えーとこの「ひのっき絵日記」はですね、当初フットサルチームWANSホームページの1コーナーから始まりました。最初は文章オンリーの「ひのっき」でもうすぐ閉鎖しちゃいそうなのですが、その中で割合お気に入りの回が何回かあるので、折を見て紹介していきます。以下、「ひのっき」から再録です。
ジャガイモってありますよね。あれってジャカルタから来たからジャガイモって言うんですって。マレーシアから来たって意味で馬鈴薯とも呼ばれてます(馬の首に下げた鈴に似てるからって説もあるけどそっちは俗説っぽいです)。種芋を持ち込んだオランダ船が出向した港の名前がそこだってことで、どちらにせよ日本にとっては南の島から伝えられた植物なんですね。
さてさてこのジャガイモ、原産地はアメリカ大陸のアンデス高地で、インカ帝国の人々が主食の一つとして食べていたとも言われています。これが大航海時代の16世紀にヨーロッパへ伝えられました。しかし当初は観賞用として栽培されていたみたいです。ジャガイモの花って、白くて可愛いんだよね。
もしかして、これって食いものとして相当いけてるんじゃないの?って事に気が付いたのがドイツ(当時はプロセイン)のフリードリヒ(大王)二世。17世紀半ば、三十年戦争と飢饉でプロセインの人口はなんと半分にまで減っちゃった。そんな中、フリードリヒは冷害に強く土地を選ばず100日程度で栽培できるジャガイモに注目。領内の農民に強制的に栽培させつつ、自らジャガイモを食べて「うまい!最高!」とプロモーションを積極的に行った。このプロモーション、現在にいたるまでドイツ人を糊糊に乗せるほどの大成功をおさめ、飢饉やペストでたびたび人口を何割ってレベルで減少させてきたヨーロッパの安定的な人口増大に大きく貢献しました。
話は最初に戻りますが、日本への伝来は意外と早く17世紀には長崎に伝わっています。でもやはり当初は観賞用で、上級武士の屋敷などで栽培されていたらしいです。
この可憐な南国の花、天保・享保の大飢饉の時には多くの日本人の命を救ったって記録が残っています。
感慨深いですね。
あ、そうそう、肉じゃがって日露戦争の海軍提督、東郷平八郎が最初に作ったって知ってます?
東郷がイギリスに留学していた時に海軍で出されたカレーに凄く感動したんですって。で、帰国後日本でも同じ物が作れないかって試行錯誤して出来たのが肉じゃが。当時はスパイスが高価で使えなかったんですね。
おいらはどちらも甲乙つけがたく大好きです。
ジャガイモってありますよね。あれってジャカルタから来たからジャガイモって言うんですって。マレーシアから来たって意味で馬鈴薯とも呼ばれてます(馬の首に下げた鈴に似てるからって説もあるけどそっちは俗説っぽいです)。種芋を持ち込んだオランダ船が出向した港の名前がそこだってことで、どちらにせよ日本にとっては南の島から伝えられた植物なんですね。
さてさてこのジャガイモ、原産地はアメリカ大陸のアンデス高地で、インカ帝国の人々が主食の一つとして食べていたとも言われています。これが大航海時代の16世紀にヨーロッパへ伝えられました。しかし当初は観賞用として栽培されていたみたいです。ジャガイモの花って、白くて可愛いんだよね。
もしかして、これって食いものとして相当いけてるんじゃないの?って事に気が付いたのがドイツ(当時はプロセイン)のフリードリヒ(大王)二世。17世紀半ば、三十年戦争と飢饉でプロセインの人口はなんと半分にまで減っちゃった。そんな中、フリードリヒは冷害に強く土地を選ばず100日程度で栽培できるジャガイモに注目。領内の農民に強制的に栽培させつつ、自らジャガイモを食べて「うまい!最高!」とプロモーションを積極的に行った。このプロモーション、現在にいたるまでドイツ人を糊糊に乗せるほどの大成功をおさめ、飢饉やペストでたびたび人口を何割ってレベルで減少させてきたヨーロッパの安定的な人口増大に大きく貢献しました。
話は最初に戻りますが、日本への伝来は意外と早く17世紀には長崎に伝わっています。でもやはり当初は観賞用で、上級武士の屋敷などで栽培されていたらしいです。
この可憐な南国の花、天保・享保の大飢饉の時には多くの日本人の命を救ったって記録が残っています。
感慨深いですね。
あ、そうそう、肉じゃがって日露戦争の海軍提督、東郷平八郎が最初に作ったって知ってます?
東郷がイギリスに留学していた時に海軍で出されたカレーに凄く感動したんですって。で、帰国後日本でも同じ物が作れないかって試行錯誤して出来たのが肉じゃが。当時はスパイスが高価で使えなかったんですね。
おいらはどちらも甲乙つけがたく大好きです。