大仙公園の南側に隣接する大阪府立堺支援学校の敷地内に丸いブロックで囲まれた古墳らしきものがある。
学校の塀越しに観察してみると円墳のようだが、少しいびつな形に見える。調べてみると、どうやらもともとは帆立貝方の古墳で、前方部が削平されて後円部のみが残っている状態であるようだ。墳丘自体もかなり削平を受けているようである。
大阪府教育委員会によって行われた調査では、墳丘長72m、後円部径54mで周囲には周濠が巡っていたらしい。後円部についても、1段目のテラスについては現存しているが、2段目以上については、削平をされており、埋葬施設等もわからない状態であるようである。ただ発掘調査の際に円筒埴輪列が見つかっており、その埴輪からは、5世紀の中ごろから後半に築造されたのではないかと考えられている。
学校の敷地内にあるので、中に入っていくわけにもいかず、怪しく塀越しに眺めるのみである。ただ、銭塚古墳についても、2014年に史跡として追加指定されている。
大阪府立堺支援学校から阪和線沿いに南へ少し行くと歩道のわきに小さな塚がある。これが東上野芝1号墳で、普通に歩いていると見過ごしてしまうような古墳である。
この古墳については、堺市が発行している百舌鳥古墳群の解説書には、名称と位置のみが掲載されているが、詳細は記されていない。
観察してみると古墳の一部が残っているもののようで、道路から反対側に回ってみると、盛土が丸くなっているので円墳の一部のようである。
線路を挟んで向かいには、いたすけ古墳があるので、その古墳との関係も指摘されているところである。残念ながら、百舌鳥古墳群として史跡の指定からは漏れている古墳である。古墳についての案内板もなく、このままでは、いつの間にか消滅しているということもありそうな古墳でもある。
この東上野芝町1号墳からは、上野芝駅はすぐである。
学校の塀越しに観察してみると円墳のようだが、少しいびつな形に見える。調べてみると、どうやらもともとは帆立貝方の古墳で、前方部が削平されて後円部のみが残っている状態であるようだ。墳丘自体もかなり削平を受けているようである。
大阪府教育委員会によって行われた調査では、墳丘長72m、後円部径54mで周囲には周濠が巡っていたらしい。後円部についても、1段目のテラスについては現存しているが、2段目以上については、削平をされており、埋葬施設等もわからない状態であるようである。ただ発掘調査の際に円筒埴輪列が見つかっており、その埴輪からは、5世紀の中ごろから後半に築造されたのではないかと考えられている。
学校の敷地内にあるので、中に入っていくわけにもいかず、怪しく塀越しに眺めるのみである。ただ、銭塚古墳についても、2014年に史跡として追加指定されている。
大阪府立堺支援学校から阪和線沿いに南へ少し行くと歩道のわきに小さな塚がある。これが東上野芝1号墳で、普通に歩いていると見過ごしてしまうような古墳である。
この古墳については、堺市が発行している百舌鳥古墳群の解説書には、名称と位置のみが掲載されているが、詳細は記されていない。
観察してみると古墳の一部が残っているもののようで、道路から反対側に回ってみると、盛土が丸くなっているので円墳の一部のようである。
線路を挟んで向かいには、いたすけ古墳があるので、その古墳との関係も指摘されているところである。残念ながら、百舌鳥古墳群として史跡の指定からは漏れている古墳である。古墳についての案内板もなく、このままでは、いつの間にか消滅しているということもありそうな古墳でもある。
この東上野芝町1号墳からは、上野芝駅はすぐである。
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