ひのっき

あったかくてぐっすりでごはんがおいしくてよかったねうれしいねなんて小さなしあわせ探し雑記

おつり 語源

2005年10月20日 | うんちく。
今日はへーと思ったことがあったのでご報告です。
買い物するとおつりってありますよね。あれって、貰い過ぎた価値分を返すことで渡したモノとの「釣り合い」をとることから「お釣」って呼ぶんですって。へー。物物交換時代の等価交換概念の名残だなんて説もあるそうです。
なにやら深いっぽいなあなんてトリビアナイトでした!

さつまいも 中華を照らす太陽

2005年09月12日 | うんちく。
元祖「ひのっき」閉鎖記念(苦笑) 移植第3弾です

子供の頃、ポテトチップが大好きだったんですよ。カルビーの。のり塩やフレンチサラダもいいけど、コクでは断然コンソメパンチ。もしかしてこれってお湯に入れたらおいしいコンソメポタージュになるんじゃないのって思って、試してみたらめちゃまずでしたけど・・・。大学に入って関西出身の奴らと安酒を飲むようになって、うす塩の株価が急上昇。彼ら、マヨネーズに七味唐辛子をかけたものにポテチをつけながら食べるんです。??何を始めるんだと思って恐々見ていましたが、食べてみるとこれがええってぐらいの激うま。これだとうす塩が断然おいしいんですね。
芋菓子つながりで言えば大人になってはまったのが芋けんぴ。サツマイモを揚げて砂糖でからめた土佐のお菓子なんだけど、ほんのりと自然な甘さにほっと癒されます。
うーんもうすぐ夏の物干し竿屋が焼き芋屋に商売替えするシーズンでもありますし、今日はちょっとサツマイモの話を。
原産は太陽の国メキシコ。マヤ文明では品種改良により多くの種類のサツマイモが栽培されていたと言われます。例によって大航海時代の15世紀に欧州に伝えられました。欧州では主に航海用の食料として使われていたようです。
先日、ジャガイモがヨーロッパの人口増大に大きく寄与した話をしましたが、サツマイモは中国の人口増大に多大な貢献をしました。
サツマイモって、作付け面積あたりのカロリー供給量が作物の中で一番高いんです。痩せた土地でも冷害下でもすくすく育つ、代表的な救荒作物の一つです。
それに気付いたのが16世紀の貿易商陳振龍。ご禁制品を取り締まる役人の目を欺くため、ルソン島で栽培されていたサツマイモの蔓を帆縄にないこんでこっそり中国に持ち込みました。これを17世紀明末の農学者徐光啓、18世紀に清の賢帝として名をはせた乾隆帝が積極的に普及を広め、飢饉時に非常に多くの人命を救ったといいます。これにより1億人程度だった中国の人口は清代末には4億人と、劇的な増加を果たしました。
ちなみに大学いものルーツも中国です。昭和初期、東大の苦学生が学費捻出のため中国人留学生から教わったサツマイモの砂糖揚げ煮を売り出したところこれが大ヒット。大学いもと呼ばれるようになったようです。いや東大じゃなく早稲田だって説もあって一部で争いになってるみたいですけど、あのとろける素朴な甘さと香ばしいごまの風味の前では、そんなこたあどうでもいいんじゃないかと思います。

海原のもやし

2005年08月23日 | うんちく。
えーと、元祖「ひのっき」閉鎖記念(笑)移植第2弾です

もやしって好きなんですよね。食べるのがっていうより、ちょっと感慨があるんですよ。
話は500年ほど前に遡ります。大航海時代って欧州人が何やらえっちらおっちら世界中に長い船旅をするようになった時代があるんですよ。でね、その船乗りってのがみんなすげえ屈強な奴らなんだけど、次々と奇病で死んじゃう。原因不明。分かっているのは一つの共通点のみ。血がね、すっごく鮮やかに赤いんですよ。みんな。ちょっと怖いでしょ?
これが解決されたのが200年前。ナポレオンが欧州全土へ遠征に行った時、兵隊の間にこの船乗りの奇病が蔓延しちゃった。でね、どうも野菜を食べないとだめっぽいってのが分かってきた。でも野菜って腐るから、持ち運べないでしょ?で、懸賞金を出しました。いつでもどこへでも新鮮な野菜や肉を持ち運べる方法を考えた者に一万二千フラン。今の感覚だと数億ってとこかな。アペールさんってのが瓶詰めを発明して賞金を獲得しました。ポイントは密閉と過熱。ビンを密閉してから加熱すれば中の雑菌は死滅し、腐らなくなる。いつまでもヴァーチャ新鮮。これで300年間欧州の船乗り達を恐怖に陥れた奇病はパタリとなくなった。この奇病は現在では壊血病って名前がつけられていて、ビタミンCの不足により赤血球が破壊されちゃう病気なんですって。見事克服。さすがナポレオン。フランス万歳!
・・・でもね、実はそれより500年も前、今から700年以上も前に既に解決している奴らがいたんです。
元寇ってあるじゃないですか。あの13世紀に鎌倉幕府が滅んだ原因にもなった、フビライハンが攻めてきたあれですよ。あの元軍の兵士達ってね、船の中で長い時は何ヶ月も停泊していたらしんだけど、誰も壊血病にはならなかった。不思議ですね?
彼らね、船の中でもやしを栽培してたんですって。もやしって、豆の時は殆どビタミンC含んでないんだけど、芽を出してもやしの状態になるとかなりのビタミンC濃度になるんです。もやしなら土も太陽もいらない。水だけ。豆の状態で保存しといて、船倉の一角にもやしプラントを設置して食べる分だけ栽培してました。がちんこで常に超新鮮。頭いいなあ、モンゴル人。
欧州人が船乗りの奇病を知る200年も前の話です。
ね、ちょっと感慨深いでしょ?


