しく成長したクリスティーヌを、怪人の方は大人の女性として愛するやうになつてをり、そこから悲劇が始まる。今回のカルロッタの事故も實際にはクリスティーヌを主役にするために怪人が仕組んだものだつた。しかし彼女が主役になつたことで結果として劇場の最大の金主であるシャニュイ子爵ラウルの記憶を呼び起こしてしまふ。クリスティーヌの兩親がまだ健在だつた子供の頃ふたりは互ひに仲のよい遊び相手だつたのだ。ふたりの再會はそのまま戀の始まりとなり怪人を含めた三角關係の始まりでもあつた。怪人の方はクリスティーヌを地下の洞窟に誘ひ込んで子供の頃から音樂師として導いたことを思ひ出させたりして何とか自分を受け入れさせようとするが、假面の下の醜い顏を見られてしまつては逆效果。若くてハンサムで金もあるラウルに勝てるはずもなく、怒りに狂つた怪人は公演中の舞臺に亂入し大シャンデリアを落として劇場に火を付け大火災を引き起こす。そのどさくさに紛れてクリスティーヌを地下へ拉致し去り追ひかけて來たラウルを縛りあげ殺さうと試みるも、クリスティーヌの捨て身の口づけひとつで怒りは鎭まり、諦めてふたりを解放し自分はそのまま地下の闇へと消えていく。そしてオペラ座は廢墟となり半世紀の後、「回想」から醒めてジリー夫人の娘でクリスティーヌの親友でもあつたメグに別れを告げた老ラウルは墓地へと急ぐ。亡き妻クリスティーヌの墓前にあのオルゴールを置いてふと傍らを見ると、明らかに怪人が置いていつたものと分かる一輪の赤い薔薇がそこにあつた。この映畫はクリスティーヌがラウルといふ常識的な選擇をするためドラマ的にはあまり面白味がない。念のため怪人の側から物語を見てみると、生まれついての畸形的な容貌のため親に見捨てられ見世物小屋に賣られて働かされてゐた彼は、ある日自分の「主人」に反抗し殺してしまふ。たまたまそれを見てゐたのが見習の踊り子だつた若き日のジリー夫人で、同情した彼女によつて劇場の地下の洞窟に匿はれる。以後一度も外に出ることなく成長するが、密かに劇場内をうろつくうちに持つて生まれた建築や演劇・音樂などの才能を開花させていく。天才を自覺すればするほどに假面に隱さねばならない醜い容貌との溝の大きさに苦しみ、しかも逃亡に際して人を殺してゐるためどのやうな形であつても表に出ることができず惱みは深まるばかり。そこに音樂的才能を祕めた小さなクリスティーヌとの聲だけの出逢ひがありその育に初めて生き甲斐を感じることに。だが受け入れてもらへるのはあくまでも聲だけで、新しく登場したラウルといふ戀敵との比較の中では彼に勝ち目はなかつた。確かに哀れではあるが、しかし最初の殺人は別にしても怒りにまかせて人を殺したりする粗暴さは同情しにくい。それにやはり惚れるのならば人殺しでも醜男でもいいからあなたが好きよと割り切つてくれる女性を探すべきで、クリスティーヌのやうな面喰ひに惚れたのが間違ひの元だといふしかない。クリスティーヌにとつても恩師變じて劇場に住み込みのストーカーでは迷惑だらうから、ラウルに靡いたのも單に金に目が眩んだからとはいへないやうだ。金の力に物をいはせて迫つてくるラウルを振り切つて假面の怪人のもとに飛び込んでいく美女といふ話の方が、非現實的ではあつてもはるかに面白かつたやうに思ふが仕方ないだらう。