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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

史跡難波宮発掘調査 一般公開

2015-12-24 17:02:05 | 現地説明会
 12月6日、後期難波宮の内裏西外郭の屋根瓦落下跡が公開されるという新聞記事を目にし、これはと思い、現地に足を運ぶことにした。
 現地に足を運んでみると十数名の見学者が訪れていた。当日は、現地説明会のように発掘状況についての説明はなく、必要があれば係員に質問をするという形であった。

 もともとは、今回の発掘調査は、以前昭和36年に行われた調査で後期難波宮の内裏の築地方庇廊(あるいは築地塀)の屋根瓦が屋根から落ちた状態で発掘されたものを、そのままの状態を維持するために、合成樹脂による保存処理施したのちに埋め戻したものを、再発掘したものである。そのため、出土した屋根瓦の周辺は、写真のようにコンクリートのブロックで囲まれていた。

 

 ずらっと古代の瓦が並んでいる状態は壮観ではあるのだが、よく見ると、上下がさかさまになって埋まっている状況がわかる。

 

 

 これは、説明の方に聞くと、瓦は築地塀からずり落ちたのではなく、ばしゃんとある日突然ひっくり返ったのではないかとのことであった。写真のような重圏文軒瓦が使用されていることについては、難波宮を移築したと考えられる長岡宮を除いて、他の宮跡では見られない難波宮の特徴だそうだ。

 瓦がところどころ青白く光っているのは、合成樹脂を塗った後みたいだ。

 

 この辺りは、後期難波宮の内裏があった場所であり、この場所の東側にいくつか内裏跡を示す建物跡が見つかっている。今回出土した遺跡については、高速道路を挟んで南側にある難波宮跡公園と比べると全く整備されていない。今後、何らかの形で整備されるのであろうし、今回の再発掘もその一環ではあるとのことだ。可能ならば、この出土した状態を見れるのが一番良いような気がする。なかなかこういうのは見れないと思う。

 また、調査地の横のテントでは、この難波宮で出土した重圏文軒瓦が展示されていた。
 軒丸瓦の真ん中に文字らしきものが見えるのだが、何を意味しているのかは分からないらしい。

 

 

 最近、難波宮に関連した所に偶然行くことが多く、難波宮の瓦を焼いた窯跡も吹田の方で見つけたりしたのだが、それについては、また後日報告しましょう。

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