じゃがいも 南から来た救世主

2005年08月07日 | うんちく。
えーとこの「ひのっき絵日記」はですね、当初フットサルチームWANSホームページの1コーナーから始まりました。最初は文章オンリーの「ひのっき」でもうすぐ閉鎖しちゃいそうなのですが、その中で割合お気に入りの回が何回かあるので、折を見て紹介していきます。以下、「ひのっき」から再録です。

ジャガイモってありますよね。あれってジャカルタから来たからジャガイモって言うんですって。マレーシアから来たって意味で馬鈴薯とも呼ばれてます(馬の首に下げた鈴に似てるからって説もあるけどそっちは俗説っぽいです)。種芋を持ち込んだオランダ船が出向した港の名前がそこだってことで、どちらにせよ日本にとっては南の島から伝えられた植物なんですね。
さてさてこのジャガイモ、原産地はアメリカ大陸のアンデス高地で、インカ帝国の人々が主食の一つとして食べていたとも言われています。これが大航海時代の16世紀にヨーロッパへ伝えられました。しかし当初は観賞用として栽培されていたみたいです。ジャガイモの花って、白くて可愛いんだよね。
もしかして、これって食いものとして相当いけてるんじゃないの?って事に気が付いたのがドイツ(当時はプロセイン)のフリードリヒ(大王)二世。17世紀半ば、三十年戦争と飢饉でプロセインの人口はなんと半分にまで減っちゃった。そんな中、フリードリヒは冷害に強く土地を選ばず100日程度で栽培できるジャガイモに注目。領内の農民に強制的に栽培させつつ、自らジャガイモを食べて「うまい!最高!」とプロモーションを積極的に行った。このプロモーション、現在にいたるまでドイツ人を糊糊に乗せるほどの大成功をおさめ、飢饉やペストでたびたび人口を何割ってレベルで減少させてきたヨーロッパの安定的な人口増大に大きく貢献しました。
話は最初に戻りますが、日本への伝来は意外と早く17世紀には長崎に伝わっています。でもやはり当初は観賞用で、上級武士の屋敷などで栽培されていたらしいです。
この可憐な南国の花、天保・享保の大飢饉の時には多くの日本人の命を救ったって記録が残っています。
感慨深いですね。
あ、そうそう、肉じゃがって日露戦争の海軍提督、東郷平八郎が最初に作ったって知ってます?
東郷がイギリスに留学していた時に海軍で出されたカレーに凄く感動したんですって。で、帰国後日本でも同じ物が作れないかって試行錯誤して出来たのが肉じゃが。当時はスパイスが高価で使えなかったんですね。
おいらはどちらも甲乙つけがたく大好きです。

婚約指輪 3ヶ月 謎

2005年08月03日 | うんちく。
婚約指輪って、あるじゃないですか。あれって給料の3ヶ月分なんてえことを言いますが、なんで3ヶ月なんだろうって、なんとなくずーっと不思議に思っていたんですよ。
で、なにやらスッキリ謎が解けたのでご報告です。
もともとあれはデビアス社のキャンペーンで、アメリカではキリよく「1ヶ月分」とされてたんですって。で、それが結構当たったんで日本でもキャンペーンはろうぜってことになったその当時、日本人の平均所得がアメリカ人のちょうど3分の1だった。じゃ、ってんで3倍の3ヶ月ってことで広告を打ったら、これがメガヒット・・てなお話です。なるほどー。
はー、なんだか世の中にはなにくれ頭のいい人がいっぱいいるんだなあ・・・なーんて思った目鱗な夜でした!