休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の石造物④ ~くつな石~

2017-05-08 06:39:16 | 史跡を歩く
 都塚古墳の向かい側にくつな石の由来と書いた木製の解説板があり、ここから1キロほどのところにあるというとのこと。まだ時間もあるし、せっかくの機会なので案内の標識に従って行ってみることにした。

 

 歩いてみると確かに、1キロメートルかも知れないが、実際歩いてみると結構大変。とにかく登りがきつい。途中から息が上がって、青息吐息という感じ。標識に従って歩いていたはずが、いつの間にかルートを外れていて、行き止まりになり、一旦戻って、坂道を登りなおすなど想像以上の展開だった。

 

 棚田の中をひたすらに上っていくと、山道に入ろうかというところに看板が見えた。

 

 いよいよくつな石についたのかと思って、少し小走りに近寄っていく。しかしその前には、イノシシ除けのフェンスがある。えっ、ここまで来て終わりなんと思うと、看板には、こう書かれていた。

 

 「長い坂道、お疲れさまでした。」とねぎらいの言葉。いえいえそんな事と思い、次には「くつな石は橋を渡り、100mほど登ったところにあります。」と書かれている。どこを登るん?フェンスの中に橋がかかっている。するとフェンスにチェーンを外して戸を開けて入れと書いてある。

 

 恐る恐るチェーンを外して中に入る。

 

 そして、橋を渡り、山道を歩いていく。何か深遠な森の中を歩いている感じ。パワースポット的な雰囲気を感じないわけでもない。

 

 すると、左手に鳥居が建てられたくつな石を発見。くつな石の由来は、昔、石屋が石を取り出そうとしてノミを入れたところ、石の割れ目から赤い血が吹き出し、傷ついた白い蛇が現れた。驚いた石屋は逃げ帰ったところ、その後、高熱にうなされとうとうなくなってしまったそうだ。そののち村人はこの石を恐れ敬い、「神の宿る石」として祀り、今に至っている。くつな石とは、へびを表すくちなわがなまったものと言われている。

 

 石の形としては、蛇というよりは、マンボウのような魚に見える。ただ、阪田の集落の人たちがずっと静かに祀ってきたような感じが伝わって来た。この場所は、地域の人たちのボランティア活動でなりたっているらしい。鳥居や手洗い場なども、地域の人たちが作ったようである。

 

 ここまで来たのだから、くつな石のパワーをいただいて、下山することにしよう。

 

 そうそう、先の解説板に、もう少し登ったところから眺望がすばらしいところがあるとおすすめの場所があるのでそこにもいってきた。

 

 確かに、ただ、棚田がはげ坊主なんで、もう少し後の時期の方が良さそう。でも、暑い中、この道を登るのも大変。まあ、それだけの価値はありそうだけど・・・。
 阪田のくつな石、あまり訪れる人もなく静かな空間を演出している。このまま、地域の人たちに大切に守られながら伝えられていってほしいなあ。

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