休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の石造物 益田岩船

2015-03-29 14:51:57 | 史跡を歩く
 小谷古墳から南へ貝吹山の麓沿いに橿原団地を横にしながら歩いていくと、益田岩船と書いた橿原市の案内板を発見する。

 

 ここから山道を中に入っていくのだが、これが結構大変だった!

 初めは、階段を上がっていくだけなのかな、それでも傾斜がかなりあるなあと思いながら登っていくと次第に階段ではなく細い山道になっていく。ついにはロープが張られていてロープを使って急な道を登っていかなければならなくなる。

 

 観光地にあるまじき整備と思いながら登る。登り切ると尾根に出たのか山道の傾斜が緩やかになった。

 

 山道をずんずんと歩いていくと、いつのまにか竹藪の中に入っていく。少しすると竹藪の向こうにうっすらと何やら象のような巨大生物のようなものが見える。

 

 近づいていくと、目の前に高さ4.7mもある長方形の立方体の石造物が現れる。益田岩船である。あまりの大きさに全体が目に入らない。

 

 格子状になっている側面の迫力に、まず度肝を抜かれた。「スゴイ、スゴイ」とわくわくしてしまう私。これはちょっとした冒険気分を味わってしまえるスポットになっている。観光地にあるまじきという発言は取り消さないといけない。この山道の難所を乗り越えてこその感動なのだ。近年の飛鳥地方は、村全体が観光地化されてどこも整備されてしまっていて、こういう難所が少なくなっているのでこういう所が一つか二つあってもいいと思う。

 飛鳥の三奇石というと、この益田岩船と酒船石と亀石と言われているがその中で一番マイナーである。でもその代り、一番目にした時の感動は大きいと思う。こんな山の中腹に東西11m、南北8m、高さ4.7㍍もある巨石が存在していること自体が不思議である。

  

 少し山を上に登ってみると、上部を見ることができる。

 

 大きな穴が二つ空いているのがわかる。穴の一辺の大きさは、約1.6m、深さは、1.3mとのこと。

 一体何のためにとは、昔の人ならずとも不思議に思われるだろう。古くから言われているのは、近くにあった益田池の石碑の台座であったというもので、また、著名なものでは、作家の松本清張が、唱えたゾロアスター教の拝火台というもの。近年では、古墳の横口式石槨が未完成のまま廃棄されたものと言う説が有力なような気がする。この近くにある牽牛子塚古墳を見るとそんな感じが確かにする。

 よくよく見ると、岩船の格子状のところが上部に行くと平らになっている。おそらく、最終的に石をきれいに整えるために格子状にして削っているのであろう。

 

 それから、岩船の下部のところに亀裂がずっと続いているのがわかる。

 

 河上邦彦氏は著書で、横穴式石槨の製作途中で亀裂が入り放棄されたのではと述べておられる。

 そういえば、手塚治虫氏の三つ目がとおるという漫画の中でも三大石造物のことを使った話があったと思う。残念ながらどの話であったか思い出せない。諸星大二郎氏も「暗黒神話」の中で益田岩船を使っている。作家の想像力をかき立てるものがあるのだろう。謎は謎のまま永遠にあってほしいという気もする。ずっとこの山の中で静かに、タイムマシンのように未来へ謎を運んでほしいと思う。

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