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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

馬見丘陵の古墳⑤ ~佐味田石塚古墳群・ナガレ山古墳~

2020-02-15 08:25:56 | 史跡を歩く

 倉塚古墳、一本松古墳から上池、下池の間の道を通って、馬見丘陵公園のガイダンス施設馬見公園館へ行く。

 

 ここでは、古墳や馬見古墳群について学ぶことができる。特に巣山古墳の模型が目を惹く。編年で言うと、巣山古墳が一番古いようで、池上古墳、乙女山古墳が続き、一本松古墳が4世紀後半、倉塚古墳とナガレ山古墳が5世紀前半という感じになるのだろうか。

 この途中に別所下古墳があったのだが、きれいに見逃してしまった。

 公園館から、ナガレ山古墳へ行く途中の林の中に、佐味田石塚古墳群と呼ばれる小古墳が移築保存されている。どっちかというとこっちの方が見逃してもおかしくないはずなのだが、一応、案内板があり、そのおかげで古墳を見つけることができた。

 

 佐味田石塚古墳群は3基見つかっているが、ここに移築されているのは1号墳と2号墳のみである。

 

 1号墳は、墳丘もなく、石室の石組みだけが残っている。7世紀前半の古墳で、竪穴式の小石室であり、石室の底面には平瓦が敷かれていたらしい。

 

 説明板がないと、古墳であるとは気づかないなあ。冬の時期だから草が刈れて見ることができるけど、夏場、草が伸び始めると、草でおおわれて見つけることはできないかもね。

 

 1号墳のすぐ近くに2号墳がある。

 この古墳も、石を積んでつくった竪穴式の石室を持つ古墳である。築造された時期は、1号墳よりも古く6世紀後半と推定されている。

 

 佐味田石塚古墳群については、同じ時期には、横穴式石室の古墳が造られている中、古い形式の竪穴式石室を採用している。これはどう考えたらいいのだろうか?

 そして、佐味田石塚古墳群から南に行くと、ナガレ山古墳がある。

 ナガレ山古墳は、全長105m、後円部径64m、前方部幅70mの大きさで、5世紀初めの築造と考えられている。後円部は、三段、前方部は二段築造となっている。

 

 この古墳は、発掘調査の結果をもとに東半分がきれいに復原整備され、墳丘にも登ることができる。

 

 後円部の上に登ると、粘土槨とその周りの墓壙があったことをわかるように明示されているが、埋葬施設の発掘調査自体はされていないようだ。粘土槨があったであろうことを示す粘土は出土しているそうだ。

 

 前方部にも、埋葬施設があり、この場所については、発掘調査が行われている。埋葬施設については、粘土槨を用いており、組合せ型の木棺が使われていたであろうと推定されている。また、副葬品として、刀形、鎌先形、鎌形の鉄製品が出土している。

 

 復元された墳丘には、発掘調査の成果に基づいて、ずらっと円筒埴輪と朝顔形埴輪が並べられてる。そして、斜面には葺石が施されている。

 

 ナガレ山古墳の復原整備については、ほど良くいい感じではある。当初、土取りで墳丘が四分の一ほど破壊されていたということを考えるとこの形でいいんだろうと思う。馬見丘陵の古墳ではないが、最近、妙に綺麗に復元しすぎて、全く魅力のなくなってしまった古墳も多い。ナガレ山古墳は、この公園に来るたびに登る。割とお気に入りのスポットではある。

 

 墳丘から眺めてみると、周辺にいくつか凸凹があるのがわかるが、これも古墳であろうか?案内等はないのだが・・・。

 周辺には5基ほど小古墳があるのが知られている。

 

 今回の墳活はここで終了。巣山古墳等は次の機会に探索してみたい。


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